庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

宇宙人 4

2012-10-13 16:02:00 | 自然

それは或る秋の晴天の夕空で起こった。私は当時、川崎市の多摩区という南北に長い地域の北部に位置する「菅」という地域の、田中荘というボロアパートに住んでいた。

単車で南に10分かそこらに登戸駅があり、その近くでは2歳年上のS大学生Mさんが下宿生活をしていた。彼は信州上田市出身の苦学生で、その人柄の誠実なことこの上なく、私はいろいろと世話になったのだが、その一つに自炊の仕方があった。

彼は長いコックのバイト経験から料理に長け、不精でほとんど外食に頼っていた私に、獅「米の炊き方やニラレバ炒めの作り方などを伝授した。ある冬休みなどは、単車の二人乗りで上田市まで帰郷し、私はそこで初めて「馬刺し」なるものを食した。それはご両親の質素な暮らしぶりから察しても、日常の食卓に上るほど安価でありふれた食材ではなかったはずだ。

彼とはもともと学外活動で知り合ったのだが、2年後には神奈川県の小学校の事務の職を得て忙しくなり、その後間もなく、私は愛媛県松山市の団体の職員になったから、彼との付き合いは比較的短いものだった。しかし私の8年間の学生時代を通して彼ほど心を許した友人も少ない。二人はその間、ほとんど隔日程度の頻度で会いながら様々な話をしていた。

前置きが長くなった。私の一度限りの「未確認飛行物体」の目撃は、その彼をいつものごとく単車の後部席に乗せて、私のアパートに向かっている時に起こったから、彼も同様の体験をしていたのである。

秋の夕日は美しい。西の空は薄い茜色に染まり、ひときわ明るい宵の明星が西に落ちる太陽の少し上空で輝いていた。私はしばし単車を止めて二人で夕空見物をすることにした。

「今日の金星は格別明るくてきれいだね~」・・・などと話しながら、その光点や、背後遠くに見える丹沢山系、富士の裾野の色合いの静かな変化などを味わっていた。a003ced0.jpeg

やがて「しかし、いつもの金星にしてはちょっと明るすぎるなぁ・・・」二人は同じ感想を持った。たしかに輝度にして3倍以上あるように見えた。そしてしばらくの後(30分程度だったか)、その極めて明るいオレンジ色の光点の異常に気が付いた。

通常、宵の明星は太陽と共に動く、ところがそれは、太陽が西の山陰に姿を隠した後も、最初の位置にずっと留まったままで全く動かないのである。ということは、少なくとも金星ではないということになる。それでは一体、これは何だ?

「ひょっとしたら、これがUFOというものかもしれんぞ!写真を撮っておくべきだな!」・・・その光点から決して目を離さないよう彼に指示して、私は大急ぎでアパートまで走り、コダックのャPットカメラを持って現場に復帰した。その間10分もかからなかったと思う。

しかし、その時すでに、その光点は無かった。状況を聞くと、「数分後に、突然、パッと消えた」ということだった。私たちはしばらくその場を離れることなく、夕暮れ迫った西空を注意深く観察したが、それ以上のことは何も起こらなかった。

これが一体何だったのか・・・幾つかの可能性はあるが、未だに納得できる説明も明確な解答も得ていない。それから10年ほどが経過して、私は空を飛ぶようになり、更に高い位置から広い視野で大空を観察できるようになった。しかし、今日まで一度もこのような説明困難な物体に出会ったことはない。 


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宇宙人 3

2012-10-13 09:39:00 | 自然

ある観点から見ると、この人間世界にはどうも二種類のタイプがあるように見える。一つはモノゴトの真偽よりも自己の利害に重きを置く人たち、一つは自己の利害よりもモノゴトの真偽を優先する人たち。

たいがいの人間は、この真偽と利害を程よく調和させながらら、時に協調し時に衝突し、喜んだり悲しんだり怒ったりしながら、周囲の社会との適応生活を営んでいる。

ノンフィクション(実話)が成立するには、まずその元となる「事実」が存在しなければならない。事実は常に真偽の判断の領域と関係が深く、利害の巷(ちまた)とは縁が薄い。

そして、自己の利害に重きを置く人たちは、そもそも、或る「実話」が真であるか偽であるか、などということに大きな関心を持たない。まあ、自己の利益になればどちらでも関係ない・・・ということになるのは当然だろう。

このアダムスキが書いた奇妙な書物だけではなく、多くの「事実かもしれないし、そうではないかもしれない」種類の物語に影響された人々の反応や対応も、この観点から観察すると、その実態がよく見えるようである。

1970年当時、17歳の少年は、どんな利害にも関係していなかったから、その実話が真実か、真実ならばどんな事実に基づいているかだけに関心があったし、その後の40年間も、この分野の利害関係とは遠いところで生きてきたから、基本的な姿勢は同じである。

そしてとりあえず、この「とてつもない物語」が事実であるかどうかを検証してみようと思い、その検証方法は、自分自身で、彼の言う「空飛ぶ円盤」を目撃することから始めるしかないだろうと考えた。その後の数年間、私の大空を見る時間が増えたのはいうまでもない。

その結果は、たった「一回の目撃体験」以外に何もないし、その内容も、それほどドラマチックなものでもないが、次回少し触れることにする。

(つづく)


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