今日はまず親子3代のご近所さん教室から。それではお母さんから・・・。もうかなり切る事には慣れて、とうとう上半身が終わったのね。こうなると、もう
尻尾は大きいパーツで逃げ切れるんで、次回はかなり進むと思うから、一挙に終わるような気持ちだったりするかも知れないけれど、腰ミノのヒラヒラしている繰り返しは中々大変。
同じ幅を保って切る・・・恐らくここまで切って来たから、大変なのは知っているから大丈夫だと思うけど、何しろ色も左程選べないし、そもそも繰り返しは
気持ちが折れやすいのね。例えば味覚なら、わんこそばみたいなもんで、食べても食べても減らないし、同じ味・・・いずれにしても、味変なんてあったり
するのだから、単調って言うのはきつい事は判るのね。だから同じように、
小4ではこの作品は相当きついはずなのね。何しろ口元には細い黒ばかりだし、大きいパーツは出て来ない。ライバルの猫のお母さんは恐らく必ず先に終わる。
髪に入れば、なおかつ進まない・・・ただそこを乗り切れば、彼女はまた大人になるのだから、手慣れる事に加える大人に・・・ってプラス要素はある。
ただママは新作の金魚に、猫のお母さんも自分よりも先に・・・って気持ちは、中々立て直すのが難しいだろうけど・・・ピカソが好きって気持ちと、
ここに飾るんだ・・・ってモチベーションがあれば、何とか逃げ切れるとは思うのね。ただ今日は少しお正月明けだった事もあるので、いつもよりもペース
が落ちていた感じもしたのね。そりゃ大人でも、旅行に行ったり、娯楽で満喫って言う楽しさを味わったら、物作りって言うのはとても地味な趣味なのね。
これが日常であるのなら、物作りって言うのは、雨でも楽しめるし、遠くに行ってヘトヘトって言うのも無く、ご近所って言う利点はあるのね。しかしながら
良い事と悪い事は背中合わせで、派手な事と比較されると、地味だし、ライブを見て興奮したとか、ジェットコースターに乗ったとか、初日の出みたいな、
神々しさや特典も無いし、映画や音楽のような感動の涙も無い。美術館で泣けるのなら相当なツワモノ。つまり日常に溶け込むと、毎日のご飯みたいになる
のね。そんな場合、それが食べられなくなるような事が起きたりした時に、有難み・・みたいな事にならないと、よもすれば退屈とか、何でこんなのやった
んだろう・・・って事になり兼ねないのね。それが大作なのね。誰にでも出来る事じゃ無いのね。これが単なる楽しさなら、1回で終わるものを作れば、
その時だけ楽しい・・・で済むのね。けれど大作って言うのは、楽しいでは無くて、凄いものを作っている訳で・・・凄いものは簡単でも無いし、楽しくも
無い。それが出来た時の達成感や空虚感、それを見た人達の驚きや称賛なんてもんで、完成の時にシュールに感じるものだったりして・・・それがずっと
続くものなのね。それをコースターを見せられてもね・・・って話。だから当然こうした気持ちが乗らない・・・って日は必ず来るのね。ただピカソ好き・・
大した話にはならないだろう。きっと。そんなこんなでママは・・・
立体にも付いて来てるし、進まないのも平気だし、1cmタイルの硬さや細かさにも問題無く・・・まだ始まったばかりで、このグレードをキープ出来るのだから、相当期待値が高いのね。
これなら世の中の金魚好きに欲しい・・・って言わせられるのが出来る。琉金なら、江戸川なら堀口養魚場だな。ってな話。江戸川区の区民展なんて言うのも良いな・・・。
いずれにしても、みんなモザイクに慣れて来たのね。そんな後は夜の健さん。
ここはもう自力で完成させてくれれば良いだけ。そうすれば、俺はほぼ何にも教えてない・・・って感じになる。ただ世間話をしただけ。まっそれで十分。
だから、昨日の水族館の下絵を描き続ける事にして・・・
まだ話は決まっていないけれど、決まってから考えた・・・なんて普通過ぎてね。そこの人達よりも俺のが本気って言うのだけは、常に見せないとね。
