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「家族の分け前」 森浩美

2020-03-16 | 読書

公民館で借りてきた。配本はどうなってるのかよく知らないけど、中央図書館で廃棄前に各公民館を回すのかな。古い本が多く、これも2011年が初版。

いろいろな形の家族、うまくいかないときもあるけど、最後はかすかな絆に気が付き、それを取り戻そうとする家族再生の話。

うーーん、現実はこう甘くないというのは簡単だけど、こうあればいいと希望をもらうのも読書の一つの効能。

先日の「子供たちの場所」が余りに暗かったので、そのあとでこの本に出合ったのはよかった。

著者は文壇の人ではなく、放送作家から作詞家に転身。田原俊彦、SMAP、Kink Kidsなどのヒット曲を作詞、その後小説を書くようになったそうです。

読みやすくてよかった。話の底に人への信頼があって、安心した。近くの人を大切に、信頼して行きていこう。そういうメッセージが込められている。

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市民もいろいろ

2020-03-16 | 随想

元の動画は消えてるのに、称賛するエントリーは消してない。

http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1996.html#comment

市民と言ってしまえばみんな市民。郡部に住んでない限りみんな市民。郡ってまだあったかしら。

先日、要望出した会の代表者も市民。市民って本当に都合のいい言葉だと思う。


昨日からふと考えたのですが、生身の人間を据えるのは生物学的にリスクが高すぎ。そのためにお妾制度が昔からあるのだけど、近代的一夫一婦制を取り入れた時点で、今のような先細り状態も考えられるわけで。

どうしますかねぇ。

例えば樫の大木とします。その木は立派で、大きく枝を広げ、遠くからでもよく見えて目印、木の下へ行くと涼しくて安心する。みんなが好きな木。たまに嫌いな人もいるけど咎められない。木を守るために死ねと、誰からも言われない。

木の樹齢が尽きる前に、どんぐりから育てた次の木が育っている。いよいよ枯れたときには若木がその地区の新しい目印。みんなの気分も一新する。

そう、伊勢の遷宮や、諏訪の御柱祭などのイメージ。

制度を担うのは生身の人間でなくてはいけませんか。人はみな同じように尊い。不可触の制度があることが、人を人から区別する大元になっていませんか。

何処の家に生まれるかは本人の手柄でも落ち度でもない。

一度、直筆の字が公開されたことがあります。とても癖のある字、長い間拘禁された窮屈さを感じさせる字でした。

彼の人の自我はどんなものだったのだろうと考えるのです。

何かをありがたり、それをありがたがる自分は偉くて、そんな自分が大好きな人は、生身の人間に頼るのではなく、対象は何でも、木でもいいじゃないですか。

木もこの国の制度ができたころには生えていて、ずっと代替わりした万世一系のありがたい木、それでいいじゃないですか。たとえですけど。


私は戦前を想像するのですが、窮屈だったのでは。なんでそんな窮屈な時代を称賛するかと言えば、その時代にいい思いをした一族の末裔なのでしょうか。また昔の栄華を取り戻したいのでしょうか。わかりませんけど。

とにかく昔の教育がよかったなんて言ってもらいたくない。自由にもの言えない時代に戻ってほしくない。

昔を称賛して、いつまでこんなことが続くのかと、暗澹たる思い。

私たち少数派?って、市民を称する会の代表が焦ってどうする。そんなことないと論陣張らなきゃ。誰か論破してくださいって、頼りないなあ。


最後に。
またまた記者会見しているけど、作文読むだけじゃ全然伝わらないですよね。なんで自分の言葉で話すことができないの。結局、能力って言葉なんですよね。言葉で人間はものを考えるんだから。それができないのは見ていて腹立たしいを通り越して痛々しい。
前もっておぜん立てしてもらわないと何もできないのでは、もう無理では?


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