今日は蛸の椅子を中心に・・・。何しろまず吸盤作りとなると、まず何色かの丸いタイルを半分に切り、中心部をえぐって、円周を少しずつ小さくして、真ん中にエンジのタイルを切って入れて、
合体。これを張ったら一度ここを離れて、少し乾くまでまた繰り返して切る。ここで続けて、その丸の輪郭をエンジで包む・・・ってやると、はみ出したボンドでベタベタにしたり、ピンセットで
動かしたりしてしまうのね。だから、あっちを攻めたりこっちを攻めたり、時に時間稼ぎのように切るだけにしたり・・・ここは工夫をするのね。ただそれでもあれこれ張ると、どうしても無理に
張る姿勢の時もあるから、知らずに擦ったりして、肘だったり袖だったり、あぁこれ以上は無理だな・・・なんて時は全面撤退となって、じゃ下地って事になり、作家から先生に変わるのね。
今回のメンダコ下地は立体なんで、頭が半丸で膨らんでいるのね。その半丸の部位切り。以前、四角くは何十枚か切って置いたんで、今日はそれを丸く切るんだけれど、何しろ電動糸鋸の対応する
厚みが限界って感じだから、ギリギリって事だから、いつものように進まないのね。当然ながら。まぁ簡単に言えば、豆腐を切るのと、かぼちゃを切るの、同じ包丁なのに進みが悪いって話。
ただ例えば、いつもの良い事と悪い事は背中合わせ・・・って事を踏まえて考えると、柔らかいものと硬いものの比較とか、薄いものと厚いものの比較みたいな事に置き換えるのね。
そして自分の性格、フォワードかディフェンダーって話ね。そこに乗せる。上級者なら、そこに今日の気分って言うものも考慮に入れて考えれば、何を選択すべきか?って、改めて思わなくても、
これになっちゃうよな・・・ってほぼ選択するものは決まるって話になるのね。まずいつもの木なら、この位の内容なら1時間にこのくらいは出来る・・・って経験値で想像が付くのね。
それがベテラン。ただ木質が変われば、当然いつもとは違うのね。柔らかければ進むし、硬ければ進まない。ただこの進むって言うのは能率の話では無く、刃の進み具合ね。しかも柔らかければ、
摩耗も少なく、硬ければ刃が立たない・・・つまり刃が折れる。逆に柔らかいと刃の負担は少なく進み具合も良いとしたら、凄く都合が良くなるだろうが、悪い事は進み過ぎて切り過ぎてしまう。
こんな事に俺の性格がキーパーだとすると、守りの人だから、話半分くらいにしたとして・・・って、進み具合を楽観視せずに考えるんだけれど、そこに気分なんて曖昧なものが加わるから、
人って難しくなるのね。今日の気分が良いか悪いか?って事で、また左右するのね。まぁ面倒臭い生き物なのね。だから常に今の自分の状況を知らないと、信用ならない訳ね。
例えば本来なら、コーナンで彫って来れば、平面部分の部位が終わるから、区切りが良い。ただ日曜日だから、人が多いし、ここは避けるべき。ピエロにしてもバックのタイルは多いから、手持ち
では足りずに注文したばかり。つまり今やれるのは、蛸の椅子になる。だから朝からやる事になるが、立体の都合上、無理にやると必ずハプニングが起こる。そこでペンキの乾き待ちみたいな時間
に、能率効率的に下地となるが、平面部位はそんな理由から行けないし、そこで立体部の頭となるのね。ただいつもより厚みがあって、硬いよ・・・って言い聞かせてやらないと、何でこんなに
進みが悪いんだ・・・とか、上手く行かないみたいに、ストレスになるものなのね。そこが能率効率の落とし穴。そもそも能率効率って事自体が、大した事をしていない前提の話なのね。
いわゆる作業、誰でも出来るような話ね。大量生産的な・・・つまり簡単だからこそ生産性を上げる為の言葉が、能率効率であって、画家に能率効率で描けとは言わないのね。
話を戻して、作品作りのプレッシャー開放が下地であって、そっちは作業で楽側だとしたら、能率効率でやりたい・・・って時にストレスが掛かってしまっては、ダメージが大きいのね。
だから無理せず早めの始動なんだから、無理やりやったり、夢中にならない・・・って思っていないとついつい頑張ろうとするのね。しかもまだキーパーがフォワードになるような時間帯では無く
キッチリいつも通りの進み方であれば、余力を残した時点で攻撃に入る・・・つまりやりたい事は最後・・・そもそも蛸の椅子ってだけなら、蛸に見えりゃ良いだけ。それは工芸なのね。
きちんと意味が無きゃ、わざわざ手間を掛ける必要が無いのね。ってスタイルなのね。勿論、工芸品側で頼まれれば、それはそれとして仕事って気持ちでやるけれど、大きく気持ちを変えないと、
