台湾周遊の旅二日目の午後は台南へ向かいます。日月潭から1時間半ほどで到着した台南は清代初期には首府として台湾の政治・経済・文化の中心地として栄えました。日本統治時代に首府は台北に移りましたが、しばらくは台湾第二の都市として発展しました。たくさんの古跡が残っていて「台湾の京都」とも言われる熱帯の町です。

台南は小吃(シャオチー=中華の一品料理)などのグルメの町としても有名です。ちょうどお昼どきに着いて、飲茶料理を賞味しました。左上から大根餅、餃子・焼売・肉団子、炒飯、海老春巻、春巻とデザートの水菓(フルーツ)の西瓜。どれも日本人に馴染みやすい味で美味しく頂きました。お腹が膨れたところで赤嵌楼へ。

赤嵌楼
1652年、当時台湾を占領していたオランダ人が移住していた漢人と衝突したのを機に、この地に高さ10mの城壁をもつプロヴィンティア城を築きました。

漢人が紅毛楼また赤嵌楼と呼んだ当時の城の模型です。現在は清時代の海神廟と文昌閣が建っています。

1661年、鄭成功がプロヴィンティア城の攻略に成功、さらにもう一つのオランダの拠点・ゼーランディア城も陥落させ、ついにオランダを台湾から追放します。鄭成功は清に滅ぼされた明の復興のために台湾に渡り、抵抗運動を続けた人です。始めて台湾に独立政府を樹立して、その後の開発に貢献したので台湾の人に非常に人気があります。
彼はお母さんが日本人で、福松と呼ばれた幼年時代を7歳まで平戸で過ごしました。「国姓爺」と呼ばれた彼の活躍は、日本でも近松の人形浄瑠璃、歌舞伎や映画でもお馴染みです。これは庭園に建つ「鄭成功に降伏するオランダ人」の銅像。

文昌閣の内部には、清時代にここにあった「蓬壺書院」で学んだ学生の試験用紙、先生の添削した宿題?などの文物が展示されています。二階の出口は煉瓦を積んで造形してありますが、この接着剤はもち米のとぎ汁に砂糖、牡蠣の殻を焼いて灰にしたものを混ぜたものだそうです。

外の回廊から見下ろすと、こんな遺構が見えます。1944年に発見されたプロヴィンティア城の北東稜堡基礎部分です。この頑丈な砦も、上と同じように煉瓦を接着剤で積み重ねて作られています。

文昌閣と海神廟の間にある「紅毛井」。オランダ人が掘ったこの井戸には、有事の時の避難用の通路が井戸の底から安平の古城まで通じていたと言われています。

乾隆帝の時代に反乱を平定した福康安を讃える碑文が、亀の背の上に立って並んでいます。上には二匹の竜が彫られています。龍が生んだ9匹の仔のうち一匹が亀に似た神通力をもつ動物になったという伝説に由来します。
赤嵌楼の見学を終えて台南を離れ、今回訪れる都市では西海岸南端になる高雄へ向かいます。

蓮池潭(リャンチータン)
高雄市郊外にある周囲約5kmの美しい淡水湖です。いくつかの美しい建物を見ながら湖畔を歩きます。楠の並木道が続き美しい公園風に整備されていますが、寥さんの話では以前は雨が降るとドロドロで歩き難いところだったそうです。
左に見える三層の中国式四阿は「五里亭」、その右には高さ21mの道教の神様・北極玄天上帝像が見えます。それぞれ湖の中に浮かんでいて、長い橋を渡るようになっています。

蓮池潭最南端の龍虎塔の横で自由行動になりました。この虎と竜は、それぞれ後ろの七重塔の入口と出口なのですが、3月1日から塔の内部は補修中で入ることができません。このことは出発前に旅行社から知らされていたのですが、内部の美しい彩色や塔上からの景色をTVで見て楽しみにしていただけに、とても残念でした。

もう少し先へ進んでみます。湖畔から塔へ渡る橋は何度も曲がりくねっています。上海の豫園で九曲橋という同じような橋を渡りましたが、ここの橋はそれよりかなり大規模です。悪魔はこのような曲がった歩き方は出来ないから入れないようにしてあるとか…。

この塔に入るには必ず龍の口から入り、虎の口から出なければなりません。台湾では龍はもっとも善良な動物、虎は最も邪悪な動物なので、こうすることによって人間の業(ごう)が清められると信じられているのです。阪神虎軍!加油!!

一寸だけ橋の上を歩いてみました。左の二つの塔は関羽を祭る春秋二つの塔。その間に騎龍観音という名の、龍に乗った観音様の像があります。

蓮池潭の名前は池に多くの蓮が植えられていることから付けられました。だいぶ数が少なくなったそうですが、この辺りではまだ花が見られました。

中国から来たらしい大勢の観光客が橋を渡って行きます。そろそろ時間が来たので集合場所に帰ります。

もう一度、間近から迫力あるトラさんを見て蓮池潭を後にしました。