タモリさんが岐阜発信 「ブラタモリ」あす放送
昨日の放送で、タモリさんがついに岐阜に来た模様です。
6月に初名古屋回があり、先月には北海道を挟んで再び名古屋に来ていたので、もしかしたら近日中に岐阜にも来るのではないかと思っていましたが、見事に的中しました。まあ冒頭は鵜飼で始まっていたので、ロケがあったのは10月半ば頃でしょうけどね。当然あの番組は観光とタイアップしているはずなので、おそらく雪に閉ざされる北海道に配慮してあちらを先に放送したのでしょう(笑)5月の囲碁本因坊戦・将棋名人戦に始まり、8月の大相撲岐阜巡業、コナンの岐阜回、今回のブラタモリと続いた誘致・メディア作戦。岐阜命名450年プロジェクトの総仕上げに相応しい企画でしたね。初っ端に信長読本がこけた時はどうなるかと思ったけど(笑)
放送の前半は金華山・岐阜城の地形がメインで、後半は城下町と楽市楽座についてでした。岐阜市教委等、もしかしたら知っている人が出るのではないかと期待していましたが、案内役はまさかの外国人(笑)これも信長の外交重視おもてなし政策を反映してのことでしょうか・・・いつも通り地形メインでありながら、前半は岐阜に来たことのない人に一番の魅力である金華山・岐阜城の良さを紹介することはもちろん、後半は川原町の水団扇体験や、柳ケ瀬商店街から一歩外れて路地裏の楽市楽座跡を探すなど、地元に住んでいても中々できない&知らないようなマニアック番組となっており、岐阜民も満足できる全体構成の完成度には非常に驚きました。NHKって本気を出すと凄いなあ・・・
というわけで、恒例の「聖地になる前に行って来よう企画」です(笑)と言っても、この前のコナンの前後に行って来たものの一部焼き直しですけどね。まずは岐阜城ですが、残念ながらこのお城は昭和31年に再建された鉄筋コンクリ製です。最上階からは岐阜市内を一望でき、北は山ですけど南は名古屋までくっきり見えるため、タモリさんの大好きな山地と平野とのヘリであることがよく分かります。逆に言えば市内のほぼ全ての場所から見上げることができるのですよね。改めてここに天守を置こうと考えた信長は凄い!(※道三です)
ここはお城の少し下方にある井戸跡です。普通なら「こんな山の上に井戸を掘ったのか!」と驚く所ですが、ブラタモリの着眼点は一味違い、「この岩壁の谷の地形に石垣を2段に積んで平らにしたのか!」でした。確かに山の頂上のかなり広いスペースに(結構石段もありますけど)これほど平らな面積の敷地を整備しようとすると大変なことですよね。当時は建物同士をつなぐ回廊になっていたらしく、おそらく下からも良く見えるように整えたのでしょう。守りの要塞から「魅せる城」に変わって着想の起源がこの岐阜城なのです。
そして、「タモリさんが来るなら必ずチャート層がしゅう曲しているところを見に来るに違いない!」と思い何枚か見繕っていた1枚が見事的中しました(笑)ここはロープウェー乗り場の裏手に当たる、信長御殿の発掘調査場です。左に見えるのがこの前内覧会に行った三重塔ですね。岐阜城自体は斉藤道三が周辺の監視のために建てたものですが、この信長の時代は明らかに四方の地域にその権威を見せ付けるための城に作り変えられています。ふもとの信長御殿は、この岩壁を削って人口の滝を流し、見事な庭園を作って宣教師や有力武将をもてなしたのだとか。地形マニアであったかは分かりませんが(笑)もしも信長が生きていたら、天下統一後にお伊勢参りなどと同様、信長御殿へ参拝に訪れる「岐阜参り」が一大ブームになっていたかもしれません。そうなれば「名古屋は岐阜の植民地」になっていたかも!?・・・まあ、残念ながら上洛を急いだ信長はさらに京に近い安土に新しく城を作ってそちらへ行ってしまいましたけどね。
「信長公のおもてなしが息づく戦国城下町・岐阜」は、日本遺産にもなっています。岐阜命名450年もあと1ヶ月、鵜飼はとっくに終わり、信長公ギャラリーもあと2週間で終わりますが、岐阜城とロープウェーは年中無休です。是非観光にどうぞー
昨日の放送で、タモリさんがついに岐阜に来た模様です。
