7、8年前の冬、尾道で。蛸を干してます
宮本輝編集、親本は1998年に光文社から出された短編のアンソロジー。文庫は2001年。作品は1990年前後のが多く、もう四半世紀が経つ。
収録されているのは流行作家から純文学、新鋭から大御所、海外からはチェーホフまで。ご自分のも入れてます。それぞれたくさんの作品を持つのに、あえてここに入れた作品には編者の好みが色濃く出ていると思う。
しいたげられた人、貧しく日の当たらない場所にいる人、清く正しい生き方の対極にある人、どうしようもなく不幸な人・・・宮本氏はどうもそういう人物を小説にしたのが好みらしい。
短編なので、話のつじつまを合わせたようなのもあり、どの作品もやや不満が残った。元々受けつけない作家もいて、全部は読んでない。
中上健次の同人誌時代の作品もある。(後に個人作品集に所収)文章はぎこちなく、設定も無理なところがあるけれど、作品に勢いというかパワーがある。この傾向は洗練されては行くけれど、晩年まで変わることはなかったと思う。
いま読み返すと、戦争体験の残影がまだ作品に残っているのにも驚いた。考えてみればこのころはまだ戦争に行った年寄りがたくさん生きていた。歴史のつながりの中で人はものを考え、まだまた時間に奥行きがあった。
3月11日は奇しくも二年前に大震災のあった日。殆どの言説はそのことに費やされ、それより以前へはもう考えが遡っていけないような、奇妙な空間が現れた。これっていいことだろうか。追悼するにはやぶさかでないけれど、どさくさに紛れて強い国を作るという指導者。頑張ろう日本の掛け声で、すべてがなぎ倒されるような言語不毛、思考停止の空間。嫌ですねぇ~
せめていろんな時代の小説を読んで想像力の枯渇から身を守りたいと、そんなこと考えた。
この中では向田邦子の「鮒」がよくまとまっていたけど、まとめすぎ。水上勉「猿籠の牡丹」は悲惨すぎて救いがない。貧乏+戦争→自殺。救いがないけど、時代を刻印していると思った。
今振り返るとこの時代でさえ、いい時代だったなと思う。今の小説はほとんど読まないけど、ようわからん。