昨年の今頃、近所の古民家カフェで。オーナー氏とゆっくり話しながら、おしゃれな雑貨を見て選べます。
先日BS8のニュース番組に、アパルトヘイト発言で問題になった某、老女性作家と、南アフリカ共和国の駐日大使が出演していた。
作家が産経新聞に載せたエッセィか何かで、この先日本も移民を受け入れることがあるだろうが、住むところは分けた方がいいと主張したとのこと。私は原文読んでませんが、どういう意図で発言したのかな?いったいいつの時代の感覚?と首をかしげてしまった。
移民をたくさん受け入れている欧米の国々では、人種の間で差別や軋轢をなくし、人種にかかわりなく平等に生活できる事を目指し苦心していると私は理解している。
人はあらゆる条件を超えて、人として平等である。というのは近代社会の大前提。しかし生まれ、育ち、見た目、民族、性別などあらゆる記号で人を差別したくなるのも人間の弱さ。
社会の上層部よりも、最下層に接してすぐ上の階層の人が強烈にそう振る舞うことがよくあり、政治がそれを利用するときにはとんでもないことも起きる・・・・ということを前世紀半ばの大虐殺で人類はすでに苦い経験として学んでいる。
また南アフリカ共和国の人種隔離政策はつい20年くらい前まで行われていて、非権利状態に置かれた有色人種が、人間としての尊厳を否定され、悲惨な生活を強いられていた。黒人と白人は恋愛してもいけない、性交なんてもってのほか、という法律すらあった。結婚したいなら国外へ命懸けで脱出するしかない。好きな人と結婚できない、これは人道に対する罪の最も大きいものと私は思う。
駐日大使は有色人種の女性だった。途中から見たので経緯はよく分からなかったけど、話し合いましょうと某作家が呼び出されたような話の流れだった。少しは考え変えたのかな。いえいえ、「お忙しいのに時間をつくってもらった」と負け惜しみ言うくらいだから変えてないと思う。
某作家は差別ではなくて区別だと言っているらしい。週刊文春の3月5日号、の「言葉尻とらえ隊」というコラムによると某ラジオ番組で荻上チキと言う人が作家にインタビューし、「(区別という言葉は)差別者の側が意図的にというか狡猾に使ってしまう場合もあってしまうわけですよね」と問いかけたのに対し、作家は「私は私の言葉の使い方をする。私の死ぬまで待っていただきたい」と答えたという。
作家は自分が差別主義者であることは分かっていないけれど、頑固で、間違いを指摘されても受け入れない狭量な人であることを明らかにしたのはインタビュアーの手柄。コラムはそういう内容だった。
住むところを分ける。自分たちの意思ではなく、他の力で強制する。これはあまりにまずいと私は思う。移民というからには日本の国籍を持つ人。その人に対して、日本国憲法の保障する基本的人権のひとつ、居住の自由を認めないのはいけませんね。結果として一つの民族が集まって住むということはあるにしても、それとこれとは話は全く別。
某作家は(アジアやアフリカから来た貧しい)移民となんかお隣さんになりたくない、目に触れたくないという感覚の持ち主なんだろうと思う。ヨーロッパやアメリカから来たお金持ちの白人移民なら喜んで付き合いたいのだろうか。この感覚がダメだと思う。
私は日本人だということで世界中のどこへ行っても差別されたくない。なぜなら日本に産まれたのは私の落ち度ではないから。ということはどこの国の人でも、私とは違う人として、避けたり、バカにしたり、制度として権利を制限するのを認めてはいけないということです。そうしないと理屈に合わない。
なんかこれ書きながら50年以上も前の悔しい思いが蘇ってきた。
当時、私は小学六年生。市の美術館で市内の児童の図画工作点を見学に行き、うっかり台の上の工作に触れて一部を倒してしまった。
するとそばにいた他校の男子児童が「あっ、**小学校。悪い!!**小学校に給食なんかあるんか」とばかにしたような言い方。そりゃ「街の模型の門柱、ボール紙を糊でしっかりくっつけようよ」と言う前に、倒した私が悪いけど、それを小学校の名前に引っ掛けて、初めから悪い子ばかりのいる学校と決めつけるその悪意にびっくりして、何も言い返せなかった私。
一緒にいた藤田さんが(あの時はありがとうね)急いで直してくれたけど、私は悔しくて悲しくて立っているだけだった。
私立の小学校などない地方では、地域の学校に行きます。地域によって親の職業に違いがあり、おのずと学校のカラーにも違いができるのは自然現象、これは誰が悪いわけでもない。私の責任なんかであるはずもない。しかし、子供でさえそんな色眼鏡で見るのを知って子供ながらにショツクだった。今ならその時の気分をそう分析できる。
そうそう、我が地方では越境通学という抜け道がありました。市中心部のレベルが高いと言われる学区に、子供だけ住民票を移しておくのです。親戚とか知り合いに頼むらしい。朝、小学生がランドセル背負ってバス停に立っていたら、その子は越境通学の子。
私はそれを見るのがとても嫌でした。毎朝、自分があの子より劣っていると思わないといけないのが。何が劣っていたかというと、何だろうか?親の暮らし向き、自分の学力、属する社会?そうではなくて街の学校へ通うというその記号に気合負けしていただけかもしれない。
ことほど左様にひとは老若男女、分かりやすい違いの差に一喜一憂するわけであります。あのバス停の前を通るとき、悲しかった。今でも思い出すとちょっと悲しい。
人を区別したり分け隔てすることなく、みんな仲良く。地域も学校も国内も、世界中で。難しい道のりだけど、人間は智慧を持つ生き物、いつかは達成し、誰もが仲よく平和に暮らすのを目指す以外、何がある?と某作家に聞きたい私。
おやまあ、長くなってしまって。きょうはどうしても水彩画描かないといけないのに。まだ5千歩しか歩いてないのに。。。。