庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

宇宙人

2012-10-04 20:44:00 | 自然

昨日は堀江海岸で宇宙人のような人間に会った。いや、人間のような宇宙人だったのかもしれない。

多くの人にとって珍しいことをやってると、こちらの意図とは関係なく、いわゆる「目立つ」ことが多いらしい。ウィンド時代はショートボードに乗り始めた頃、パラグライダーの初期もそう、エンジン付きパラ(PPG)は、ほとんど飛ぶ場所を選ばない上に、それなりの騒音を発するから、よけい多くの人の目にとまる。

PPGの初期などは、海岸エリアでひと飛びして降りてくると、いつの間にか人が集まってきて、「これは何というものか?これらの道具ははいかほどの値段か?飛び方をどうやって習えばいいのか?・・・」等々の質問攻めにあうことがほとんどだった。

初めのうちは、彼らの好奇心に応えるべく丁寧にお相手していたのだが、その内、面唐ュさくなり、やがて鬱陶(うっとう)しくなることは自然の流れだ。一時は、いつも繰り返される質問事項を整理したパンフレットみたいなものを見物人に配布して「これに全部書いてあります!」にしようか・・・などと本気で考えたものだ。

しかし、今日の質問者はちょっと変わっていた。

ガスティではあるが、腰の強い秋の北風をそれなりに味わって浜に上がり、ブレークダウン(片付け)に取り鰍ゥった頃に、細面(ほそおもて)の青年が「ほんとに楽しそうですね。ずいぶん小さいボードなんですね。」などと静かに話しかけてきた。仲間のサーフタイプも見て、「サーフボートみたいなのでもできるんですね。僕はサーフィンをやってるんです。」と言う。5b7dbceb.jpeg

私の接客の習いは、時々の気分や状況によって、まずお相手をするかどうかを決め、次に、その人物を観て話の内容を決める。疲れているときや面唐ュさいときは、ほとんど無視する。そうでもない時は、かなり人の良い話し相手になる。「袖(そで)触れ合うも多生の縁」・・・この広大な時空世界で、短い生涯に出会える人間の数は極めて限られている。何かの縁があるかもしれないし無いかもしれないけれども、人(だけではない)との出会いはできる限り大事にしたい・・・というのは、私の生き方の一つでもある。

「このナチュラルスメ[ツはね、半分以上はスカイスメ[ツで、空を飛びながら海の上を走っている感じだよ・・・」などと話している間、彼はずっと両手を軽く広げてフラフラとサーフライドみたいな動きを続けながら聞いている。ところが、彼の容貌はどう見てもサーファーではない。まず、肌の色が驚くほど白い。次に、身体全体が針金のように細く、肩の筋肉は無いに等しい。こんな姿態はまずサーフィンからは生まれない。

そして、その色白・細身・細面の風貌全体から発する雰囲気が、どうも人間離れしている。どこか遠い世界からやってきた宇宙人のような感じだ。特段、不愉快な空気を持っているわけではない。徐々に私は、何かフワッとした別の種の生物に話しかけているような気分になってきた。これはちょと頭の温かい種類の人かもしれないとも思ったが、どうもそれとも違う奇妙な印象だった。

10分ほどの遭遇の後、彼は相変わらずクネクネ・フラフラとした動きを止めないまま「また、お会いしましょう??・・・」と、フワリと言い残して、どこかに帰っていった。彼の姿になんだかこの世のものでないようなものを感じたのは確かだ。

私は、いわゆる「地球外知的生命体」は、まちがいなく存在すると考えている。地球も宇宙の一部だから、私たち自体が宇宙人であるとも言えるのだが、まさに数え切れない数の星々や銀河で満ち溢れる大宇宙に、地球のような惑星がたった一つしかなく、地球人しか存在していないと考えるぐらい不合理なことも少ないとさえ思う。

しかし、彼らが今現在、この地球にやって来ているかどうかは別の問題だ。彼らには彼らの都合というものがあるだろうから、こんな悲哀や憎悪や同類殺傷に明け暮れる人間という生物が、他の多くの生き物たちの生命を平気で奪いながら何十億も生息する小さな惑星に、わざわざやって来るには、きわめて特殊な興味が必要なはずだ。

私たちが他の惑星の住人と出会う確率については、たしか「ドレークの公式」というのがあって、遠大な空間の問題だけでなく、ある文明の存続期間の条件もある。数百億年と言われる宇宙の歴史から見れば、数千年の人類文明史などは、取るに足りないものだ。百億分の千としても一千万分の一ということになる。宝くじを1枚買って一等賞に当たるのとほぼ同じ確率・・・しかも、人間の一生はたいがい百年に満たない。

この公式に素直に従うと、やはり相当強力で「特別な縁」がなければ、ホンモノの宇宙人に出会うことは不可能に近い、なんて夢のない話になってしまうのだが、もしも、案外、近在の惑星に人間に似た生物が住んでいて、しかも彼らがこの惑星の古代文明などと深い関係にあり、今の時代もまだ「特殊な興味や特別な縁」があると仮定すれば、ことの次第は別な流れになるだろう。

この辺りの話も、始めればキリなくなる。今回これまで。


コメント
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