そして今日は大晦日。昨日粗方総括しちゃった気もするが、まぁそれはそれとして・・・今日は朝、ご近所の親子3代のママのトトロの作品の時計周りの
コーキングやビス止めなんかをやってお届けからスタート。そんな後は実家への買い出しをしたり、そのついでにキウイに恒例になった焼豚を届けてから、
アトリエでプチッと看板を進めて・・・ちょっと野暮用をして、またプチッと看板をやると、あっと言う間に夕方・・・そんな訳で実家に行って年越し蕎麦の準備。
一緒に食べてから、調子が悪いって言う妹の家にも焼豚を届けその足でさくらにも持って行ったのね。こんな平和な大晦日ってこの23年間のモザイク人生に
あっただろうか?・・・まぁだからこそ、絶対やっとかなきゃになるんだけれどね。出来た事がいつか出来なくなる・・・そんな日がいつか必ず来る。
だからこそ、いつかこれが思い出に変わる日が来るから、当たり前の些細な事が一番楽しかった事になるはずだから・・・。俺はいつか、いつか・・・って
売れない芸人や、二軍の選手、地下アイドル・・・こんな気持ちで23年だったかなぁ〜随分と経っちゃったのね。浦島太郎な気分なのね。携わった人達は、
子供が成長して働き出す・・・なんて事があったりって言うと、えらく簡単に終わっちゃうが、弟子のさくらなら、子供が生まれた時からの付き合い。
お祝い事が何度もあって、師匠と言いつつ何も出来ず・・・甘んじる事ばかりだった。そうやって何年も繰り返すと、母の初心者のさくらでも、段々と
お母さんになって行くもんで・・・続けるって言うのはそう言うもんなんだなって実感した。そうやって人の親になるって言うのは、その人に自分の時間を
割く事になる訳で・・・。月並みだが大人になるって言うのは、年齢では無く、そうした当たり前のような事を繰り返してベテランになる。
そう言う事を弟子や常連から、俺は学ばせて貰ったと思っているのね。ただそれが良い事なら、それを見ると言う事は、感受性なんて豊かだと、あぁ俺には
そんな事無く人生を終えるのかぁ・・・って何回も何回も携わり、もっと言えば応援してくれる人と仲良くすれば、人の何倍も感情移入する事になる。
そしてその度に、世話になる事はあっても、何一つお返しが出来ない俺・・・って言う気持ちになるものでね・・・貧しいって言うのは、日々の生活に困る
だけで無く、普通の人達が出来る事が何一つ出来ない・・・不甲斐ない気持ちと生活費に追われる事になるのね。それを確定申告の時に、あれだけやって
このザマかっ・・・ってダメ押しになるのが1年の総括で、たった独り生きるお金をも、人の何倍もやっても稼げないのかぁ・・・と絶望すら感じた。
趣味も持たず、贅沢もせず、ただタイルだけ買って・・・その上、何も知らない人に、好きな事やって暮らせるなんて良いですね・・・って言われ続ける。
心の中では、どこが・・・って気持ちと、悔しさいっぱいでも、まともに答えると、嫌いにならないように努力しているだけが精一杯です・・・になってた。
最初の頃は20年やってたタイル屋の貯蓄は、数年で無くなり、家賃の滞納なんて当たり前のように起こる。携帯は止められ、ご飯もままならない事も何度もあった。
そんな中、世話になっていた人達の前夜の飲み会のおつまみが、食事の代わりだった事も多々ある中、良くその当時の常連さんがお弁当なんかを持って来てくれた。
何度も助けて貰ったりした。作品を作ってもすっぽかされて逃げられたり、何とも因果な仕事だわっ・・・なんて思ったりもした。ただそれすらも慣れる。
そうした気持ちでやって来た事が、心も成長すると、全ては俺が悪いで済むのね。売れない俺が悪い。売れるとこんな事は全て無くなる。普通にタイル屋で
終わっているなら、こんな事は起きなかった。ただモザイクを選んだのだから、売れれば神になり、売れなきゃゴミとなり、死して屍拾う者なし。
芸事で生きるとは?そう言う事だと実感した。何処に楽しさなんて安い言葉がある?・・・生きるって言うのは死と背中合わせなもので、楽しいって言うのは、
生きる前提の上の贅沢なのね。それをそのほんのわずかな事に携わる事になった・・・それが介護。って言っても、ほんのわずか。子供なら出来ない事が
出来た喜びを共有出来るが、大人はどんどんと出来なくなる事が増える。行動範囲も狭まるから、楽しみなんて言うものは限られる。ある意味、俺が俺の
存在だけが楽しみになる・・・この俺で?何とも親ってもんは馬鹿だなって思うのね。普通に立派に暮らしているのなら、自慢の子でも良いけれどね・・・。
ただそれでも何もやらないより、両親が話しをして笑ったりする。だからまた来るね・・・と日々を過ごせる。ただ1日数時間俺の時間はそんな人達の時間になった。
普通はそれを辛くなったり悲しくなると思うのね。でも俺は何もして来なかった。そして今、そんな事なら俺にでも出来る。そしてそれで楽しいと思わせる
