
今年の大和民俗公園博物館冬季企画展のテーマは「大和郡山の祭りと行事」でした。

ここでご紹介するのはその折の展示のほんの一部ですが、私の撮した大和郡山の写真と
合わせてご覧ください。

まずは私たちの住む矢田地区の氏神様・矢田座久志玉比古神社の祭りと行事。

矢田座久志玉比古神社 (やたにいますくしたまひこじんじゃ)
矢田小学校の近くにある「矢田の大宮」(矢田座久志玉比古神社)の楼門には、大きな
プロペラがついています。戦争中に奉納されたものだそうですが、それにはこんないわれ
があります。
この神社にお祭りしてある神様、ニギハヤヒノミコトはいつも「天の磐船」に乗って
大空を駆けめぐっておられました。あるとき、天から降りてお住みになる所を決めようと
天神から頂いたアメノハバ矢を三本射られたところ、矢はこの矢田の地に落ちました。
神社は二つ目の矢が落ちたところに建っているので、一名「矢落明神」とも呼ばれています。
神社の北には「三の矢塚」南には「一の矢塚」があります。
天の磐船は現在で言えば飛行機か宇宙船でしょうか?それで、このお宮さんには航空関係
の人のお参りも多いそうです。
(一人すまいのお年寄りを訪問するボランティア「あゆみの会」用に変愚院の作った文章です。
出典「日本書紀」他)

その矢田座久志玉比古神社のお祭り風景。

最初の写真に見られる勧請縄は宮座の人々の手によって、1月2日の「一の絵」で綱作りが、
8日の「二の絵」で綱掛けが行われます。

これは東明寺下の川にかかる勧請縄。東明寺は神社と縁が深く、江戸時代までは矢田寺
と東明寺のお坊さんが、神事を司っていたと言われています。

水口祭り。
苗代に種モミをまく日に、その水口に土を盛って花や小枝をさして田の神に供えて豊作を
祈ります。

粥占。
占いたい農作物の品種の数の竹の筒を編んで小豆粥の中に入れて炊き、中の入った小豆や
米の数でその年の収穫の吉凶を占います。

これは近くの登祢(とみ)神社の様子で、矢田座久志玉比古神社の結果と比べた一覧表も
展示されていました。今風にキュウイなども表に載っていました。