今日は朝からリピーターさん教室なんだけど、かぐやも同席で大丈夫って確認を取ったんで、一緒にいたのね。ただ、この方はニクオンだったり、先日の新浦安の泉銀さんからのご紹介イベントにも来て頂いた事もあって、かぐやの事を知っていたりして・・・だから、良い機会だったのね。
何しろイベントの時は、ゆっくり話す機会って言うのは無いからね。そんなこんなで、数時間ではあったけれど、有意義な時間だったと思うのね。その1つが、良くあるケースなんだけれど、個人レッスンの場合、俺とお客さんの2人になるのね。その時に、感想として上手くなった・・・なんて、
事も多々あるのね。そんな時は、迷わずにそれを伝えるのね。ただそれが、先生と生徒の関係だと、先生は誰にでも言うみたいな誤解をすると、褒めても威力が無かったりするのね。それが会う事が少ないかぐやの場合、第三者的な感じで、しかも実力者だから、とても新鮮だったりする。
今日もそんな感じだったのね。そんな後は、先日のパルテノン大通りのマルシェの反省会。そうね、定期的に出店して行こうとすると、あれこれと是正しないとならない事もあって・・・何しろインパクトとして湯婆婆は連れて行きたいとなると、どうしても場所を取るし、運搬する量が増える。
だから軽量化を図りたいのだけれど、他の人達と違ってモザイク作品はかさ張るし、重いのね。だから棚1つにしても、丈夫にしようとすれば、木が重くなる。イメージとしては、家を建てるなら壊れないように作るんだけど、モデルルームを作るなら、壊す前提なのね。全く考え方が違うのね。
だから方や、頑丈になるし、方や見栄え重視で、軽量化になる。壊しやすく、ギリギリって感じにね。ここが最近のお教室での指導の1つで、かぐやと意見がぶつかる事になるのね。まず例えばマルシェに出店をすると決める。じゃどんな方向性にする?って話になると、かぐやの本音はお洒落に・・・
って根底にあるのね。つまりここからスタートをする考えがかぐやの考えになるのね。所が、所がなのね。じゃお洒落とは何ぞや?となった時に、恐らくアクセサリーなんかを売っている人達のブースだと思うのね。じゃそうなるか?って言うと、ここが問題なのね。例えばそうね、映画監督になったと
仮定して、お洒落な映画を撮りたいって話になるのね。かぐや監督は・・・そうなると、誰を使いたい?って話になったり、自分の思い描くストーリーやら、脚本に沿って配役を決めるんだろうね。でも普通は予算ってものがあるのね。だからあれこれは出来ないから、ここだけは・・・とか、大事な
部分にお金を掛ける事になるのね。これが全国ロードーショーなのか、限定なのか、はたまたvシネマになるか、自主制作になるか?って色々変わって来るでしょ?つまり俺の予算からしたら、最高がvシネマ位だろうね。だから、ガッキーも有村架純も本田翼も使えないのね。つまり工夫が必要なのね。
その時に、もしかぐや監督がその人達を考えていたら?100点の配役では無いのだから、じゃ・・・って言い出すと思うのね。つまりこの時点で90 点になっているかも知れないし、それ以下な気持ちかも知れない。そして更にセットとしてあんなのこんなの、設定場所は・・・って決めていたとして、
それも予算的に無理です・・・となると、今度は、じゃ・・・程度では済まず、えーになると思うのね。この時点で50点は切るかも知れないのね。まぁ人の気持ちって言うのは、こんな言葉1つでも判るし、いつもの電話での聴覚での会話と違って、表情も伺えるのだから、視覚からも伺えるから、
ほぼ100%判りやすいのね。所がかぐやからしても、俺が読み取っている事は、長年の経験で知っているから、そう考えているだろうな・・・と思っているんだろうが、根本的に違うのは、どうせそう思っているんでしょ・・・って思われている事なのね。そうじゃ無くて、今自分の気持ちが、理想と
かけ離れているし、それが50%を切る勢いなんだ・・・って自分の気持ちに気が付く前に、俺の様子ばかりを気にしているのね。おいおい、そう言う事になっている根本は、理想の100%にならない事でテンションを下げている事なんだけどな・・・なのね。つまりかぐや監督からすると、何をしても
今後テンションが下がるだけで、下げないアイデアを考えない状況になり、下がりっぱなしになるから、歯止めが効かなくなるのね。これが生徒さん監督になると、じゃこの映画辞めます・・・なんて事にもなるだろうし、せっかく考えて来たんだけど・・・になったりするのね。
