2006年8月28日付朝日新聞(大阪本社)夕刊記事「戦争 未完の裁き⑮」のノートです。
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東京裁判では25人が有罪。ほかのA級戦犯容疑者は釈放された。米ソ冷戦の時代が始まり、戦争を支えた財界人、国民の戦意をあおった言論人や教育者、官僚の責任問題はうやむやとなった。
(参照クリック)戦争体験 「特攻志願」を執拗に迫られて(朝日新聞「声」欄から)
昭和天皇の責任も問われなかった。木戸内大臣は巣鴨拘置所に入る前に天皇と食事し、「日本が平和国家として世界の一員に復帰するとき」、つまり講和のとき、退位することを勧めた。のちに木戸は「陛下は大元帥なんですから。憲法上(*明治憲法上)、戦争の最後の責任者ですから」と語っていた。
(参照クリック)昭和天皇が平和の担い手であったと言うのか
日本の戦没者300万人、アジアの犠牲者2000万人。粟屋立教大教授は言う。
「戦死といっても3分の1は餓死でした。日本軍は部隊に食糧を現地調達させた。中国では略奪し、南方では飢え、どんどん死んでいった。兵士の命をあれだけ粗末にしておいて、靖国神社に祀って、それが戦後の繁栄の礎になったなどという美辞麗句は歴史の事実を隠すものですよ」
いま、開戦の首相・東條は靖国の神になっている。すべての責任を負って国のために死んだというならば、飢えて死なせた兵士たちと並んで神にしていいのか。そこに、時の首相が参拝し続けていいのだろうか。
人々が殺し、殺された戦争。神ではなく人間として追悼し、歴史を省みて、不戦を誓いたい。