ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

大和郡山・西田中瓦窯(10月27日)

2007-10-27 17:07:45 | 矢田だより
藤原京(日本最古の都)で使われた瓦を焼いた窯跡が大和郡山市西田中町で発見され、今朝10時から市教育委員会による現地説明会が行われました。



窯は写真手前の段丘斜面に三つ並んだ「地下式有段登り窯」で、近くに更に三つの窯が埋まり、南西300mの内山瓦窯でも四つ見付かっています。
さらに多くの窯があった可能性もあり、「都の造営に必要な大量の瓦(200万枚といわれる)を制作した大生産団地があったのではないか」という説明でした。



1号窯。手前の黒い部分が燃焼室。その上に階段状に瓦を敷いた焼成室がありますが、その長さは操業を重ねるごとに燃焼室の床が炭で埋まって登り、短くなっていきます。




2号窯。内部を掘削せず残してあるので、上に行くほど狭まる煙道の形や中央部の天井が残った様子がよく分かります。



3号窯。1号窯同様、天井部が崩落しています。燃焼部、焼成部とも瓦を敷き詰め、何度か補修されています。
上部に「溝」という標識があるのは、三基を囲んで溝を彫り、雨水が窯に入らないように工夫したものです。



窯から出土した軒瓦です。この紋様から藤原都の中心的な建物-大極殿や朝堂院-に使われたものと分かったと言うことです。
家から歩いて僅か15分ほどのところに古代の大工業団地があったことを知り、当時の様子を想像しながら降り続く雨の中を帰りました。