そこで助監督位の役目のkatsuとしては、いかにこれ以上下げないアイデアを考えて、何とか合格点範囲で止めようと努力するのね。そこで折り合いが付けば、80点かも知れないし、75点かも知れない。でもね、でもなのね。それはその監督の思う、100点を前提に考えての事で、本当の点数では無いのね。
でもそこでテンションの下がりが食い止められれば、大きく理想を崩さずに済む、当初の提案のまま進めるが、じゃ良いです・・・って諦めると、また自分の中の100点を考えて来るスタイルになるから、カードゲームで例えるなら、常に揃うまで全部取っ替えになるのね。つまり偶然が重なるまで
ほぼ揃う事は無いのね。これでは相当確率が下がるのね。はたまたこれがスポーツなら、初回に点数を入れられたら、やっぱり駄目かぁになる。踏み止まらないし、諦める事になるから。これがゲームならすぐにリセットみたいな感覚ね。かぐやはここが非常に苦手な人なのね。
折り合いを付けるってとても難しい事なんだけど、理屈さえ判れば、割と簡単になると思うんだけどね。つまりまず一番大切な事は何か?と1つだけ曲げられない事を決めるのね。これが0%スタートな考え方だと思うのね。さっきのかぐや監督は100%スタート。全く逆の考え方になるのね。
つまり出店すれば1%前進した事になるのね。まずやる方向になった。じゃこの後なのね。その時に実は俺の作品で出店なのね。つまりかぐやの思うお洒落作品では無いのね。例えばさんまの塩焼きのモザイク・・・ほら世の中に多分絶対に無いと思うのね。これでお洒落になる?
つまり方向性はお洒落じゃ無いと思うのね。そしてかぐや監督は、katsuプロデュースになるのね。これだけ食い違えば、折り合いなんか付くはずも無いし、そうなると、簡単なのは、全部作り直し・・・ってこんな事になる。そう取っ替えってね。ただかぐやもそこまで望んでいないし、それならと
棚をお洒落にして、責めて飾り付けだけでも・・・になるのね。ほらお洒落から離れられない。しかも、今度は仮にそんな棚はこんな感じって事になったとしても、果たして俺がそれを作れるの?となると、彫るとか切るは何とかなっても、組み立てるってのは、別の技術なのね。
まぁただ、電話で向き合うには限界があるが、視覚付きだと、こちらとしては教えやすいし、かぐや自身の気持ちをかぐやに気が付かせるって行為は、教えるって部分では中々困難なのね・・・そこは色々とプライドもあるだろうからね。ただかぐやを教えていた頃のkatsuでは無いのね。
こっちも先生として、そこそこキャリアも積んだしね・・・。そうね、同じ事を一緒にって言う折り合いの付け方って言うのは、100と0の関係では無いのね。どちらかが100でどちらかが0では、成立しないのね。そう言う点では、100スタートをする考え方は、マイナスを防ぐテクニックが無いと、
どんどんと下がる一方だし、0スタートだと、辛抱強く、身の丈身の程なんて言う事ばかりに縛られれば、100なんて届くはずも無く・・・。それが良く使う比喩の質問って言うのは、47〜63の間にあると思うのね。つまり100からスタートすれば、思うようにならない事で、止められないと、
どーでも良い気持ちになれば、47へ向かうのね。当然それ以下にもなる。逆に0からスタートすると、47くらいになると、半分来たって気持ちになるから、そこそこ良いじゃんと満足して来るから、63なら相当満足感はある事になる。まぁこうして数字を使うと判りやすいだけで、気分って言うのは
見えない数字のやり取りだからね・・・今一体私は何点あたり・・・なんて思う人なんてそうはいないのね。まぁ病は気からなんてのも、こんな仕組みに該当するし、いかに普通の自分をキープ出来た上の意見か?が大事で、己を知るなんてのも、こうした仕組みみたいな事なのね。
その気分や気持ちって言うのの安定感の上に、日々の鍛錬や習慣で覚え込ませた繰り返しがベテランになるのね。そして予定調和は安定感を生むし、それをキープする為に、気分や気持ちに操作されずに、考えずに済む仕組みがマニュアルなのね。誰もが同じになる・・・ってね。
所が、その予定調和を崩したい人達・・・人と違うとか個性とか・・・ってね。同じものが嫌ってね。そこは考えないと・・・。そこを悩むなんて時間を過ごしちゃ駄目なのね・・・考えるって言うのは具体化であって、悩むのは漠然・・・どーする?何を?って、掘り下げないとね。ただ、あれこれ
詰め込みすぎて理想を追求すると、いちばん大事な事を見逃しちゃうのね。まずは1つ、どうしても曲げられない事だけを決めると、枝葉は付けやすいのね。いずれにせよ、最後の晩の意見交換は中々良い時間だったのね。