スターフルーツってこんな形らしい。味はリンゴよりもあっさり目。これは沖縄の市場らしい。
昨日は文集を見ていろんなことを思い出したんだけど、そのころの私、あまり大人ではなかった。
自分のことしか話さない変わった人と遠ざけずに、少々のことは目をつぶって仲良くしていればよかった。案外いい人だったかもしれない。何よりも学生時代の知り合いが一人増えて、いい思い出も残ったかもしれないのに。嫌っている人からは好かれるはずがない。ずっとぎくしゃくしたままだった。ぎくしゃくしたままで縁が切れた。
彼女はサークルの中で自分の居場所がなくて、焦っていたのだと思う。女の子はたいてい、一番仲のいい女の子と二人ずつで行動、そんな二人組がいくつかできたのに、彼女は仲のいい子がいなかった。サークル活動で、同学年の同性に受け入れられなかったら、自分からいくら異性や他学年にアピールしてもそう楽しくはなかったはず。
集団のルールよりも好悪の感情が前に出るサークルがうまくはいくはずがない。みんなあまりやる気がなく、絵もそう描くわけでもなく、二年目にはかなり低調になっていた。サークルの中にいくつかのグループができて、反目とまでは行かないけれど、やることがバラバラで、全体の行事は嫌々こなすような。
給料が出るわけではないけれど、大学のサークル活動って会社とおんなじ。集団で何かをするときには和が大切。自慢や妬みや、男女の気持ちのもつれや、能力のあるなし、やる気のあるなしなどいろいろあっても、一つの目標に向かって適材適所で突き進んでいけば、達成感と連帯感も生まれたかもしれない。
上手くいかなかった責任の一端は私にもある。私は異性に甘えたり、女らしさをアピールするよりも、ズケズケと言いたいことを言う性格。でもどこかで注目されたいというさもしさも併せ持つ。屈折している。そのうち自分が何を望んでいるかもわからなくなるような。。。。
なんかこのころはもう絵など描きたくなかった。自分を支える言葉をひたすら探していた感じ。いつも本読んでいた。文庫本を持ち歩き、昼間の空いた時間に半分、残りは夜にという感じで一日一冊のペースで本読んでた。←自慢?ではなくてそうしていないと自分が空っぽで落ち着かない感じ。
昨日の文集はその直前、部の中も外も不安定な時期。部長が彼女に編集委員をさせたのは、彼女の居場所を作ってやりたいという配慮だったと思う。編集後記も、彼女の精いっぱいのアピールだったことだろう。
でも同性と仲良くしたければ、同性への自慢話をやめ、自分から歩み寄ってくれば良かったし、私がこのサークルで一番の女性と思うのは勝手だけど、ふるまうのをやめるだけでよかったのではないだろうか。そんなことは自然に出来上がってくる雰囲気。自分から求めて作るものでもあるまい。
仲のいいカップルを見ると、自分に目を向けて欲しくて取り敢えずは壊しにかかるなんて、一番嫌われること。なんて言うのも私のさもしい気持ち。お互いがお互いの居場所なれない不幸な間柄。
ずっと忘れていたのに、物持ちのいいお姑さんのおかげでそのことに気が付いた。まあ人生あとになって気が付くことばかりですよね。まさに青春の墓標。苦い経験もまた人生の貴重な糧。
ときれいにまとまったところでもう風呂入って寝ます。22:55です。