川本ちょっとメモ

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母のこと――脳梗塞を発症したときのもよう(3)

2007-11-10 11:34:43 | Weblog


■2004年(平成16年)12月24日入院

12月23日、母の状況は22日と同じようなありさまでした。

12月24日、県立病院の糖尿病定期検診日です。午前10時過ぎ、車で母を連れて行き、病院玄関で母を降ろしました。一人で歩かせることに不安を感じながら、玄関自動ドアを入ってすぐの待合所ソファで待つように、母に言いました。病院玄関はポーチまで三段の石段になっています。

母は石段をあがろうとして、まともに転びました。むこうずねを強く打ちました。私が車を降りて駆け寄るより早く、母を助け起こしてくれた女性がいました。強く打ったはずなのに、母はそれほど痛がりませんでした。

駐車場に車を置いて待合所に行くと、さきほどの五十前後と見受けられる女性が母のそばについてくれていました。私はその善意に感激して、何度もお礼を言いました。

内科で診察を受けたのは正午前だったと思います。すぐにいろんな検査にまわされて、夕方遅くまでかかりました。母は脳梗塞と診断されて、緊急入院となりました。

明らかに脳梗塞が発症したのは、12月21日の日暮れでした。しかし、身体部分の麻痺もなく言語障害も、それらしき兆候は皆無でした。トイレの位置関係がわからなかったりということもありましたが、私は脳梗塞という病気に思い及ばないで、痴呆症との関連に不安を感じていました。

医師は、来るのが遅かったねと言いました。これ以上の進行はないと思いますが、症状が安定するまで入院しましょう。医師はそう言いました。

母は、夜の間、3回から5回トイレに立ちます。入院中、これが問題になりました。母はトイレの場所が覚えられなかったのです。トイレに行っても自分の病室に帰ることができません。

入院して他人の中で生活するようになってはっきりわかったことは、母が記憶できなくなったということです。脳梗塞発症以前の記憶はほぼ確かです。発症以後の新しいことは5分前のことでも覚えていません。

翌年2005年(平成17年)1月5日、母は退院しました。



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