少し寒さが緩みましたが、まだまだ出かけたくない気温。
家でおとなしくしています。そのついでに、やりかけの写真整理、少しずつ。
分厚いアルバム、表紙のビスを外すのも面倒になって・・・どうしますかね。
写真いろいろとりあえず。順番は50年以上にわたってあちこち跳びます。
1965年秋。修学旅行で。
P君が座っている私のともだちとツーショット撮りたかったけど、三人ならいいと話が付く。
私はお邪魔虫。ニコニコ笑っています。
大手都市銀行の偉い人になったP君は数年前亡くなったそうです。青春の1ページ。
1993年、義妹の結婚式で。夫と三男。このころはまだ細い。
義妹は背が高くて綿帽子の花嫁衣装がよく似合っていた。
綿帽子・・・見たのはあの一回だけ。足場のようなものを頭に載せてその上からかぶる。
シール男。三男。
進物の柑橘類の箱に入っていたシールで遊ぶ。
1972年、実家の座敷で初釜。後ろは押し入れではなくて、隣の部屋との境の引き戸。
母、近所の人数人と私も加わって我が家でお茶のお稽古していた。先生に来ていただく。
家で、親のお金で習うので、全然身につかなかった。
何事も自ら出向き、自腹を切って習わないと身に付きません。
1966年お正月。
実家の庭先で。私、高校二年生。人生初の本身の着物は母が縫った。赤い梅柄の帯もその時買ってもらった。
今はひな人形の下に敷きます。
耳の形が父親譲り。父の耳についているのはアルバムに挟まれたごみのようです。
右端は五歳下の弟で小6?
建具が木枠。しみじみと昭和。
いきなり2021年1月10日にワープ。
庭のバケツの氷がなかなか融けない。氷を見るのは久しぶり。
傷んだ鉢植え。復活なるか。
1978年8月。新しい方の実家で。
長男、夫、弟の長男、次男、母。
三男の大学入学アルバム。
確か1万5千円くらいしたけど、記念に買って一度見ただけ、忘れていた。
三男に、要る?と聞いたら「写真部が儲けるために造っただけ」と見向きもしない。
重くて押し葉の重しにはいいけれど、牧野博士じゃないから押し葉もしないし。
捨てますかね。
三男は落研にいたんですよね。これは先輩方。
着物持っているので、誘われて一度舞台に立ったらしい。
スペイン風の近代建築。
建築の世界では有名な建物らしい。
芦生あしゅう演習林。
一度行きたいと思いつつ、長い時間が経った。京都府北部、深い山らしい。
こちらは大阪府堺市に近いところにあるらしい。
あの小出裕章先生のおられたところです。
おーーーい、三男、もう捨てるよ、いいよね。
長男、高校卒業の春休み。
中途退学して東京へ行った友達のアパートへ遊びに行く。
確か初台とか聞いたけど、初台って・・・どこかなあ。
この時は神戸市内、新幹線、JRが不通で、各地のバス会社から応援が。
「鉄道代行」と書いた方向幕のバスに乗った。広電バスだったと、興奮気味に喜んでいた長男は筋金入りの鉄道オタク。
1983年、長男入学式。
広島市立を「ひろしまけんたて」と読んでいた。
赤い着物つながりで。
赤い着物と布団は母が縫った。三男を転がして写真撮る。
次男が描いた似顔絵。鼻に湿疹があったのかな。
次男は年中、5歳だった。。。。。
というようなうちわの写真、他人さまには面白くもなんともないと思います。
失礼しました。
このあと、勢いつけて年初めの納税事務頑張ります。