katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイ教室

2024-10-05 07:35:56 | 世界遺産をみんなでつくろ!
今日はキウイ教室って言っても、最近お馴染みなピエロの壁画の参加の続き。キウイにはキャラとしてコウノトリをやって貰っているが、笑い話としてそもそもコウノトリって存在するの?って、

ここからなのね。だから最初に下絵を見た時、あれこれと満載で、まずコウノトリの画像を見てビックリ・・・本当にいるんだ・・・から始まり、あんまり可愛くないって言ってたのが、似てるに

変わり、小さい・・・となって、でも一番細かい目の付近が簡単にとは言わないが、クリアーする。そもそもがここを逃げ切れるって言うのは、中々の腕前であって、時々いるんだけれど、

例えば俺にこの作品どのくらい掛かったんですか?って聞かれて、例えば2ヶ月くらいかな?と答えたとする。すると、じゃ半年くらいやれば、俺にも出来るかな・・・みたいな事を言われたりして

この場合は、タイル職人さんね。タイルニッパーは持っているし、使えるって前提だから、大変さを聞いた上で、日数を倍にして、それでも気を使ったつもりでね。勿論、生徒さんみたいな人で

あっても、それを1年って言えば、随分気を使ったように思えるだろうね。ただでは逆ににしてみよう。タイル屋さんに20年前までタイル屋だったけれど、現役のタイル屋さんに、玄関張るのに

2日掛かるって聞いて、じゃ61歳の俺だから4日あれば出来るかぁ・・・って言ったり、ベテランのお母さんが作った料理をまだ日の浅い俺が、倍の時間掛ければ出来るって・・・どうかな?

まず謙虚さが全く無いし、思い上がりだろうね。だからこんな人はつまづく。何しろ出来る前提だから、出来なかった時は、思い切りダメージになる。じゃ仮に出来たとする。では比べてみ・・・

比べずに判るのね。そもそも物作りとは残酷なもので、へっぽこなものは自分で見て判るものなのね。しかも捨てるか貰って貰えないと、自分の所に一生残る。だからこそその時の全力を残さないと、

そりゃ大変なのね。しかももっと言えば、たどり着かない。何故なら舐めていたし、出来ると思っただけだから。本気で作って手元に置きたいとか、プレゼントしたいとか、気が無いと。

これが心持ちみたいなもので、心技体の心の部分。技術を教えられなかったら先生として未熟なだけで、そのうち辞めなきゃそこそこにはなる。ただそこそこね。それを越えるには心を教えられないと。

所が心って言うのは目に見えない。目に見える事は目に見えるのだから進歩も見えるけれど、心は見えない・・・この進歩ってどう見る?ここね。そんな事を踏まえると、まずキウイは知らなかったのね。コウノトリ。

じゃこれを料理教室だとして、先生が今日は回鍋肉ね。って文字を見せたとする。そりゃベテラン主婦なら、ホイコーローね・・・って判るし、料理が初めてでも字は読めるかも知れない。

でも作った事が無いかも知れないし、知ってても好きじゃ無いかも知れない。でも普通の教室って、先生の提案で進むもんなのね。だから今日はコウノトリ作りますって普通の事なのね。

でもウチの生徒さんって、そもそも自由なんで好きなモチーフで始まっているから、そんな普通の事が違和感になるのね。しかもコウノトリって何?ってスタートだから。でも知った。

あぁこれ作るのね。この気持ちが百聞は一見にしかずで、耳で聞いた言葉でのイメージでは無く、あぁこれね・・・と見た。知った。ただ思い込むと、あぁこれね・・・の言い方なんだけれど、

鶴やサギと言った白い大きな鳥って判断すると、似ているものと判断するから、モチーフを見なくなるのね。それを特徴をとらえて、いかに似せるか?って良く見る人は、未熟であったとしても、

未熟なのは腕であって、見るって目は未熟では無いって事なのね。つまり見るって目が良い人は、未熟な腕が上がれば、良く見る目でどんどんと上手くなる。所が上達すると、腕はある前提で、

