■2004年(平成16年)12月22日
この日、私は朝8時40分ごろに起きた。母が顔を洗いに起きてきました。しぐさも表情も常と変わりません。母が風呂場の手前にある洗面台のところで家内にこう話しかけました。
「顔洗うのは風呂場でよかったんやな」「私の歯ブラシどれやったやろ、これでよかったんやろか」
午前中に油絵クラブの松本さんから電話がありました。1月7日午前9時に初絵描きで、お昼は新年会とのことでした。母は覚える自信がないようで、何度かくり返して聞きながらメモを取りました。
電話のあと、しんどい、しんどいと言いながら、自室8畳間でやぐらごたつに足を入れて寝ました。午後は足腰がまったく立たなくなりました。麻痺症状ではなく、力が抜けた状態でした。自力でトイレに立つこともできません。私と家内とで抱きかかえてトイレに行きました。母はトイレの向かいにある洗面台に向かおうとしました。
母の自室の前は廊下、その向こうに玄関があります。廊下に出て右に茶の間、その向こうが台所になっています。廊下に出て左にトイレがあります。トイレの前が水場で、洗面台、次に洗濯機、その向こうに浴室と並んでいます。
この日、母は何も食べませんでした。かぜで38度を越える熱に苦しんでも、どんどん食べる性分の母でした。食べな元気でぇへん! しんどいときはそう言って、いつもお寿司を食べる母でした。それなのに、冷たいお茶のほか何も口にしません。
何も食べていないのに、母が2回吐きました。1回目は透明な液が少量、2回目は茶色がかった液が少量でした。微熱が前日から続いていました。かぜ熱だろうと私はたかをくくっていましたが、普通のかぜではなく流感かもしれないと見守っていました。
夜8時ごろ、母が自分でふとんをたたんで押入れに入れました。体力が少しもどったようで、私は少し安心しました。母はつづいて、茶の間の石油ストーブの前にすわりこんで火をつけようとしました。次にインシュリン注射をしようとしました。このころは、毎朝1回だけインシュリン注射をすることになっていました。朝と勘違いしているのです。
インシュリン注射をし、茶の間のストーブややぐらごたつをつけ、台所のガスでお湯をわかし、コーヒーを入れ、テレビのスイッチを入れ、朝刊を取り、茶の間か自室でコーヒーを飲むのが、母の朝4時か5時ごろの日課でした。