6月に初名古屋回があり、先月には北海道を挟んで再び名古屋に来ていたので、もしかしたら近日中に岐阜にも来るのではないかと思っていましたが、見事に的中しました。まあ冒頭は鵜飼で始まっていたので、ロケがあったのは10月半ば頃でしょうけどね。当然あの番組は観光とタイアップしているはずなので、おそらく雪に閉ざされる北海道に配慮してあちらを先に放送したのでしょう(笑)5月の囲碁本因坊戦・将棋名人戦に始まり、8月の大相撲岐阜巡業、コナンの岐阜回、今回のブラタモリと続いた誘致・メディア作戦。岐阜命名450年プロジェクトの総仕上げに相応しい企画でしたね。初っ端に信長読本がこけた時はどうなるかと思ったけど(笑)
放送の前半は金華山・岐阜城の地形がメインで、後半は城下町と楽市楽座についてでした。岐阜市教委等、もしかしたら知っている人が出るのではないかと期待していましたが、案内役はまさかの外国人(笑)これも信長の外交重視おもてなし政策を反映してのことでしょうか・・・いつも通り地形メインでありながら、前半は岐阜に来たことのない人に一番の魅力である金華山・岐阜城の良さを紹介することはもちろん、後半は川原町の水団扇体験や、柳ケ瀬商店街から一歩外れて路地裏の楽市楽座跡を探すなど、地元に住んでいても中々できない&知らないようなマニアック番組となっており、岐阜民も満足できる全体構成の完成度には非常に驚きました。NHKって本気を出すと凄いなあ・・・
というわけで、恒例の「聖地になる前に行って来よう企画」です(笑)と言っても、この前のコナンの前後に行って来たものの一部焼き直しですけどね。まずは岐阜城ですが、残念ながらこのお城は昭和31年に再建された鉄筋コンクリ製です。最上階からは岐阜市内を一望でき、北は山ですけど南は名古屋までくっきり見えるため、タモリさんの大好きな山地と平野とのヘリであることがよく分かります。逆に言えば市内のほぼ全ての場所から見上げることができるのですよね。改めてここに天守を置こうと考えた信長は凄い!(※道三です)
ここはお城の少し下方にある井戸跡です。普通なら「こんな山の上に井戸を掘ったのか!」と驚く所ですが、ブラタモリの着眼点は一味違い、「この岩壁の谷の地形に石垣を2段に積んで平らにしたのか!」でした。確かに山の頂上のかなり広いスペースに(結構石段もありますけど)これほど平らな面積の敷地を整備しようとすると大変なことですよね。当時は建物同士をつなぐ回廊になっていたらしく、おそらく下からも良く見えるように整えたのでしょう。守りの要塞から「魅せる城」に変わって着想の起源がこの岐阜城なのです。
そして、「タモリさんが来るなら必ずチャート層がしゅう曲しているところを見に来るに違いない!」と思い何枚か見繕っていた1枚が見事的中しました(笑)ここはロープウェー乗り場の裏手に当たる、信長御殿の発掘調査場です。左に見えるのがこの前内覧会に行った三重塔ですね。岐阜城自体は斉藤道三が周辺の監視のために建てたものですが、この信長の時代は明らかに四方の地域にその権威を見せ付けるための城に作り変えられています。ふもとの信長御殿は、この岩壁を削って人口の滝を流し、見事な庭園を作って宣教師や有力武将をもてなしたのだとか。地形マニアであったかは分かりませんが(笑)もしも信長が生きていたら、天下統一後にお伊勢参りなどと同様、信長御殿へ参拝に訪れる「岐阜参り」が一大ブームになっていたかもしれません。そうなれば「名古屋は岐阜の植民地」になっていたかも!?・・・まあ、残念ながら上洛を急いだ信長はさらに京に近い安土に新しく城を作ってそちらへ行ってしまいましたけどね。
「信長公のおもてなしが息づく戦国城下町・岐阜」は、日本遺産にもなっています。岐阜命名450年もあと1ヶ月、鵜飼はとっくに終わり、信長公ギャラリーもあと2週間で終わりますが、岐阜城とロープウェーは年中無休です。是非観光にどうぞー
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