今日は午後から外用流しのリピーターさん教室。って事で午前中は、コープみらい東京さんから夏の子供教室の依頼が来て、至急サンプル提出って事で・・・下絵になるんだけれど・・・。
東京さんは去年、カワウソの時計だったかな?割とリアルな感じもあって、大人の方もいたりして・・・。ちなみに埼玉さんでは貯金箱って事になってて、メンダコの貯金箱にしたのね。
ここが中々難しく、良くある質問にこれ何ですか?って言う事が多々あって・・・単なる飾りではパンチが無いんだろうね。要するに鍋敷きとか、時計とか貯金箱って言う使えるネームが入ると、
チラシを見てすぐに判るから、依頼主にお客さんから質問は出ないのね。でもそれをメンダコの飾り・・・となると、あぁ飾りかぁ・・・みたいな反応になる事があるのね。これはワークショップ
でもあるんで、それは判るんだけれど、人数が決まっている場合、用意も出来るけれど、流石に100均であらかじめ買うなんて事になると、事前に買い占め的に買わないとならず・・・。
しかも手狭なアトリエなんで、かさ張るようなものは中々厳しいのね。しかも箱的なものは、必ず欲しい数を買える訳じゃなくて、4つセットみたいな事もあったり、もう店舗にあるだけ・・・
って事になると、ほうぼう買いに出掛ける事になるのだけれど、それを揃えるのに数十店舗なんて今までも普通にあるのね。しかも多めに買う事になるから、余る事も多々あって・・・。
とは言え、箱を作るとなると、それはそれで中々大変で・・・。そんな事もあって箱モノは難しいのね。それはそうと、今回はサンシャインの水族館へ行った事もあって、浮かぶものがペンギン。
だからこうなったんだけど・・・


まぁ何と無くカッコは付いたかな?とは思うんだけれど・・・。そんなこんなのお教室。前々からそろそろハンドルネームが欲しいなぁって思っていたんだけれど、寅さんって事になったのね。
それが虎さんが作った流しの画像を見た仁科さんが、凄く評価してくれた話が出たんだけれど、本人としては、嬉しいやら恥ずかしいやら、恐縮するやら・・・となると、遠慮が美徳になりやすい
ものでね・・・ただそこをキチンと理解出来ないと、俺の立ち位置が変わった時に、色々あるだろうな・・・と、理解出来ないだろうけれど、説明をする事にしたのね。例えば一般的に何かを見た
時に、全然興味が無かったとしても、何か曖昧な表現をしてお互い傷付かないようにする・・こんな事が普通だと思うのね。所が仁科さんはタイル屋。その人が評価したとなると、単なる体裁の
話では無くなるのね。そしてタイル組合の理事となると話は変わって来る。ではその話の何処の何が評価対象になるのか?ここね。まぁ世の中の仕組みの話になるんだけれど、そもそもが自分の
知らない事を受け入れる素直な人と、そんなもんは・・・と否定する人って言うのがいる。その時に、技術なんてもんはやった事の無い人には判らないから、大抵は好みで判断される。
これが基本。そこに対人関係なんてしがらみを乗せると、他人さんなら厳しくもしやすいし、知り合いとなると、嫌われたくない・・・なんて思えば、素敵じゃないぃとか、良いかもって言えば、
曖昧に事は進む訳で。まぁ簡単に言えば、出来もしないのに、スポーツ選手に何やってんだよっって叱咤したり、前の歌のが良かったなっ・・・ってな具合にアーチストの新曲をけなしたり、
詰まんないお笑い・・・とか、人は知らない人だから・・・と簡単にけなしたりする。これがへっぽこな子供の歌、踊り、絵だとしても、良く頑張ったねーと簡単に褒める。これが子供枠。
