やっと涼しくなって、街歩き復活。川沿いの木陰を歩く。まだまだ木陰が嬉しい季節。
直木賞作家が交通事後で入院し、退屈な時間を読書で過ごして、興味を持った明治人を造形している。
明治天皇、森銑三、森茉莉と幸田文の四人を選び、資料の間を無理のない想像力でつなぎ、近代初めの頃のそれぞれの生き方が活写され、小説のように面白かった。
明治天皇が侍女と仲良くなって、皇后が機嫌悪くした・・・それを岩倉具視がとりなして、何とか収まり祝宴を上げた。というようなことが新聞に出ていたという。探し出したのはあの星新一、「夜明けあと」という新聞記事を集めた著書にあるそうです。
当時はもちろん天皇は皇后一筋でなくてもよくて、典侍、権典侍という身分の女官たちが侍っていたわけだけど(うわあ、源氏物語みたい)それ以外の女官たちと仲良くするのはタブー、それをあえてした23歳の若い天皇。度々維新の元勲たちから叱られ、また昔の暮らしに戻りますかと言われて、おとなしく言うことを聞いていた天皇。
晩年の疲れ切ったような軍服姿、そしてやっぱり歳とったら生まれ故郷が恋しいのは誰しも同じ。
ひがし山のぼる月みしふるさとのすずみ殿こそこいしかりけれ
という歌には本音が出ていると私は思う。京都へ一度帰ってみたかっただろうなあ。でも帰れないと自分でもわかっていたんだろうなあ。自分に関するいろいろなことが、自分と関係ないところで次々決められ祭り上げられる。
人は皆、役割を持ってこの世に生まれてくる。自分の希望、本心と当時の社会が求める自分のあり方との間にどういう折り合いをつけたのだろうか。
いやいや君主とは自我を持ってはいけない存在なのかもしれない。
森茉莉と幸田文、対象的な育ち方をした明治文豪の娘たち。どちらも破婚のあと、物書きになる。人は別の人の人生を歩くわけにはいかない。それぞれの人生をよく生き切ったと思う。
甘やかされ放題の森茉莉にはハラハラし、露伴の厳しい躾けにも胸が痛くなる。でも人間は結局は厳しくしつけられた方がよかったのではないだろうか。二人の書くものにもその人となりがよく顕れている。森茉莉は私の若い頃はまだ生きていて、エッセィを読んだ記憶もあるが、やはりろうけつ染めの布表紙の幸田文の「おとうと」を読んだ印象の方が強烈であった。
厳しい父、拗ねて不良になり、結核で死ぬ弟。その二人の間に立って、母親代わりに心を砕く姉=幸田文の健気さに高校生の私はいたく感動したものでした。
やはり子供は厳しく育てた方がいいのかもしれませんね。
読みやすく、しかしなかなか深い本でした。森銑三に目を向けたのもなかなかセンスがいいと思います。この人も昔はまだ生きていましたよね。時々名前を見たものですが、昭和は遠くなりにけり。