84番屋島寺から山を下り、湾を左に見ながら向かいの五剣山にある85番八栗寺を目指す。遍路道を行くはずが道を間違えて大回り中。2008年12月23日。快晴、暖かし。帰りに倉敷付近を走行中、長男から「結婚する」といきなり言われ、激しく驚く。あれから4年と4か月。月日の流れるのは早いもの。
人生は楽しいことも多いけど、配偶者の死は最も悲しいことの一つだろう。夫で作家の吉村昭の死から三年、著者は夜の電柱に夫の姿を見、病室での最後の日々、もっと寄り添っていればよかったとずっと後悔している。
回顧展などの打ち合わせ、作品集の打ち合わせにも忙殺されるのは、編集者が作家である彼女を立てて相談をしてくるからである。それをきちんとこなすうちに疲れてしまい、熱海と思われる小さなホテルにしばらく逗留する。一人で街を歩き、夜は近くの居酒屋で魚を料理してもらって時間を過ごすが、東京の編集者からの電話に、再び元の生活に戻ろうとホテルを引き上げる。
人は充分に悲しんだ後はやっぱり普段の生活をこなすことで癒されていく。主人公の為にもよかったと思うし、自分の悲しみから目をそらさず、丁寧に書いた作家魂に感銘を受けた。どれも小品、無駄な言葉がなくて読みやすいです。
今朝の地元新聞の投稿欄に、昨年末、対向車線のトラックから鉄板が落ちて乗用車を直撃、二人亡くなったけど、その方の奥様が「こんなことは二度と起きて欲しくない」と投稿されていた。まだまだ傷がいえるには時間がかかるし、というか、一生悲しみを抱いて生活されると思うけど、今は充分悲しむ時期だと思う。新聞に投稿するのも何かの心の動きがあったことだろう。胸に迫った。
夫に先立立てる。多くの人が経験すること。それを悲しいという言葉を使わず、(少しはあったかもしれないが)難しい言葉も使わず、深い喪失感、後悔などを描いている。先日読んだ「紅梅」の続編。
昨夜は夫とお寿司を食べに行った。夫はお寿司が大好き、私は外でお寿司食べると高い確率でお腹壊す。でも付き合った。40回忌(周年)なので昔話もいろいろ、先日の文集の話も出た。
私の知らない話もいろいろ。40年も一緒にいてもきっかけがないとそんな昔のことなんて思い出さない。先輩のN原さんは就職決まったからと他の子と二人、お寿司おごってくれたとか。いい人だったんだあ。気が付かなかった。
O川さんはブルコメの三原綱木に似たいい男だったけど、学美(広島市学生美術連盟)の方ばかりしていたと聞いた。そうだったんだあ。女子大方面に多大の人気があった。友達が、派手な女の子連れて歩いていたと話していた。今、某女子大の美術部に在籍していた人と知り合いになってるけど、学生時代、学美の会合、行事がどんなに楽しかったかを夢のように話される。
そうでしたっけ????
私達はダサい服装、ダサい髪型、男子学生にもため口で、合同美術展の打ち上げ立食パーティなんてものすごく浮いてた。女子力は最低。んでも肩肘張って、議論吹きかけたりして(これは私だけかも)、最悪。心ある女子は初めからそんなところへは近寄らないものです。
いゃあ、また昔話してしまった。。。。。