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「京都人は変わらない」 村田吉弘

2013-03-18 | 読書

京都祇園で 2007年10月 お茶屋が並ぶ


 

高台寺からまだ山の方へ上がった料亭「菊乃井」、木屋町の「露庵 菊乃井」の主人が著す京都文化論という趣。

初めは自分の家への誇りが前面に出てちょっと読みにくいけど、中ほどから京都の人たちがどんな原理原則で生きているかという話になると、なるほどと思うことがたくさんあった。

要するに「自分が何者であるかを確実に把握する。相手が何者でどういう人で、自分とはどれくらいのつきあいで、どの程度の付き合い方をしたらええか。よく考えれば、そないにアホなことはでけへんというのが分かる」というのが人付き合いの原則。分をわきまえ、礼を失しないようにという最高級の気配り。その気配りが京都ではわかりやすい形で網の目のように張り巡らされている。そういうことだろうと思った。

お金や教養のあることを見せびらかすのははしたないこと、ないふりをしつつ、相手がどの程度の人か探り、それにふさわしい付き合いをする。なんかねえ、私のような田舎育ちには難易度高そう。

でも引っ越していって、自らの素性を明らかにし、何でも教えてくださいと頭を下げると、京都の人はそう意地悪はしないそうで、よかったあ。どこの土地へ行っても大なり小なり、その態度は必要ですもんね。

言わず語らずその場の雰囲気でことが運ぶのは、皆が同じ考えで生活しているからこそ。相手は尊重しつつ、過度に干渉しない、よそはよそ、うちはうちと世間に流されない、なんか賢いですねぇ。恐れ入りました。

京都で、一見さんお断りなのはお茶屋以外にはないそうで。お茶屋はお客さんの花代、飲食代、すべて立て替えてそれぞれの店に払う。素性の知れない、回収できるかどうかわからない人は断られるそうですが、これはシステムだと分かれば、意地悪との見方も払拭されるのでは。

もっともどの店でも自分のふさわしくないと、断られはしなくても「今あいにく予約がいっぱいで。また来ておくれやす」とか言われそう。その京都風に変な納得をするのもよそ者の悲しさ。

京都の食事は安くて気軽に食べられるものと、財布を握りしめて気合を入れて行く店とに二極分解していると思う。

こちら気軽な方。京都大学の学食、時計台に一番近いおしゃれなカフェテリア。ハンバーグランチ570円。2011年11月。

もちろん一見さんお断りではありません。日本円さえ持ってれば誰でもOK

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