それが上手いと大人顔負けって表現になる。つまりここには、大人より劣っている前提の表現が含まれていたりする。こうした第三者の感想って言うのは残酷なものだって前提とすると、タイル屋
さんに評価をされた・・・ここで大事なのは、タイル屋さんって一体何?ここなのね。それは壁や床にキチンと水平垂直に張ったり、水を流すように勾配を取って見たり、いわゆる建築について
のプロなのね。じゃそれは逆を返せば、キチンと張る事は出来ても、絵は作れるとは限らないって事でもある。つまりモザイクは素人に毛が生えた程度かも知れないって事でもある。
ここを前提に、キチンと判断出来るのは、水平垂直に張った外側内側の張った部分のタイルは、タイル屋さんでも出来る部分であり、流しの床部分の鯉のモザイク画は、あくまでモザイクであり、
出来る上の評価では無いって事。こうしてキチンと何の何処がと判断しないと、評価を受けた時に一喜一憂してしまうものなのね。そもそも大抵は曖昧な評価なのだから。でもいつか俺の立ち位置が変わった時、必ずその評価は大きく変わるはずだから・・・。
となると、タイル屋さん部分が、素人の割にキチンと張ってある・・・とするのなら、タイルやさん部門は合格点に見えた事になる。そして仁科さん自体が鯉の部分を作れなかったとしたら?
凄いね・・・って事になったとしたら、モザイク部分の評価が高かった事になる。とても判りやすい評価なのね。じゃこれをかぐやの作品だとする。ほぼ絵画的に額の中作品。だから美術。
それを建築の人が美術の評価をする事になる。だからお手上げです・・・となる。簡単な話なのね。所が、これを美術と扱うと、美術サイドにすれば、素人の割に上手いとか、上目線で来る。
勿論そこには、履歴書的に一行目に美大の名前でもあれば、認めやすいが、俺を含めた人達の多くは全くそんな経歴は無し。まぁ相手にされる事は普通無いだろうね。では逆にじゃタイルサイドに
評価となると、どうなるのかなぁ?・・・まぁデビルマンの仕組みなのね。悪魔からは人間扱い、人間からは悪魔扱い・・・これを立派な人を使って表現すると誰も逃げ道無しになる。
例えばガウディ。じゃガウディって何屋さん?って言うと、設計士って言ったとする。じゃ今の設計士って無能だねって事になる。だって何百年前の人を未だに超えられないんだもの。
そもそも手書きだよ・・・それを機械も便利になり、何もかも有利なはずなのにね。って事になると、こっちの分野に来て欲しく無いから、いやガウディは芸術家だよってな事になる。
じゃ芸術家と言うのなら、芸術家は建築出来ないんだ・・・やっぱへっぽこじゃんって事になる。つまりこうして自分の分野に来て欲しくない存在になると、例外な人扱いとなるのね。
ここまでは良く考えれば、キチンと何の何処が・・・と掘り下げれば、自分の評価を人に流されずに受け入れられるのね。更に言えば、アイアンの人でもあり、大理石の人でもあると、もはやどの
分野にも幅の利く人になる。ってこの位までは、知識で行けるから、文献見れば判るし、でもモザイク好きだと、そこを評価しちゃうんだけれど、俺はガウディの中で一番へっぽこなのがモザイク
だと思っているんだけれどね・・・だって見劣りするんだもの。そもそも弟子にやらせたらしいじゃん・・・モザイク。俺の持論は、ガウディは色弱のような目の病気だったと思うのね。
だから設計士もアイアンも大理石も、得意なものに色は要らない。でもモザイクだけは色だらけ・・・自信持っては出来なかろう。って思うのね。形は得意でも色はね・・・と。
