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ウグイスの声が聞こえていた山道が急な下りになると、次第に
行き交う車の音が高まり、国道にでました。
竹内街道は飛鳥時代には最初の官道として栄え、浪華と大和を
結ぶ中間の宿駅がここ竹ノ内峠にありました。写真は「是より東
奈良県、大和国」と書かれた府県境標と「鶯の関」跡の碑。
『我おもふこころもつきず行く春を越さでもとめよ鶯の関』
平安時代の「明玉集」にある歌だそうです。
(岩屋峠12:16…竹ノ内峠12:35~12:45)
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交通の激しい国道脇をおそるおそる大阪側に10分程下ると、頭上
に「二上山登山口」という大きな車用の標識があり、右手に何体
か石仏が安置されていました。舗装路で直接、岩屋峠に帰れます
が、鹿谷寺(ろくたんじ)跡を通って行くことにしました。
(竹ノ内峠12:45…登山口12:55…)
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この十三重石塔は8世紀のもので日本最古とされています。横の
説明版によると「凝灰岩の地山そのものから掘り出した」もので
す。青い屋根の見える左手には、岸壁を削った石窟のなかに、
ほとんど薄れて消えかけた三体の如来座像線刻が見えます。
(鹿谷寺跡13:07~13:13)
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この近くには古代の石切場があり、石棺や石塔に使う凝灰岩や
石器用のサヌカイトを産出していたといいます。
登るにつれ眼下に河内平野の風景が拡がり、ミニ・ロックガーデン
の趣です。
ダイトレ道にでて、♀ペンはもう一度雌岳に登りたい様子でしたが、
岩屋峠に帰ってコーヒータイムを楽しむことにしました。
(鹿谷寺跡13:13…岩屋峠13:30~13:50…祐泉寺14:02…ふれあい
広場P14:20)
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お土産に当麻寺駅前中将堂本舗で「中将餅」を買って帰りました。
ネーミングはもちろん当麻寺の中将姫にちなんだもの。
ボタンの花を象ってヨモギ餅に餡を乗せた「つけ餅」ですが、ほど
よい甘さで辛党のペンギン夫婦も大好きな一品です。