■身内がコロナになりました
息子の嫁がコロナに感染しました。息子も嫁も、ワクチン接種1回目の予約がとれているものの、今はまだ未接種です。首都圏在住。就学前乳児幼児各1人あり。
嫁は、8度台後半の熱に加えて、じんましんのような痒みが全身に出て、さらに味覚・嗅覚を感じなくなったので8月19日に病院に行きました。
8月19日、8度台後半の発熱で病院へ、病院でPCR検査。
8月20日、8度台後半の熱、続く。
8月21日、熱が下がり、味覚・嗅覚も回復しました。
8月22日、保健所から「陽性」通知あり。次のような案内がありました。
① 発症当人の平熱がこのままつづけば自宅謹慎は8月26日まで。
② 異常なければ8月27日から平常生活に戻ってよい。保健所への
連絡も不要。
③ もし、8月26日までに再び発熱すれば保健所に連絡すること。
④ 同居家族は8月22日から9月5日までの2週間、自宅謹慎。
発症しなければ9月6日から自宅謹慎解除で平常生活に復してよい。
わたしが注目した一つは、同居家族にPCR検査をしない。熱が出てからPCR、
PCR対応切り捨てが原則のようです。感染爆発状況の今、保健所は、同居家族未発症者のPCR検査対応をしたくてもできないのでしょう。
さいわいなことに、今回発症した当人の症状は非常に軽い。わたしが注目した二つめは、順調に進めば、発症当人は自宅謹慎が8月26日まで。それなのに、同居家族の自宅謹慎の方が長くて、9月5日まで‥‥ということでした。
■3カ月前、感染ご近所さんはすぐに入院できました
3カ月前、わたし居住地ご近所の4人家族のうち、①奥さん、②奥さんのお母さん、③ご主人の順に発熱発症。感染発症の翌日には、順次、別々の病院に入院しました。4人目の成人の娘さんだけがPCR検査「陰性」でしたが、仕事を休んで自宅に残りました。
このうち、奥さんは7度台の発熱だけで比較的元気な軽症でもすぐに入院できました。が、入院3、4日後に急に症状悪化して、医師から娘さんに人工呼吸器をつけるために人工挿管をすると電話がありました。万一のこともある、ということでした。心細い思いで一人留守居していた娘さんは泣きました。奥さんは1週間、意識不明になり生死をさまよいましたが、2か月後に退院することができました。
注目するところは、比較的元気な状態で入院できたにもかかわらず、その3、4日後に「人工挿管して人工呼吸器装着、意識不明1週間」まで悪化した、ということです。「自宅放置静養」だったら‥‥と思うと恐ろしくなります。
■これほどまで無能だったのか 安倍晋三政権および菅義偉継承政権
感染症の拡大防止の第一原則は「隔離」です。これは、治療以前の前提条件です。
昭和戦後復興期までの日本で、結核は死に至る国民病と言われるほどの病気でした。私の母方の祖父も36歳で死んでいます。この結核には、結核療養所という隔離施設が各地にありました。
中国は驚くほどの早さで大規模臨時病院を作りました。私たちは昨年、テレビニュースでそのありさまをくり返して見ました。
1665年、大坂夏の陣・豊臣家滅亡の年(1615)からちょうど50年後のこと、ロンドンでペストの大流行がありました。
1665年、そんな昔のペスト大流行ロンドンでさえ、臨時の疫病患者隔離病院がありました。
しかし先人に学ばず、昨年2020年の年初からコロナ臨時病院の特設が可能であったにもかかわらず、いつでも転用可能な公設の体育館やイベント会場施設があるにもかかわらず、安倍政権にも菅政権にも、コロナ臨時病院特設の気持ちはこれっぽっちもなかった。見下げ果てた心根です。
安倍・菅両政権の最重要課題はコロナ対策ではなくて、オリンピック開催でした。
■感染患者の自宅療養とは、ロンドンペストの家屋閉鎖に似ている
1665年、ペスト大流行のロンドンでは家屋閉鎖という制度がありました。それは、感染者を出した家の居住者の外出を禁止する1軒閉じ込め制度で、1軒滅亡の家があちこちにできました。いまの日本の自宅療養・自宅隔離・自宅謹慎は、1665年ロンドンと基本的に同じ方法です。
しつこいようですが、安倍・菅両政権がやってきたことの基本ベースは、1665年ペスト大流行ロンドンから進歩がありません。昨年来、続出している「コロナ自宅死」は安倍晋三前首相・菅義偉現首相の悪政の犠牲者であります。