ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

私の関西百山(52)日出ヶ岳<続>

2014-04-15 20:15:19 | 私の関西百山

 

西大台はより豊かな自然の趣を残している区域である。しかし、2007年9月からの入山規制で安易には歩けなくなった。(一日の入山人数が制限され、事前に入山申請をしたうえ許可されれば入山料1000円を支払い、自然保護のレクチュアを受ける)。何度か歩いたが、規制を一か月後に控えた2007年8月初旬に二人で歩いたのが最後になった。

大台教会(ここの田垣内政一さんの怪談話も懐かしい)横から急坂を下り、ナゴヤ谷の流れを渡る。

右手200m上に幕末の北方探検家・松浦武四郎の顕彰碑がある。流れに沿う道は、以前は踏み跡を探してさまよう感じだったが、現在では迷いようもない。枯れ沢を三つほど渡り、中ノ谷の河原に出て対岸に渡り、尾根を登る。

小さい尾根を越すとトウヒやブナの原生林になり七ツ池の標識を見る。左手の尾根の上に湿原があるが今は鹿除けのネットなどで入れない。

この辺りは倒木や岩に付いた苔が、鮮やかな緑色に輝いて、神秘的な雰囲気を醸し出している。

カツラ谷をロープに頼って渡り、しばらく沢沿いに行くとやや広く平坦な場所に「開拓」の案内板がある。「明治の頃、この地、高野谷で開拓したが…大根、馬鈴薯のみ生育し、他は結実せず廃す。そのため現在地名として残って居る。」高野谷を飛び石伝いに渡り、少し行くと開拓分岐に来る。次はワサビ谷をロープ伝いに渡り、木の階段を登り、雑木林を抜けて展望台に着く。

東ノ川を隔てて正面に大蛇クラが見える。滝見尾根左下の千石クラ、岩壁に飛沫をあげる中の滝、尾根の奥には日出ヶ岳に続く稜線と素晴らしい眺めである。

開拓分岐に引き返し、逆川を吊り橋で渡ってガラガラの石ころ道を登る。しばらく行くと大岩壁の下から「弁慶の力水」が流れ落ちている。ナゴヤ谷の美しい流れに沿って歩き、最後に少し急坂を登って大台教会下の分岐に帰る。

ドライブウェイに沿って大和岳から日出ヶ岳に続く稜線上にも、あまり目立たないが静かな山が続く。西端の経ヶ峰(1529m)は、慶長年間に西上人(丹誠上人)が道を開いた山である。ドライブウェイから踏み跡を行くと、上人が変化を封じ込めて経を埋めたという経塔石を経て往復45分ほどだった。山頂は樹木に囲まれて殆ど展望がない(2007年7月)。

ここから大和岳(1597m)、日本鼻を過ぎると三津河落(さんずこうち1600m)で尾根がY字型に分かれる。ここは紀ノ川(吉野川)、熊野川(北山川)、宮川(大杉谷)の三河川の分水嶺である。

三津河落山最高点(1654m)の如来月(写真手前のピーク・三津河落より)はY字の下軸を南に行ったところにある。次のナゴヤ岳で再び尾根を分けて東に行くと川上辻で、ドライブウィと合する。ここから北へ筏場、入之波(しほのは)温泉に下る道があったが、今は通行できない。
 
次のピーク・巴岳を過ぎると日出ヶ岳までは30分強で達する。倒木やバイケイソウの群落の中、シカには遭えても殆ど人には出会わなかった。この静かな踏み跡を探しながらの稜線歩きも、今はできなくなっている。

日出ヶ岳から巴岳(左手前)、三津河落山へ続く山稜