映画「黒部の太陽」が40年振りに上映されたことが、先ほどのTVのニュースで報じられていました。
何でも主演の石原裕次郎が「この映画はぜひ大画面で見て欲しい」といったことを尊重して、その後TVなどでは放映しなかったということでした。
1968年2月封切のとき大阪・梅田日活で裕次郎の舞台挨拶があり、私は早くから並んで前から数列目に陣取り、すぐ下から裕ちゃんを仰ぎ見ました。
薄いピンク色のシャツに黒いジャケット姿で、映画で見る通り足が長かったことを、しっかり覚えています。
これは、その3年後の1971年5月、黒部ダムでの変愚院。
歳は裕次郎と同じでも、足が短くて格好悪いのは仕方ありません。
その37年後の2004年5月、二人で行った黒部ダム。
北原三枝とは比べようもありませんが…。
何でも主演の石原裕次郎が「この映画はぜひ大画面で見て欲しい」といったことを尊重して、その後TVなどでは放映しなかったということでした。
1968年2月封切のとき大阪・梅田日活で裕次郎の舞台挨拶があり、私は早くから並んで前から数列目に陣取り、すぐ下から裕ちゃんを仰ぎ見ました。
薄いピンク色のシャツに黒いジャケット姿で、映画で見る通り足が長かったことを、しっかり覚えています。
これは、その3年後の1971年5月、黒部ダムでの変愚院。
歳は裕次郎と同じでも、足が短くて格好悪いのは仕方ありません。
その37年後の2004年5月、二人で行った黒部ダム。
北原三枝とは比べようもありませんが…。