これは想像。そして決定的なのは本当に凄いのは、そんな腕の話ばかりでは無く、自分の財産をはたいてまでも寺院の補修などに貢献をしたって部分なのね。つまり大谷さん。野球が上手いだけで
無く、広める為の生きる広報でもあったりする。だからガウディと一緒なのね。凄さが。上手い奴なんていくらでもいる。けれどただ技術が凄いって言うのは、最高で美空ひばりさんなのね。
歌は上手くても、作詞作曲や演奏は出来ない。仮にやったとして、歌より見劣りしていては本末転倒。別にけなすつもりで名前を上げている訳じゃ無いけれど、事実のみ。こんな事を有名人で
例えて考えると、自分は趣味だし・・・って言う人がほとんどなのね。そうねその通り。でもね、どの人達もみんな最初はアマチュアなのね。小学生のプロ野球選手いないでしょ?みんな素人。
でもね、自分が望む望まないに限らず、実力者は選ばれる事になる。その時に、モザイクの実力者って一体どんな人で、一体何処あたりが底辺の人になるのかな?・・・何事にもピンから霧まで。
つまり本当に底辺のプロって人と見比べられた時に、見劣りするのかな・・・俺の生徒さん達って。そのプロって人達の底辺としか戦えないかな?・・・俺の教えた中学生達・・・。
俺の立ち位置が変わると、みんなの評価も変わるはず・・・俺は別に何も変わるつもりは無いが、その日が来る前に心の準備だけはして置いて欲しいのね。って話を戻して、つまりこうした事を
踏まえて、仁科さんに興味を持たれたって事は、もしかすると人に見られる場所に連れて行かれる可能性もある・・・って事なのね。ちなみに俺もかぐやも匠の祭典と言った東京フォーラムで、
展示された事がある。そんな場所にはピッタリかもね・・・俺達の作品よりも。何故なら建築に関係している作品だから。だって外用流しなのだから・・・。それでは昨日の作品のご紹介。






いつかこの方達ですら、評価の対象になるのかもね・・・ゆずでもGrayでも、アマチュアな時は路上に数人しか集められなかった・・・売れていない時にやってくれた人達・・・ほんのわずかの。
とてもレアだね・・・有難う。俺はこの人達にお礼するのなら、必ず日の目を見る場所に行ければ、あの時やった・・・って自慢して貰える。そう願っているのね・・・毎回。
東京さんは去年、カワウソの時計だったかな?割とリアルな感じもあって、大人の方もいたりして・・・。ちなみに埼玉さんでは貯金箱って事になってて、メンダコの貯金箱にしたのね。
ここが中々難しく、良くある質問にこれ何ですか?って言う事が多々あって・・・単なる飾りではパンチが無いんだろうね。要するに鍋敷きとか、時計とか貯金箱って言う使えるネームが入ると、
チラシを見てすぐに判るから、依頼主にお客さんから質問は出ないのね。でもそれをメンダコの飾り・・・となると、あぁ飾りかぁ・・・みたいな反応になる事があるのね。これはワークショップ
でもあるんで、それは判るんだけれど、人数が決まっている場合、用意も出来るけれど、流石に100均であらかじめ買うなんて事になると、事前に買い占め的に買わないとならず・・・。
しかも手狭なアトリエなんで、かさ張るようなものは中々厳しいのね。しかも箱的なものは、必ず欲しい数を買える訳じゃなくて、4つセットみたいな事もあったり、もう店舗にあるだけ・・・
って事になると、ほうぼう買いに出掛ける事になるのだけれど、それを揃えるのに数十店舗なんて今までも普通にあるのね。しかも多めに買う事になるから、余る事も多々あって・・・。
