川本ちょっとメモ

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平和の日常感覚(1) 英雄――「好き」から「きらい」へ

2009-05-18 10:31:53 | Weblog


私は子どものころから英雄偉人が好きでした。子ども向けの伝記をいくつも読みました。幼児期から小中学校のころは、主に偉人にあこがれていました。そうした記憶の最初は、小学校入学前に読んだジソンの絵本です。そのあとは子ども向けの伝記で野口英世、キュリー夫人などが記憶に残っています。世界初の旧ソ連有人宇宙ロケットが大ニュースになった時期には、ロケットや宇宙にあこがれました。伝記のような偉い人になりたいと思いました。

高校生になってからは、興味が英雄に向かいました。太閤記、徳川家康を始めとする戦国時代物をたくさん読みました。平家物語、太平記、三国志も読みました。第2次世界大戦の戦記ものもたくさん読みました。勇敢なことが大好きでした。

しかし、偉い人にも英雄にもなれませんでした。しごく普通の勤め人から自営業者となり、しごく普通に年を加えてしまいました。

三十代半ばになってから、英雄をきらいになりました。きっかけは、第2次世界大戦の戦記ものでした。それまで読んでいた戦記物は、○○師団とか△△連隊とかの戦況を記述したものでした。そこでは将兵個人の恐怖・苦しみ・故郷の家族への思いなどは記録されていません。小隊や分隊の戦いが細かに記述されていれば、殺し殺される現場の恐怖もいささかなりとも伝わるかもしれません。しかし、普通の戦記物は公式の戦闘詳報と似たようなもので、大隊、連隊、師団などの単位の戦いを述べています。それらの戦記は団体の戦いと行方を書いていて、主たる登場人物は行方を決める立場にある各級指揮官です。

しかしそんな戦記ばかり読んでいても、戦場の実際の雰囲気がわかりません。あるときからそのことが気になり始めました。南方戦線で過酷な敗戦を味わった兵士が書いた戦記物ばかり読むようになりました。兵士が書いた戦記には、戦闘の行方を俯瞰する記述はまずありません。兵士にとっては、戦況を俯瞰するすべがありません。戦闘で敗北して壊滅していく、あるいは後方へ敗走していく部隊の悲惨な戦場生活ばかりが、兵士によってつづられています。

日清戦争や日露戦争のように勝った戦争でも、こうした無数の兵士や下級将校の犠牲、さらには敵国側の将兵、戦場となった場所の人々の犠牲のうえで得たものです。歴史の中で『英雄』と言われる指導者はすべて、戦争をくり返して勝ち上がってきた人です。ローマのカエサル、革命フランスの将軍からフランス皇帝になったナポレオン、中国の曹操・孫権・孔明、日本の豊臣秀吉。若い時代にわたしが勇気づけられた英雄です。三十代半ばから後になって、私はこの人たちをきらいになりました。

ただ、今でも「勇敢である」ことは大好きです。人生の盛りを過ぎた今の年齢になっても、日常生活において必要なことは『勇気』を持って事に当たりたいと願っています。今私が願っている勇気とは、家族とともに平和な日常の暮らしをつづけるための勇気です。時代錯誤な愛国戦争につながるような勇気ではありません。評判を聞くばかりで未だ読んでいませんが、ガンジーの伝記を読んでみたいと思っています。


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