ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

わが家のお雛さま

2012-02-24 07:00:00 | 我が家の歳時記


♀ペンの持ってきた古式床しい?七段飾りのお雛様はお隠れになったので、今年も各地の郷土玩具のお雛様がお出ましです。



「淡嶋神社のお雛様」
和歌山県加太町。境内一円には人形供養で奉納された2万体ともいわれる人形があり、流し雛の風習が残っています。昭和54年(1979)に参拝した時がたまたま千七百年祭にあたり、その際の難波~加太間記念乗車券です。



「鳥取の流しびな」
赤紙の衣に金の袴、烏帽子姿の白い模様で青竹に十組の夫婦が挟んであります。3月の桃の節句に買い求めて去年買った雛を「おしき」に乗せて、菱餅や桃の花などを添えて厄除けとともに願いを乗せて川に流す風習があります。



「赤膚焼のお雛様」
豊臣秀長が大和郡山城主の時、五条村赤膚山(現在は奈良市赤膚町五条山)に開窯したと伝えられ、大和郡山市内に窯元が点在しています。これは中でも有名な小川二楽窯のものです。



「古代吉野雛」(土鈴)
奈良県吉野町。大海人王子(天武天皇)が吉野離宮におられた頃、吉野の豪族が桜の樹で人形を作り献上したのが始まりと言われています。また南北朝時代には吉野行宮で不遇をかこつ後醍醐天皇をお慰めしたと言われています。



「古代吉野雛」(立雛)
古式床しい衣冠束帯に身を包み、衣装にサクラの花模様が入っているのが特徴です。これも土雛。



「紀州雛」
和歌山海南市特産の紀州漆器のお雛様。室町時代に紀州木地師によって渋地碗がつくられたことが始まりとされています。この盃は木製の木地に漆を刷毛塗りして筆で蒔絵を施した「宗家寺下」のもの。盃の内面は赤地で金色の葵の紋が入っています。



「大内雛」
山口県。室町時代周防と長門の国は大内氏が治め、中国との貿易などで栄えました。大内人形は24代大内弘世が、京の三条家から嫁に迎えたが都を恋しがるののを慰めるめるために、京から呼び寄せた人形師に人形を作らせて屋敷中を人形を飾ったという話から生まれました。商品化されたのは大正時代からのようです。丸顔におちょぼ口、切れ長の目もとが特徴とか…。



「佐土原人形のお雛様」
宮崎県。日向の国佐土原に島津藩主が陶工を迎え入れて始まったとされています。様々な土人形のうち、代表的なものは「饅頭喰い」でこの人形も我が家にあります。



「陶器製のお雛様」



「和紙のお雛様」



他にもまだありますがこの辺で…オマケに今年の干支「辰さん」三題です。