事が出来るのなら・・・それを見て良かったな・・・親父もお袋も、そして俺も・・・って思うのね。みんな苦笑いでも笑えているのだから。それが生きているって証拠になる。
貧乏作家の家族の楽しみって言うのは、こんなささやかな事だったりする。ただそれじゃ救いが少ない。だから、俺売れるから、長生きして待っててね・・
だったりする。それがわずかな希望になる。楽しみになる。それは普通で生きていたら、絶対に出来ない事なのね。俺はその人生に身を置いただけ。ただ
親になるって言うのは、そんな時間を過ごした人達が大人になる時間なんだろうね。それが無い俺は、今から介護で大人風味になるんだろうね・・・。
こうやって振り返ると、楽しみは何処にあるんですか?なんて質問されたりもするのね。だから世界遺産をみんなで作るんだよ・・・誰も出来ない事をね。
そもそも振り返った所で何も変わらない。しかしながら、こうやって昨日の事のように振り返れるのは、毎年振り返っていたから。そんな繰り返しで今日も
また1年が終わろうとしている。でも大きく違う事は、人にして貰うだけの1日では無く、人に返せる1日になった・・・ただそれだけ。そして大事なのは、
こんな事が出来なくなる日が来るから・・・そう売れるって言うのは、そう言う事になる。別に何か確信的な事がある訳じゃ無いのね。ただ売れる要素は
入って来た。ターニングポイントとでも言うと、これから始まるピエロの壁画の3つは初めて大通りに面していて、しかも地元である事。そして裏路地の個人
宅では無く、その店舗に入らなくても目に入る事。そしてこの世にモザイクの壁画の店舗なんてそうそう無いと言う事・・・やっと紅白に出られる心境。
そしてそれをあっちこっちで見る事になる。そもそも以前、金魚の作品を作り地元の金魚屋さんにプレゼントをして飾って貰った事があったのね。それがきっかけで、金魚の雑誌に取り上げられた事があった。
そして更に江戸川区の金魚のイベントに呼ばれたりもした。でもそれもいつしか消えて行ったのね。良いでしょ?ドラマチック的には・・・。だって消える
んだもの。忘れ去られる・・・俺はずっと続けているけどね。じゃピエロの壁画の1000円カットの店が何個も・・・って何が起こるんだろう?そして作った人
は誰だろう?・・・そうね、貧乏人の当時の俺がプレゼントする作品なんて、コースター的なもんだから、絵を上手に描く人達と比べたら幼稚な作品に見える
だろうね。それでも金魚の吉田さんだけは、レジの横にずっと飾ってくれていたのね。ただそれで俺の本当の実力を知って頂けただろうか?・・・それを今度は
壁画として何メートルもの大きさで作れるのだから、好みはあれど迫力が違うし、金魚屋さんは金魚の好きな人だけが集まる場所だけど、床屋さんは違う。
見たくても見たくなくても、外の壁画・・・中からも攻めないとね。チラシも貼らせて貰えるだろうし・・・そんな中、大家さんの知り合いが、篠崎店で作品を見たって。
地味に見つかっている。ただそれは店舗の中・・・でっかい花火を打たないとね・・・地元に。そして知られる頃に、今度は制作途中の金魚の看板なんて
言うものもある・・・あの時、コースターしか知らなかった金魚好きが、その壁画を知る事にも繋がる・・・ただ設置はさいたまの愛好家さんの自宅だけどね。
来年はいよいよ裏街道から表舞台に立てる・・・これからは全ての巻き返し。人生の伏線の回収が始まるのね。そりゃ休みなんて無くても良いわ。いつも
そうだったし・・・って今日はおしまい・・・なんて言ってたら普通になっちゃうでしょ?だから、さくらの家からアトリエ直行。当然遊んだんだから、やらなきゃね・・・。
人と同じでは、人と同じか?それ以下の結果しか生まれないしね。非優秀側だから、普通の人のように紅白見たり、初詣に家族で行ったりは無い。
だから良くも悪くも、アトリエだけが俺の居場所になる。ここが俺の基地なんだから・・・ここが一番落ち着くし、ここが一番辛い場所だったりする。
でもね、辛い事があるから、それを越えた時、ちょっぴり良い事があったら、凄く嬉しかったりする。楽しい事をまたより楽しい、そしてまた楽しい・・・
って望めば、とても強欲な普通が待っていると思うのね。だから俺はモザイクがやれて、ご飯が食べられて、関わった人達が笑っていたら、それで楽しい。
とてもシンプルである。ただそこで満足するつもりは一切無いから、売れてモザイクが本当に好きです・・・って言えるまで続けないとならないし、辞めて
しまっては、俺が俺の価値を捨てるようなものだし、何しろ恩返しは俺が売れた姿を見せる事・・・まぁ勿論、そんなもんじゃ満足してくれない人もいるだろうけどね・・・。
ただもう貧乏や、やさぐれた気持ちや、ハングリー精神と言った、貧しく切ない状況からは脱出して、これからは天下取りだけを見る。いよいよ人生のアディショナルタイムに入った・・・さぁ俺にボールをよこせっ。以上が大晦日の
決意表明でした・・・それでは現場からは以上でーす。