とは言え、箱を作るとなると、それはそれで中々大変で・・・。そんな事もあって箱モノは難しいのね。それはそうと、今回はサンシャインの水族館へ行った事もあって、浮かぶものがペンギン。
だからこうなったんだけど・・・


まぁ何と無くカッコは付いたかな?とは思うんだけれど・・・。そんなこんなのお教室。前々からそろそろハンドルネームが欲しいなぁって思っていたんだけれど、寅さんって事になったのね。
それが虎さんが作った流しの画像を見た仁科さんが、凄く評価してくれた話が出たんだけれど、本人としては、嬉しいやら恥ずかしいやら、恐縮するやら・・・となると、遠慮が美徳になりやすい
ものでね・・・ただそこをキチンと理解出来ないと、俺の立ち位置が変わった時に、色々あるだろうな・・・と、理解出来ないだろうけれど、説明をする事にしたのね。例えば一般的に何かを見た
時に、全然興味が無かったとしても、何か曖昧な表現をしてお互い傷付かないようにする・・こんな事が普通だと思うのね。所が仁科さんはタイル屋。その人が評価したとなると、単なる体裁の
話では無くなるのね。そしてタイル組合の理事となると話は変わって来る。ではその話の何処の何が評価対象になるのか?ここね。まぁ世の中の仕組みの話になるんだけれど、そもそもが自分の
知らない事を受け入れる素直な人と、そんなもんは・・・と否定する人って言うのがいる。その時に、技術なんてもんはやった事の無い人には判らないから、大抵は好みで判断される。
これが基本。そこに対人関係なんてしがらみを乗せると、他人さんなら厳しくもしやすいし、知り合いとなると、嫌われたくない・・・なんて思えば、素敵じゃないぃとか、良いかもって言えば、
曖昧に事は進む訳で。まぁ簡単に言えば、出来もしないのに、スポーツ選手に何やってんだよっって叱咤したり、前の歌のが良かったなっ・・・ってな具合にアーチストの新曲をけなしたり、
詰まんないお笑い・・・とか、人は知らない人だから・・・と簡単にけなしたりする。これがへっぽこな子供の歌、踊り、絵だとしても、良く頑張ったねーと簡単に褒める。これが子供枠。
それが上手いと大人顔負けって表現になる。つまりここには、大人より劣っている前提の表現が含まれていたりする。こうした第三者の感想って言うのは残酷なものだって前提とすると、タイル屋
さんに評価をされた・・・ここで大事なのは、タイル屋さんって一体何?ここなのね。それは壁や床にキチンと水平垂直に張ったり、水を流すように勾配を取って見たり、いわゆる建築について
のプロなのね。じゃそれは逆を返せば、キチンと張る事は出来ても、絵は作れるとは限らないって事でもある。つまりモザイクは素人に毛が生えた程度かも知れないって事でもある。
ここを前提に、キチンと判断出来るのは、水平垂直に張った外側内側の張った部分のタイルは、タイル屋さんでも出来る部分であり、流しの床部分の鯉のモザイク画は、あくまでモザイクであり、
出来る上の評価では無いって事。こうしてキチンと何の何処がと判断しないと、評価を受けた時に一喜一憂してしまうものなのね。そもそも大抵は曖昧な評価なのだから。でもいつか俺の立ち位置が変わった時、必ずその評価は大きく変わるはずだから・・・。
となると、タイル屋さん部分が、素人の割にキチンと張ってある・・・とするのなら、タイルやさん部門は合格点に見えた事になる。そして仁科さん自体が鯉の部分を作れなかったとしたら?
