今朝の朝日の中で。
先日、孫が遊んで内裏雛の配置換え。
先日の古民家カフェで見た雛人形の御殿飾り、私が小学生の頃は主流だった気がする。
気がするというのは、近所には誰も人形なんて持ってなかったし、唯一、同級生のS竹さんの家に学校帰りに寄って、見せてもらった経験があるだけだから。
その頃も今も同じように、嫁いだ娘に女の孫ができたら贈る習慣だったと思う。実母は20歳になるまでに両親を亡くし、兄一人が戦後1年くらいたって中国から復員してきたので、嫁入りしたとのこと。
そうでなければ婿養子とって家に田畑、墓所まで受け継ぐ立場だったと話していた。
多分ひな人形はまだ十分に出回ってない時代、あったとしても高価で、手に入らなかったのではと思うのです。
母は自分で人形買って、実家へ帰った時に着物縫って着せ、「もらった」と舅、姑に見せたとのこと。ああ、その時にヤフオクやメルカリがあれば、そんなに気を使わなくてもよかったのに。
小学生のころ、家に小さな人形があり、その時々で母が着物やドレスを縫って着せてくれていたけど、あれがそうだったのかしら。
中学生になると、父兄から寄付されたという豪華な七段飾りが学校の図書室に飾ってあり、人形の好きな私は休み時間によく見に行っていた。目近に見たのは初めてだったかも。
高校生の頃、一番下の叔母のところに女の子が生まれて、初節句のお祝いにと父が三万円出していた。父は同居する長男だったので、冠婚葬祭の出費が多く、大変だったと思う。それから7年後、私が勤め始めたときの初任給が2万円くらいだったので、かなりの金額と思うけれど、それでも七段飾りは買えず、立雛の少しいいのを叔母の家で見た記憶がある。
ひな人形って、昔はとっても高かったんですね。のちに叔母は自分のお金で豪華な人形買って、それも見せてもらいましたが。
御殿飾りのS竹さんのおうちは勤め人で、生活様式、いろいろと違っていた。何よりもお母さんが一日家にいて、買い物してご飯作って家事だけしているのが違っていた。
ある時、S竹さんのお母さんが「この間のテスト、**さんは80点だったけど、うちの子は100点だった」と言いに来た、と母から聞かされた。
うちの親は成績のことなんて無関心(これは大学受験まで続いたのでありがたかった。高校生の時は一度も通知表見せていない。親の印鑑勝手に押して先生に出していた。何かの犯罪?)、なんであんなことわざわざ言いに来るのかなあと不思議がっていた。
たぶん、元からの住民と新しく来た人との軋轢、文化の違い・・・かも。女の子は勉強するより、素直でよく働くのが良しとされた時代。
ああ、これは母のみに染み付いた価値観で、結婚前、家で本読んでるとよく怒られた。
そんなわけでS竹さんとは友達になれなかったけど、ずっと後になって、私が結婚したまだあとで、近所でそっくりな人を見かけたのです。顔の面影が子供のころと同じ、赤ちゃん抱いてちょっとつらそうな顔で、散歩していたのでしょうか。
まさかと思い声かけなかったけど、実家へ帰った時、「結婚して今広島にいる」と母から聞いた。だとしたらあの人だったのかな。また出会うかなと思ったけど、それから何十年もたって、一度も出会いません。私のようにこちらの人と結婚したのではなく、転勤族だったのかもしれません。
もし出会っていたら、どんな話していたでしょう。
あなたのおうちのひな人形がとてもきれいで、見せてもらって嬉しかったって今なら素直に言える。
それでひな人形の頃にはS武さんを思い出すのです。女の子が何人か集まって楽しかった。家の周りはずっと麦畑、三月には青くだいぶ伸びていたのです。麦はもう見なくなって、つくづくと歳月を感じる2020年の春であります。
長話深謝。