ならないのね。そもそも工芸品みたいな感覚なら、みんな同じ・・・って事になるから、甲乙丙丁があってはならないのね。昨日と今日の鍋敷きが同じものなのに差がある・・・最悪なのね。
でも美術、芸術は一点もの。つまり作家としては昨日の自分を超えたくなるのね。常に今日が最高になりたいから。所が、かつてのものを簡単に超えられる時は良いが、そう簡単に超えられない日
がやって来るのね。分かり易いのは超一流みたいなヒットを出した人達。例えば、20代で、人生を歌ってしまった拓郎さん。普通は20代って言うのは、ファンも同じような歳だから、恋愛の歌を
歌うもんなのね。それをファンは自分に置き換えて、各自の思い出にする・・・所が、拓郎さんとそのファンの人達は、20代で人生を語っちゃったのね。まぁおませさんなのね。でもね、所詮
20代・・・本当の意味が判るのはずっと先なのね。でもそれをずっと支えに生きて来たのね。そうなると、今頃丁度、その歌が本当に沁みている歳になったと思うのね。でもそうなると、新曲が
刺さるか?となると、恐らく新曲だけのライブでは、物足らないだろうね・・・ファンは。だって昔の歌が感慨深いのだから。そりゃ辞めるって言うわな。届かないのだから。中にはそこに迷い
死んでしまった人達もいる。とても残酷な世界でもある。一発当てたい・・・と東京に上京し、売れなくて埋もれてしまった者達がいて、その中にかずかながらに当てた奴がいる。でも、自分越え
が出来ずに一発屋ってレッテルで残る奴もいる。一発当てるのが難しいのに。でもそれをも超越した人達がいる。しかも70歳にもなっているのに、若造達と戦わないとならない。
中々果てしない戦いである。しかもそんなベテランは家族を守るだけでは無く、大所帯になれば、バンドメンバーだけで無く、スタッフの家族まで守らないとならない・・・過酷である。
もうそうなると自分であって、自分では無いだろうね・・・きっと。まぁそうなりたい・・・って言うのは簡単だが、そうするには?って布石を打たないとならないし、やる事は多いのね。
ただ何しろこの2ヶ月・・・もがいてます、あがいてます・・・って言うのと、やさぐれを楽しめるような気持ちで過ごさないと、今までの単なる2ヶ月とは意味が違う・・・って生きないと・・と
思っているのね。
合体。これを張ったら一度ここを離れて、少し乾くまでまた繰り返して切る。ここで続けて、その丸の輪郭をエンジで包む・・・ってやると、はみ出したボンドでベタベタにしたり、ピンセットで
動かしたりしてしまうのね。だから、あっちを攻めたりこっちを攻めたり、時に時間稼ぎのように切るだけにしたり・・・ここは工夫をするのね。ただそれでもあれこれ張ると、どうしても無理に
張る姿勢の時もあるから、知らずに擦ったりして、肘だったり袖だったり、あぁこれ以上は無理だな・・・なんて時は全面撤退となって、じゃ下地って事になり、作家から先生に変わるのね。
今回のメンダコ下地は立体なんで、頭が半丸で膨らんでいるのね。その半丸の部位切り。以前、四角くは何十枚か切って置いたんで、今日はそれを丸く切るんだけれど、何しろ電動糸鋸の対応する
厚みが限界って感じだから、ギリギリって事だから、いつものように進まないのね。当然ながら。まぁ簡単に言えば、豆腐を切るのと、かぼちゃを切るの、同じ包丁なのに進みが悪いって話。
ただ例えば、いつもの良い事と悪い事は背中合わせ・・・って事を踏まえて考えると、柔らかいものと硬いものの比較とか、薄いものと厚いものの比較みたいな事に置き換えるのね。
そして自分の性格、フォワードかディフェンダーって話ね。そこに乗せる。上級者なら、そこに今日の気分って言うものも考慮に入れて考えれば、何を選択すべきか?って、改めて思わなくても、
これになっちゃうよな・・・ってほぼ選択するものは決まるって話になるのね。まずいつもの木なら、この位の内容なら1時間にこのくらいは出来る・・・って経験値で想像が付くのね。
それがベテラン。ただ木質が変われば、当然いつもとは違うのね。柔らかければ進むし、硬ければ進まない。ただこの進むって言うのは能率の話では無く、刃の進み具合ね。しかも柔らかければ、
摩耗も少なく、硬ければ刃が立たない・・・つまり刃が折れる。逆に柔らかいと刃の負担は少なく進み具合も良いとしたら、凄く都合が良くなるだろうが、悪い事は進み過ぎて切り過ぎてしまう。
