謹賀招福卯年。本年もよろしくお願い申し上げます。
新年を迎えるにあたって、「佐久間艇長の遺書」(TBSブリタニカ刊)を読み返しました。「事に処する覚悟・自己の責任感・人への思いやり」を30歳青年に学び、新年に臨む心がまえとして我が身を引き締めています。
明治43年4月15日午前、瀬戸内海で潜航訓練中の潜水艇が浮上できなくなりました。故障によるものでした。4月17日潜水艇を引き上げたとき、乗組員14人全員が持ち場を守ったまま窒息していました。
佐久間艇長は事故調査に資するため次の一文で始まる遺書を残しました。明治時代のことですから天皇宛てになっています。
小官ノ不注意ニヨリ
陛下ノ艇ヲ沈メ
部下ヲ殺ス、
誠ニ申訳無シ
遺書中にはまた、「我レハ常ニ家ヲ出ヅレバ死ヲ期ス」という一文もあります。
佐久間艇長「公遺言」に次の一節があります。
謹ンデ
陛下 ニ白ス、
我部下ノ遺族ヲシテ
窮スルモノ無カラシメ給ハラン事ヲ、
我ガ念頭ニ懸ルモノ之レアルノミ
この短い公遺書に「十二時三十分呼吸非常ニクルシイ」とあり、「十二時四十分ナリ」で切れて終わっています。極限状況の中で、息絶えるそのときまで任務を尽くしました。
「我部下ノ遺族ヲシテ窮スルモノ無カラシメ給ハラン事ヲ」。息絶えるそのときまで部下遺族の生活の行く末を案じておりました。