何作るの?あっそれね・・・ってこんな感じにならないかな?だとすると、そこまで止まりな気がしない?ここも気だけどね。つまり気だから、心の問題なのね。更にそれを踏まえて、好きじゃない。

モチーフが・・・そもそもなのね。好きこそ物の上手なれなんて言葉があるのに、好きじゃない・・そりゃ根本的に無理だわ。ってな事になる。でもね、仕事の場合、好き嫌いじゃ無かったりする。

そう、これ根本的に仕事なのね。ただ、ただね、ただの仕事じゃ無いのね。実は発表会なのね。そしてこの発表会は自分の作っている作品以上は求められない。自分の作品の方が上って位置なのね。

それが証拠に自分の作品がアップされると、会ってもいないのに、あの人の作品だ・・・って判るものと、今回は自分が何処をやったか?が見分けが付かない・・・なんて事を言う人がいる。

そうね、つまり誰がやったか判らないって前提なら、個性は要らないし、同等である。って事になる。つまりバックは見分けが付かない。だから、

俺がこうしてやっても、参加している生徒さんでも見分ける事が出来ない。つまり大作をやっている生徒さんなら、これが中学生であっても何の問題も無い事になるのね。それが実力。

でもこれが体験みたいな人がやったら、出来たとしても駄目なのね。それは実力が無いから。あくまで参加した人の作品をお客さんに見せた時に、この人が参加したんだ・・・と納得させられるのと、

えっ、この人が・・・となると、お金を貰うお客さんに失礼なのね。ってこう言うと、今度は、じゃ私なんか・・・と引く人がいるんだけれど、はぁ?じゃプロ野球だって、18のクソガキが入って

すぐ活躍したりするでしょ?オリンピックで金メダル取ったり・・・年齢も性別も上手けりゃ関係ないのね。それを決めるのはこの仕事を受けた俺に権利があるのだから。そもそも職人だってそう。

みんなが一生を掛けて支払う家を一体誰が作った?・・・どんな名の通った建設会社に頼んでも、下請けの業者がやるのね。じゃ一体誰がタイルを張った?でしょ・・・いつも名医が執刀するとは

限らないのね〜。だっていきなり上手い人っていないのね。つまり未熟な人に経験踏ませないと。でも側にいる責任者がいるから失敗は無いのね。どんな形であれリカバリーはするだろうから。

だから同じ。経験値を増やさないとならないのね。ただそれとて、別にプロになる訳じゃ無いし・・・そうね、そりゃそうだわ。それならそれでも良いのね。でももしこれが本来の教室として

普通の事なら、もしかするととても大事な教室になるのかもね・・・だって、何度も言うけれど、ワクチンはウイルスから作るんだって!つまり嫌だなぁ・・・って思うって事はウイルスみたいなもん。

しかもコウノトリなんて、絶対これから一生作らないだろうね。でも自分の好きなモチーフだけを作る人は、自分の好きなものだけこれからも作るんだろうね・・・でも好きなものって次々と

あるのかな?・・・勿論矢沢でロックです・・・って死ぬまで行ければそれはお見事だけど、中々普通の人はそこまで押し通せないでしょ。つまり自分から体験する事の無い体験になるのね。

しかも一生外壁として残る場所に参加するってね。つまり今日までの自分の発表会の場所になる。って言うと、プレッシャー掛かるでしょ?だからかぐやとキウイにはキャラを頼んだのね。

ただ経験値は少ないが健さんは、やりたい・・・って志願なんで、中央の星にしたのね。えっと・・・って背中を押す参加と、土俵に上がりたいって思う人と同じ実力なら、上がりたい人を

優先するでしょ?次にいつそんな事があるか?判らないのに、何処をやっても参加なのね。つまりそれが踊らにゃソンソンって事なのね。見ていても何も変わらないのね。やらなきゃ。

そしてキャラとなると、ただの参加じゃ無いのね。だって誰もがあれはかぐやとかキウイって判るものだから。当然プレッシャーは掛かるし、良いのが作りたいって欲も出る。でもね、そもそも

上手いと思うからキャラを頼む訳ね。じゃキャラを頼むってどう言う事?って、その鳥の下絵は描き込んで無いから、自由に切って飛ばせて・・・って話ね。これをもしバックのように張ったら、

