ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

なにこれ- 駅の中に墓

2012-02-21 08:49:53 | 今日の大和民俗公園


19日、河内飯盛山に登った帰り、野崎観音前から近鉄バスに乗りました。バスは昔住んでいた村(今は立派な町)を通り、東高野街道を南へ進みます。終点の瓢箪山駅前で下車。ここから近鉄奈良線に乗ります。駅のホームに、こんなものがありました。ン、この朝、小楠公御墓所に詣うでたばかりなのに、ここにもお墓?
不思議に思って「往生院」の文字をたよりに少し調べてみました。

実は楠正行のお墓と伝えられているところは他にも何か所かあり、近くの額田(ぬかた)に首塚がある他、宇治や遠くは鹿児島県甑島(こしきじま)にもあるそうです。

そのうち河内往生院(瓢箪山駅の東南、約1.5km)は、正行が幼少期をここで過ごし学問、武芸に励んだ処であり、また正平3年(1348)の戦いではこの寺に本陣を置いて高師直と対したと言われています。

わたしは中学生の頃から自分の住んでいる「四条村」の南、やはり東高野街道沿いの当時の中河内郡(現東大阪市)に「四条」「縄手」という地名があるのを、なんとなく不思議に思っていました。飯盛山の下にある「四条畷」は古くは「讃良(さんら)郡」に属していました。ついでですが、私は戦後の学制改革でできた新制中学校の一期生で、その時の学校名は「大阪府北河内郡学校組合立讃良中学校」でした。(二年生の時は四条村立中学校にかわりましたが…。)

「四条畷」の戦いは讃良四条畷ではなくて、「四条縄手」の戦いであったのかも知れません。それにしても駅の中に何故こんな墓があるのでしょう?