高校三年の今頃、確か古文で最後に習ったのが新古今だった。だから新古今と聞くと、寒くってストイックな受験直前の季節の感覚が蘇る。
センター試験なんてなかった大昔、国立大学は一期校と二期校に分かれていて、試験日程が違うのでたいていの人は両方に出願していた。地元二期校へ土曜日の午後、友達と願書出しに行ったら、宿直室から職員の方が出てこられて、それまでズボン脱いでコタツに入っていたらしく、ラクダ色の股引姿で出てきて、きまり悪そうに願書を受け付けてくださった。
大学入試、今は郵送の出願が普通と思うけど、昔は股引姿の職員に手渡しということもあったわけで。
いえいえ、新古今ですよね。当時私はクラスの違う男の子と文通していて、その子が理科系の学部志望だったけど、とんでもなく文学少年で、新古今がどうのこうのと言ってくるので、いやそれはああだこうだと返した記憶があります。
西行の歌でしたけど。だから私にとって西行は特別な人。そして新古今の歌人の中でも、私個人の好みだけど、西行は傑出していると思う。彼の歌には実体験が基本にあるのではっきりと分かりやすく、世を捨て漂泊の歌人としての自由な生き方が、歌い方にもよく顕れていると思う。
もちろん西行は托鉢をして歩くような下層僧侶ではなく、荘園の上りで優雅な暮らしのできる恵まれた境遇だった。お金の心配なく、いろいろなところを旅してそれを歌にする。めちゃくちゃ羨ましい。
寂しさにたへたる人のまたもあれな庵ならべむ冬の山里
この歌に私は西行の弱音を見、男の子は寂しさに耐える強い人間だからこそ、人にもたれかかれずに付き合って行けるのだと、何かそんなことだったと思う。うーーむ、これはとても分かりやすいようで、読む人によって解釈色々の歌だと思う。私が弱くて自立できていなかったということだろう。
新古今にはスター歌人がたくさんいるけれど、例えば式子内親王の
桐の葉も踏み分けがたくなりにけり必ず人を待つとはなけれど
などはもっともよく新古今振りを感じさせる歌だと思う。必ず待つのではないけれどもどこかで待っているかもしれない。作者が見ているのは自分の心の奥深く。とっても内省的な歌である。
後鳥羽上皇の時代、鎌倉に幕府ができ、上皇自身、承久の乱が失敗して隠岐の島へ流罪になるので、政治的には王朝は落ち目、しかしながら上皇が作らせた新古今和歌集はそれまでの日本文化の一つの達成として、以後の日本人の感性、抒情性に深く影響を与えたのでした。不在を歌う、春夏よりも秋冬を歌う。うーーむ、これが日本文化の神髄かもしれん。
上皇自ら編纂に携わり、二千首の和歌をすべて憶えたという。隠岐でも編集をつづけ、隠岐版の新古今まであるそうだから、なかなか気構えのしっかりした人だったのだろう。
きょうは朝からずっと掃除して、なんとか片付いたので、明日は山へ行くかも。いいお天気だといいんですが。