凄いね・・・って事になったとしたら、モザイク部分の評価が高かった事になる。とても判りやすい評価なのね。じゃこれをかぐやの作品だとする。ほぼ絵画的に額の中作品。だから美術。
それを建築の人が美術の評価をする事になる。だからお手上げです・・・となる。簡単な話なのね。所が、これを美術と扱うと、美術サイドにすれば、素人の割に上手いとか、上目線で来る。
勿論そこには、履歴書的に一行目に美大の名前でもあれば、認めやすいが、俺を含めた人達の多くは全くそんな経歴は無し。まぁ相手にされる事は普通無いだろうね。では逆にじゃタイルサイドに
評価となると、どうなるのかなぁ?・・・まぁデビルマンの仕組みなのね。悪魔からは人間扱い、人間からは悪魔扱い・・・これを立派な人を使って表現すると誰も逃げ道無しになる。
例えばガウディ。じゃガウディって何屋さん?って言うと、設計士って言ったとする。じゃ今の設計士って無能だねって事になる。だって何百年前の人を未だに超えられないんだもの。
そもそも手書きだよ・・・それを機械も便利になり、何もかも有利なはずなのにね。って事になると、こっちの分野に来て欲しく無いから、いやガウディは芸術家だよってな事になる。
じゃ芸術家と言うのなら、芸術家は建築出来ないんだ・・・やっぱへっぽこじゃんって事になる。つまりこうして自分の分野に来て欲しくない存在になると、例外な人扱いとなるのね。
ここまでは良く考えれば、キチンと何の何処が・・・と掘り下げれば、自分の評価を人に流されずに受け入れられるのね。更に言えば、アイアンの人でもあり、大理石の人でもあると、もはやどの
分野にも幅の利く人になる。ってこの位までは、知識で行けるから、文献見れば判るし、でもモザイク好きだと、そこを評価しちゃうんだけれど、俺はガウディの中で一番へっぽこなのがモザイク
だと思っているんだけれどね・・・だって見劣りするんだもの。そもそも弟子にやらせたらしいじゃん・・・モザイク。俺の持論は、ガウディは色弱のような目の病気だったと思うのね。
だから設計士もアイアンも大理石も、得意なものに色は要らない。でもモザイクだけは色だらけ・・・自信持っては出来なかろう。って思うのね。形は得意でも色はね・・・と。
これは想像。そして決定的なのは本当に凄いのは、そんな腕の話ばかりでは無く、自分の財産をはたいてまでも寺院の補修などに貢献をしたって部分なのね。つまり大谷さん。野球が上手いだけで
無く、広める為の生きる広報でもあったりする。だからガウディと一緒なのね。凄さが。上手い奴なんていくらでもいる。けれどただ技術が凄いって言うのは、最高で美空ひばりさんなのね。
歌は上手くても、作詞作曲や演奏は出来ない。仮にやったとして、歌より見劣りしていては本末転倒。別にけなすつもりで名前を上げている訳じゃ無いけれど、事実のみ。こんな事を有名人で
例えて考えると、自分は趣味だし・・・って言う人がほとんどなのね。そうねその通り。でもね、どの人達もみんな最初はアマチュアなのね。小学生のプロ野球選手いないでしょ?みんな素人。
でもね、自分が望む望まないに限らず、実力者は選ばれる事になる。その時に、モザイクの実力者って一体どんな人で、一体何処あたりが底辺の人になるのかな?・・・何事にもピンから霧まで。
つまり本当に底辺のプロって人と見比べられた時に、見劣りするのかな・・・俺の生徒さん達って。そのプロって人達の底辺としか戦えないかな?・・・俺の教えた中学生達・・・。
俺の立ち位置が変わると、みんなの評価も変わるはず・・・俺は別に何も変わるつもりは無いが、その日が来る前に心の準備だけはして置いて欲しいのね。って話を戻して、つまりこうした事を
踏まえて、仁科さんに興味を持たれたって事は、もしかすると人に見られる場所に連れて行かれる可能性もある・・・って事なのね。ちなみに俺もかぐやも匠の祭典と言った東京フォーラムで、
展示された事がある。そんな場所にはピッタリかもね・・・俺達の作品よりも。何故なら建築に関係している作品だから。だって外用流しなのだから・・・。それでは昨日の作品のご紹介。






いつかこの方達ですら、評価の対象になるのかもね・・・ゆずでもGrayでも、アマチュアな時は路上に数人しか集められなかった・・・売れていない時にやってくれた人達・・・ほんのわずかの。
とてもレアだね・・・有難う。俺はこの人達にお礼するのなら、必ず日の目を見る場所に行ければ、あの時やった・・・って自慢して貰える。そう願っているのね・・・毎回。