だから決まろうが決まらなかろうが、そんなの関係ねぇーのね。こっちのやる気だけ伝えれば・・・。本気って言うのはそう言うもん。ただ笑えるのは、
こんな可愛い絵を描いているのに、前では健さんがこれを作っている。時よりモザイクの話もするけれど、他人が見たら、どっちが先生か判らないのね。
ただこの下絵も難しく・・・イベントだから、先を急ぐ人達の体験、値段を抑えて、時間も抑えて、誰でもそこそこな仕上がりで・・・ってハードルが何個も
ある。俺が作る訳じゃ無いからね・・・まっ、それは教室も同じで、みんなが作っている作品って、俺は作った事無いものばかり。勿論、金魚はあるけど、
サンプルとして同じものでは無いから、こんな感じ・・・って言っているだけ。でもここまでのグレードになる。誰でも最後まで行けば、ちゃんと結果は出る。
ただその普通の最後まで・・・って言う継続は力なり。って言うのは、誰でも権利があるものの、誰もが出来ない事なのね。それは一見難しそうな事だが、
理屈さえ判れば簡単な話で、それが心技体なのね。技なんて繰り返せば誰もがそこそこ上手くなる。体は健康であれば・・・つまり一番大事なのは心。
その心は、気持ちなんて気は見えない。見えないものを鍛えるって?技術なんて見えるものに左右されるのと、見えないものに左右なんかされない・・・って、
思う事が出来るのなら、フォワードチックで済むし、繊細さなんか持てば、いちいちストイックになるし、雨が降っただけでも気分なんて気が滅入るし、
それをディフェンダーチックなら、またかぁ・・・みたいな雨男だからとか、厄年だから・・・とか、何かのせいにして、自分のせいにせず、時が解決する迄
ほっとく・・・なんて事なら、何かのせいにして辞めるのも簡単。そして次の楽しみに移行するって事にすれば、数撃ちゃそのうち当たるとでも・・・。
つまりそれを続けている人には、その場しのぎの付け刃ではかなわないのは当たり前・・・って話。つまり心も自分でコントロール出来るようになると、
今日の自分は・・・って振り返る事が出来るのなら、小難しい事やーめよっって事になるし、今日は元気ぃぃ・・・元のままの気、いつも通りだわっ。じゃ
チャレンジーって、失敗しても耐えられる気がある。って具合に、その日の自分に適した行動が取れる。それを楽をし続ければ、楽を好むから、楽が続くと、
その楽が普通になり、また楽を、そしてまた楽をになると、いつか飽きる。それが過酷に追い込むとアスリートみたいにストイックになるし・・・。
それを目標として掲げると、東大、芸大、プロ・・・みたいに掲げれば、全てを注ぎ込んで行けば良いし、趣味って言う居心地の良い言い方でずっと続けられるのなら、その言葉だけで、10年持つか・・・って話。
でもそれが月に1回の10年なら、痛みも薄いが、毎日となれば小学生くらいになる。1日数時間を続けるのだから・・・それが数十時間となればプロに近い。
働きながらの練習なら、ノンプロ。こうやって掘り下げると、自分の枠をアマチュアだから趣味とするのだが、中には売りたいとか教えたいって野望がある
人もいたりする。所が技術を会得しても、営業は教わっていないから、また1から・・・となる事は多々あるし、あくまで資格って話で、会社はそれを分業して
いるのだから、個人経営に休みなんぞあるはずが無い・・・なんて、手を出して気づくなんて事も多々ある。勿論、凄い人脈があって、トントン拍子なんて
事もあるけれどね・・・いずれにしても、続け方があって、続けるにもコツってもんがあり、上手くなるにも当然コツがある。むやみやたらと時間を掛けても
今更、ウサギ跳びしたり、ケツバットで上手くなるなら、みんな大選手なのね。常に方法論的なものはあるはずだから・・・。それをも1つのやり方で、
団体を教えるなんて気味が悪いのね・・・個人レッスンは各々違うから。アトリエの生徒さんは個性的な人ばっかりなんでね・・・。