流れなんて気にせずに、水平垂直だけ気にして、そのゾーンは白、赤って色分けされた所を張るだけ。つまり慣れれば作業になる。でも自分独りの考え方で作り上げる・・・つまり想像する。

だから創作。作業とは違うのね。そう考えると、同じ大きさのタイルを揃えて流れを作ったんだね・・・って評価をする。ただ目地幅をいつものように狭く取ったのね。それは狭すぎ。

いつもの作品が室内である事で、目地幅を割と狭くする習慣があり、しかもそれに寄って目地幅を空けない事が目地の色に影響されずらいって事に繋がり利点な事が、外では外用の目地材として、

粗い材質なんで、入らない事もある・・・って言うと、最初に言って下さいぃって言うんだけれど、そこで言ったら、また次は?次は?って聞く人になっちゃうのね。違うのね。任せたのね。

だから自分で判断する練習なのね。ただ余りに無茶じゃん・・・って言うだろうから、横にサルを作ってあるのね。小さいのはサルも一緒。やったのは俺・・・盗むのね。上手いんだから。

みんなの上にいる人は、言われるんじゃ無くて、盗んで盗み切って、やるじゃん・・・って言われないと。だって言ったらすぐ出来ちゃうでしょ?それじゃ悩まない。そしてちょっと失敗する事。

ちょっとなら大した事じゃ無いのね。100点も95点もだから何?初めてやるのに100点欲しいの?贅沢だから。俺だってネット張りが初めて、こんなに大きい作品も初めてなのね。100点なんか

取れる訳無いじゃんどころか、図々しいでしょ?katsuはこの程度で終わる人になりたくないのね。つまりあの頃良くやったなぁ〜って過去になった時に、その時の自分に褒めて貰える程度に。

だから最高点を目指すのでは無く、最低は防ぐ。その時にkatsuがこの先に先が無いのなら、仕方無いがもし、みんなが思っている以上に凄くなるのなら、伸びしろが無いって先なんか無いのね。

だって進歩が無いじゃん。自分を自分で上書きしないと。なのに教えて貰ってばかりで100点を目指すんじゃ無くて、自分でやったらこんな感じ・・・まずはそこから。それで何処を直せばって

是正を知る方が、失敗しないように・・・なんて事ばかり考えていたらチャレンジなんてこの世に無くなる。ただリスクが伴うから、だから俺が助手として見守れば大きな失敗は無いから、提供が

出来るし、苦情があるなら俺のせい。ただ本当に任されている仕事は安心なのね。だって責任だけで、結果が全て。俺がOK出したものは、例え中学生だろうが、世界に胸を張れって思うわ。

だから労作展くらいで問われたくない。勿論、本人の全力と本気でやったらね。だもの、かぐややキウイなんて事になれば、口出しなんて終わった頃に次回へのお小言的な事で十分なのね。

だって最初から教えたら出来て当たり前じゃん・・・なのね。まぁその軽い版として先日の棟梁ね。最初やった時は俺が側にいて、チラッと説明すると、難しいぃぃって大変だって言ってて、

じゃ宿題って置いて来ると、独りで出来ている。そうなのね、つまりバック程度では1回の経験値で、棟梁の実力なら十分なのね。つまり本来なら、キャラへようこその実力なのね。けれど、

どうしてもプレッシャーに勝てない・・・やって見たい気はある。ただ引いてしまうのね。でも健さんはやって見るって前に出た。ならやってみ・・・になった。俺が出来ると判断している人が、

自分で引き、何とかなるかぁ・・・って思った人が前に出た。ただそれだけで経験値が変わるのね。勿論、こう言うと下がった棟梁がマイナスに思う人がいるが、独りでやったのは棟梁だけ。

あっ、ほっといて買い物行ってたり、教室でアトリエに帰った時に、かぐやも独りでやってたか・・・。いずれにしても、それはそれで凄い事だったりする。まっいずれにしても、この参加が

とても大事な事に繋がる事が判る人って、中々いないからなぁ・・・そうそうカテゴリーを久し振りに世界遺産をみんなで作ろうに戻したんだけどね。あははは。

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