わずか半月ほど前ですが、ずいぶん昔のような気がします。記憶は指の間から砂が落ちるように、さらさらと消えていきます。
老化とはこのことかと、愕然としますが、いえいえ行ったこと憶えているだけで、まだマシ。先日の実母、三月に姑様のお見舞いに来たこと、すっかり忘れていました。
自分の名前と娘の名前は憶えているそうですが、孫8人の名前と生まれた順になるとあやふや。でも記憶がなくなるのは一方ではいいこと。同居家族の愚痴もほとんどなくなった。一ときはとても激しく、聞かされる私は不整脈に過呼吸で具合悪くなってた。やれやれです。
豊岡市のコウノトリの郷公園。
置物みたいですが、柵の上にはアオサギにコサギ。柵の中はコウノトリ。
ありふれた鳥は中に入るのを遠慮しているのかしら。
水田の中の巣。鶴に似ていますが、鶴より首が短い。
夫、あっ、コウノトリと飛んでる鳥を指さす。
私、あれのどこがコウノトリ?ただのトンビじゃないの。
でもそのあと飛んできました。写せず残念。
コウノトリは数が少なくなったので捕獲して増やし、生育しやすい環境も整えて、40年かけて再び野生に戻したそうです。
とは言え、水田に農薬を使わず、コウノトリのえさ場を作っています。人も他の動物も近寄れないようにしています。
タカなどの猛禽類はどう防ぐのでしょうか。夕方になったので、一路城崎温泉を目指します。
細い温泉街の道路、大渋滞。何とか宿にたどり着いたあとは、何はともあれ温泉街の散策。
城崎温泉は京都発の山陰本線が日本海へ出る直前にあります。鉄道で行ける場所なので、志賀直哉も行ったのでしょう。
宿近くの立ち寄り温泉。宿でもらった入浴証で入れるけど、まだ早いのでパス。
お寺のようなこちらへ行きました。こちらも温泉。連休で、人がとても多かった。
ちなみに私は服にスニーカー。夫、服に下駄。
この私には、浴衣は身幅が足りず、丈が長い。下駄は転倒骨折が怖い。
色浴衣着て楽しいのは若い人だけ。年寄りはまずは安全第一。
泊ったのはこちら。
温泉情緒
柳が旅情をそそります。
土産物店、射的場など温泉らしい店がいっぱい。
わーい、わーい。食事です。部屋で食べます。
床の間全体を装飾。これなら壁のシミなども目立ちません。いいアイデア。
高価そうな置物。
古備前かも。割ったら大変。
ロビーに展示していた掛け軸。南洲とは西郷隆盛のこと。直筆らしい。
幕末、禁門の変(蛤御門の変)で焼失した範囲を報せる瓦版。
上が東のようです。賀茂川の際まで焼け、焼死者多数とのこと。
この戦いで長州藩は京都から追い落とされますが、のちに武力を蓄えて再び攻め上がります。
京都へ行き、天皇をいただいて正当性の根拠とする。京都を中心にして政治の激変の時代、明治維新まではもうすぐです。
蛤御門の変の後、桂小五郎(のちの木戸孝允)が隠れていたのが、私たちの泊まった「つたや」さん。建物は建て変わっていますが、のちに司馬遼太郎が訪れ、投宿したそうで、由緒あるお宿です。
木造三階建て。その三階まで食事が届きます。恐れ入ります。
右は木戸夫人。祇園芸者だった美女で、のちに鹿鳴館の華と呼ばれたのではなかったかしら…うろ覚え。
おとなしく隠れていたわけではなく、地元の芸者さんたちと楽しく過ごしていたそうで、木戸夫人は心配してここまで様子見に来たそうです。
松菊とは孝允の雅号らしい。宿の玄関横にあります。
維新史跡 木戸松菊公遺蹟 揮毫は松木屋…。
隣は志賀直哉の泊まった三木屋さん。いつか行くことがあれば泊まってみたいものです。