7月1日、中国全土が、中国共産党100年の記念祝賀行事に包まれました。そしてこの晴れやかなテレビニュースを私も見ました。世界の覇権を争って米国に軍事的挑戦をしかけている中国を世界中が注目していますから、このニュース映像の電波が地球の表面を駆け巡ったことでしょう。
この2021.7.1.中国共産党100年記念を目標期限にして、習近平中国は香港接収を完了しました。
香港は1997.7.1.に英国から中国に返還されていますから、接収ということばは適切ではありませんが、私は敢えてこのことばを使ってきました。下にイギリスから中国への返還の経緯を復習してみます。
<香港・九竜 割譲租借から 返還へ>
1842.8.29. 南京条約締結(英/清朝)……香港島を英国に永久割譲(英国領)
1860.10.24. 北京条約締結(英仏/清朝)…九竜南部を英国に割譲(英国領)
1898年 九竜半島の大部分「新界」が99年間の英国租借地に(英/清朝)
※出典 https://www.y-history.net/appendix/wh1303-032.html
1984.12.19. 香港問題に関する英中共同声明
九竜半島の1997年租借期限が見えてくると英中間で返還交渉が始ま
り、英中共同声明で返還過程及び返還後の香港の形が確定しまし
た。
1997.7.1. 中国に香港返還
1984年の英中共同声明という国際公約に基づいて、香港・九竜半島
の国家主権が中国に帰属しました。
この共同声明で確認されたことの主柱は、誰もが知っている「一国二制度」です。国家主権は中国に属するけれども、英国支配下であったときと同じく、資本主義経済と、自由で民主的な法支配制度を50年間継続することを保障する――そういう共同声明でした。
50年間継続ですから、2047.6.30.まで香港は英国支配当時と同じように繁栄すると思われていました。
2019.2.13. 香港政府が逃亡犯条例および刑事相互法的援助条例の改正案提出
香港人は逃亡犯条例を契機にして、香港の街を埋め尽くす大規模なデモをくり返しくり返して、一国二制度を守れと叫びました。
2020.6.30. 香港国家安全維持法、全人代常務委員会が制定、即日公布
これ以後、香港政府は「国家安全維持法に基づく合法な国民生活」を香港人に強制し、多くの人々を逮捕し、「違法な」新聞・出版を差し止め、香港人の息の根を止める行為をくり返して、7月1日の中国共産党100年記念を祝賀しました。
中国共産党総書記・中国国家主席である習近平氏は、中国共産党100年記念に自分個人の威信を中国国民の前で誇るために、香港を接収しました。
香港人は、共産党100年記念の祝膳に差し出されたのです。偉大なる習近平。偉大なる植民国家中華人民共和国。
※アジアにおける中国の歴史は、版図を広げると漢人がその地に移住して、
無視できない多数民族を構成してきました。人口超大国のこの歴史上の
図式を、植民地国家とは異なる意味で「植民国家」と表現しました。
習近平氏は、香港返還に関する英中国際公約を破り、南シナ海の岩礁を埋め立てて軍事基地を作り領土宣言をするという国際法破りをしても意に介さず、中国共産党の世界支配という正夢の現実化に突き進む常軌を逸した野心家指導者です。
こういう常軌を逸した野心家指導者には、スターリン、ヒトラーという先達がいます。ナポレオンもそうであったかもしれません。