こんな事に俺の性格がキーパーだとすると、守りの人だから、話半分くらいにしたとして・・・って、進み具合を楽観視せずに考えるんだけれど、そこに気分なんて曖昧なものが加わるから、
人って難しくなるのね。今日の気分が良いか悪いか?って事で、また左右するのね。まぁ面倒臭い生き物なのね。だから常に今の自分の状況を知らないと、信用ならない訳ね。
例えば本来なら、コーナンで彫って来れば、平面部分の部位が終わるから、区切りが良い。ただ日曜日だから、人が多いし、ここは避けるべき。ピエロにしてもバックのタイルは多いから、手持ち
では足りずに注文したばかり。つまり今やれるのは、蛸の椅子になる。だから朝からやる事になるが、立体の都合上、無理にやると必ずハプニングが起こる。そこでペンキの乾き待ちみたいな時間
に、能率効率的に下地となるが、平面部位はそんな理由から行けないし、そこで立体部の頭となるのね。ただいつもより厚みがあって、硬いよ・・・って言い聞かせてやらないと、何でこんなに
進みが悪いんだ・・・とか、上手く行かないみたいに、ストレスになるものなのね。そこが能率効率の落とし穴。そもそも能率効率って事自体が、大した事をしていない前提の話なのね。
いわゆる作業、誰でも出来るような話ね。大量生産的な・・・つまり簡単だからこそ生産性を上げる為の言葉が、能率効率であって、画家に能率効率で描けとは言わないのね。
話を戻して、作品作りのプレッシャー開放が下地であって、そっちは作業で楽側だとしたら、能率効率でやりたい・・・って時にストレスが掛かってしまっては、ダメージが大きいのね。
だから無理せず早めの始動なんだから、無理やりやったり、夢中にならない・・・って思っていないとついつい頑張ろうとするのね。しかもまだキーパーがフォワードになるような時間帯では無く
キッチリいつも通りの進み方であれば、余力を残した時点で攻撃に入る・・・つまりやりたい事は最後・・・そもそも蛸の椅子ってだけなら、蛸に見えりゃ良いだけ。それは工芸なのね。
きちんと意味が無きゃ、わざわざ手間を掛ける必要が無いのね。ってスタイルなのね。勿論、工芸品側で頼まれれば、それはそれとして仕事って気持ちでやるけれど、大きく気持ちを変えないと、
ならないのね。そもそも工芸品みたいな感覚なら、みんな同じ・・・って事になるから、甲乙丙丁があってはならないのね。昨日と今日の鍋敷きが同じものなのに差がある・・・最悪なのね。
でも美術、芸術は一点もの。つまり作家としては昨日の自分を超えたくなるのね。常に今日が最高になりたいから。所が、かつてのものを簡単に超えられる時は良いが、そう簡単に超えられない日
がやって来るのね。分かり易いのは超一流みたいなヒットを出した人達。例えば、20代で、人生を歌ってしまった拓郎さん。普通は20代って言うのは、ファンも同じような歳だから、恋愛の歌を
歌うもんなのね。それをファンは自分に置き換えて、各自の思い出にする・・・所が、拓郎さんとそのファンの人達は、20代で人生を語っちゃったのね。まぁおませさんなのね。でもね、所詮
20代・・・本当の意味が判るのはずっと先なのね。でもそれをずっと支えに生きて来たのね。そうなると、今頃丁度、その歌が本当に沁みている歳になったと思うのね。でもそうなると、新曲が
刺さるか?となると、恐らく新曲だけのライブでは、物足らないだろうね・・・ファンは。だって昔の歌が感慨深いのだから。そりゃ辞めるって言うわな。届かないのだから。中にはそこに迷い
死んでしまった人達もいる。とても残酷な世界でもある。一発当てたい・・・と東京に上京し、売れなくて埋もれてしまった者達がいて、その中にかずかながらに当てた奴がいる。でも、自分越え
が出来ずに一発屋ってレッテルで残る奴もいる。一発当てるのが難しいのに。でもそれをも超越した人達がいる。しかも70歳にもなっているのに、若造達と戦わないとならない。
中々果てしない戦いである。しかもそんなベテランは家族を守るだけでは無く、大所帯になれば、バンドメンバーだけで無く、スタッフの家族まで守らないとならない・・・過酷である。
もうそうなると自分であって、自分では無いだろうね・・・きっと。まぁそうなりたい・・・って言うのは簡単だが、そうするには?って布石を打たないとならないし、やる事は多いのね。
ただ何しろこの2ヶ月・・・もがいてます、あがいてます・・・って言うのと、やさぐれを楽しめるような気持ちで過ごさないと、今までの単なる2ヶ月とは意味が違う・・・って生きないと・・と
思っているのね。