乗船客7人は志々島に下り、乗る人は誰もいなくて船は四国本土へと向かいます。
桟橋降りたところの案内板。
診療所の医師は常駐ではないのかも。
あとで知ったけど、フーテンの寅さん寅次郎の縁談はこの島で撮影され、甥の満男がこの診療所の看護師さんと仲良くなるという設定。きょうは看護師さんもいないようです。
崩れた廃屋。
細い路地を歩いていきます。廃屋多数。
お寺もすでに無住。人の気配がほとんどありません。寺の境内に墓石あり。
見晴らしのいいところまで上がってきました。向こうは三豊市詫間町です。
写真で気が付いたけど、小人の国に見える小さな家並みは島独特の詣り墓。家のすぐ近くの墓地です。
山の中腹には埋め墓のよく見る墓石も並んでいます。。
二つの墓地は土葬した時代の名残。すなわち、遺体は人里離れた山や海岸などの場所に埋め、お参りは家の近くの便利な場所に。火葬が一般的になっても、骨壺を入れない墓を別に作る。この両墓性は、瀬戸内の他の島にも一部見られるとか。(2020/9/28追記)
急な山道を登って、また急な坂を少し降りたところの谷あいに、北に向かってクスノキはあります。
お祀りしています。
上から見たところ。周りはウバユリの群落。夏の終わりの花期には見事でしょう。
説明版
奥の道から展望台に上ります。
沖行く船に呼びかけたい。春の海。
再び集落へ戻ります。閉店した店。
港の近くに墓地はあります。
手が込んでます。高さは約50センチ。ガリバーになったような不思議な気分。元々は葬式に使った道具を納めた死者の家とのこと。
簾を懸けて中には湯呑、御飯茶碗が置いてあります。
最近のお墓は、奥のように新建材でできたものも。
港近くでいろいろな写真を展示してありました。これは20年くらい前の島の様子。山を開いて畑があることが分かります。
暖かな気候を利用して花を作り出荷していたようです。
旅で知り合った東京の大学生に、昔は1,000人、今は20人しか住んでいない。誰もいない集落も見てきた。この船便がなくなるのも時間の問題と教えてもらった。すっきりとした顔、長身の知性溢れる学生さんでした。瀬戸内の島に興味があって、今回で三度目の島めぐりの旅をしているとか。今回は姫路から家島諸島、直島、男木島、女木島、塩飽、粟島、志々島、高見島・・・とたくさんの島を廻るそうです。
昔の村祭り、学校の運動会などの写真も展示。共同体が消えていくのを見るのは切ない。ましてや関係者に置いておや。
どこかの家から大きなテレビの音が聞こえてきました。それだけが人の気配。
映画ロケの記念パネル。その他に機関車先生も。島の人たちは宿泊、食事、エキストラ出演と協力したそうです。
20年前にはまだ共同体が機能していたのでしょう。全国津々浦々、こういうところが増えているのでしょう。
ちなみに大学生は志々島がいちばんよかったとのこと。
はまゆう?の根元に海にさらされた木切れが落ちいてます。記念にいただいて帰ります。
志々島の紹介はこちらhttp://setouchikurashi.jp/island/info/shishi/
夕方まで直通の船がないので、再び粟島に戻り、ルポール粟島で遅い昼食。
うどん300円でお茶、水、コーヒー、紅茶飲み放題。コーヒーもスタバよりずっとおいしい。うーーーむ、これに勝るもてなしなし。ちょっとせこいと思いつつ、最後の感動。
サヨナラ、二つの島と島で出会った人たちの笑顔。
I will return as soon as possible。以前京都へよく行っていたように島フリークになりそうな予感。ヨーロッパフリークにはなりたくない。お金が持たん。
前回の島旅http://blog.goo.ne.jp/kawashima134/e/8453ab98244fdfa53f0f3c105c82555e
前々回の島旅http://blog.goo.ne.jp/kawashima134/e/6063518d726229971ddb0834571cda3d