少しと言うか、かなり気恥しいこともあるわけで。
ブログ友達の方が、コンサートチケットをキャンセルしたお話に触発されて、昔を思い出してみました。
11年前の7月23日、地元でのコンサートに参加。
ネットで予約、ローソンで購入した記憶が。
席は前列10番目くらいの通路側。スタッフにガードされつつ、歌いながら通るので、つい、両手で肩口をぎゅっぎゅっぎゅっと三回掴んでしまった。
今考えたら本当に失礼なことしたと反省しています。誰だって、たぶん舞台に立つ人だって人に触られるの嫌だと思うので。ごめんなさい。
途中から聞き始めたんですよね。
きっかけは小説が書けなかったから・・・なんて、なんじゃそれと言われそうだけど、ひょんなことから文芸誌に小説書く羽目になり、一作目は何とか。二作目は四苦八苦。編集長からは怒られまくり。もう一日中言葉が頭の中をグールグル、目の前の空中にミミズの塊みたいな言葉の塊がぽっかりと浮かんでいて、それを根気よく解きほぐす作業とでもいうか。
もちろん家庭持ちなので必要最小限のことはするけれど、黙って誰にも会わずにいると、次第に話し言葉が不自由になり、ワンセンテンス、最後まで話ができなくなったりもした。
クールダウンするために、ビデオをよく見ていた。見ながら、また掻き立てられるものがあり、出始めのころのワープロソフト使って続きを書くという繰り返し。
二作目も何とか掲載されたけど、不本意な出来で、今はもう読み返したくもない。
おやまあ、何の話になっているのやら。
子供たちが小学生の遊び盛り、日曜日は夫が外へ連れ出してくれて、私はほとんど一緒に遊んでいない。その時間はもう永遠に取り戻せない。その時はそうするしかなかったから後悔はしていないけれど、残念なことをしたと今になれば思う。
だからある曲からはその頃の焦燥感を思い出す。
5年前、スペインへ、バルセロナ、グエル公園、ガウディのエネルギッシュな造形を見て、何作目かの「月に濡れた二人」のジャケ写の場所と思われるところを通った。
月日は流れて私は還暦も過ぎ、鬱屈した日々ははるかに遠く、まさかその場所に行くとは思ってなかったのに、行ってしまうのも人生の巡り合わせ。
最後に破裂音とともに会場いっぱいにこれが降ってくる。きらきらときれい。30年以上前にも、11年前にも。集めて持って帰る。記念に。でももう捨てた。
つかの間の祝祭空間。そして、コンサートもしみじみと疲れる年になり果てぬ。
年初めのNHKの特集、「Hong Kong」がよかった。書けない頃、自分を励ますためにボーっと見ていたのです。