ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

ことば変換あそび

2007-02-14 18:13:10 | Weblog

(写真は1959年、六甲地獄谷にて)

昨日の記事で「今浦島」と書いていて、ふと思ったのです。
「浦島太郎」の童謡をワープロソフトはどう変換するのかと。
で、さっそく試してみました。


(1961年、六甲西山谷を登る)

その結果は…
「遊びに秋的がツイテ おいとま語彙もそこそこに
 帰る途中の楽しみは 土産に貰った玉手箱」
「帰ってみれば怖いカニ 基タイ絵も村もなく…」

子供の頃、冗談で言い合った「怖いカニ」が出てきて
感激?しました。


(2001年、真新しい山名標)

ついでに「故郷」は?
「兎生石か野山  小鮒吊りシカの川…」

シカの川…嬉しいなあ。
お断りしておきますが、作為は加えていません。
「生石」が出てきたのは、ソフトの学習能力で「生石高原」を
覚えていたのでしょうか?
仮名遣いなど間違うと教えてくれる賢いソフトですが、まだまだ
文語体は苦手なようでした。

春うらら六甲山

2007-02-14 12:27:44 | 山日記
前に六甲に登ったのは2001年の3月。有馬から紅葉谷を登り、
極楽茶屋~最高峰~魚屋道~有馬と周遊しました。
このときが六甲登山ちょうど50回目。今日は6年ぶり51回目
の六甲山になります。

芦屋川~最高峰~有馬の道を最後に歩いたのはさらに古い話
で、1977年1月に家族4人で2週間続けて同じ道を歩きました。
子供達はまだ小学生でしたが、元気いっぱい。
2週目は東お多福山にも寄り道しています(ただし、有馬から
登り芦屋川に下るコース)。
9時、30年ぶりに芦屋川駅に降りると、周囲の変貌は目を見張る
ばかりです。
懐かしい思い出を辿りながら、若い頃に重いザックを背に歩いた
道を高座ノ滝へ向かいました。(芦屋川駅09:05…高座の滝09:30)


5分休んでロックガーデンへ。懐かしい中央稜を登りました。
赤ペンキの印がやたらにあり、誰でも迷わずに歩けるようになり
ましたが、その代わりにちょっとしたルートファイディングの
(どこを歩こうかと考える)楽しみがなくなった気もします。


(高座ノ滝09:35…風吹岩10:25~10:30)
送電線鉄塔の下で「万物相」など眺めて、ちょっと荒れた感じの
谷間を登って風吹岩に来ました。
昔を思うと形が変わったようですが12年前の震災の影響でしょうか?


すっかり変わった登山道でゴルフ場を通り抜けて、雨ガ峠の四阿で
コーヒータイム。ここまでも何度か目にした「イノシシ注意」の標識。
かなり数が増えたのでしょう。それにしても本庄橋「跡」付近の変貌
には驚きました。広場から急な石段で住吉谷の左岸へ???
登り切ると大きなダムが出来ていて納得。
(風吹岩10:25~10:30…雨ヶ峠11:20~11:30…本庄橋跡11:45)


本庄橋で昼にすると「七曲り」の登りがシンドイのを、二人とも
何度か経験していますので、問わず語らずに登り続けます。
思ったよりもなだらかで楽に登れたのは、道の整備が進んだこと
よりも、ザックの重さが違うせいでしょう。
ゆっくりゆっくり登って一軒茶屋が近づくと、お城の様な石垣の
豪壮さに目を見張りました。(本庄橋跡11:45…一軒茶屋12:30)


6年りの最高峰頂上。ここも真新しかった標識も古び、電波塔の
建物が新しくなりました。3連休明けの頂上には人影も少なく、
大きな石が円く並んでいる無人の広場に、のんびりと腰を下ろして
遅めのランチタイムを楽しみました。
真っ青な空にジェット雲が二筋、三筋。鮮やかな色のヘリコプター
まで飛んできました。春真っ盛りのような暖かさに、下界が霞んで
見えるのが残念です。(六甲最高峰12:40~13:10)

宝塚まで東尾根を縦走しようかと迷いましたが、年相応に魚屋道を
有馬に下ることにしました。発車3分前のバスに飛び乗り、ラッシュ
の始まる前の電車でゆっくり帰ることが出来ました。
「帰る車中の楽しみは…」新婚当時住んでいた池田の辺りの景色
でしたが、ここもビルの林立で昔の面影はなく、まさに「今浦島」の
思いの二人でした。(六甲最高峰13:10…有馬バス停14:30)