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貧乏だったころの思い出

2021-01-18 | 日記

広島では有名な女医先生のブログを時々拝見しています。

最近は、研修医時代の金銭的に大変だった時代のお話もあり、たいそう身につまされました。

先生とは同世代。そう、我が家も貧乏でした。

卒業後の大学病院勤めが、無給のインターンから研修医と制度が変わり、少しだけ給料が出るようになったころでした。二年間、関連病院へ出たときにはそれなりの額をいただいたのですが、再び大学病院に戻って医局員だったころは生活はぎりぎりでしたね。

私も働けばよかったのですが、幼児二人、夫の帰宅は深夜、実家は遠い、隣の義理の親にも頼めないので無理、・・・それでも本当に困ったら何とかしたと思いますが、とにかく節約して乗り切るしかなかった。

医局員は、今はどうか知りませんが、一日ごとの契約の日給月給制だったように記憶しています。2月が一番給料が少なく、次いで9月でしたか。当然、賞与はありません。

住んでいたのは、義父の土地の上に、二年間の貯金+住宅ローンを組んで建てた家。その家を増改築しながら、もう43年住んでいます。家があったからまあ何とか乗り切れたのかもしれません。

子供の服もデパートで高価なのは買えないので、下着や靴下以外は自分で生地買って縫っていましたね。子供のコートなどもミシンで。ついでに自分の服も。買えないなら買えないなりに工夫するのでまあ楽しかったのですが。

ある年の年末、たまっていた本代支払ったからと、わずかしか夫からお金をもらえないことがありました。その話を実母にすると、8万円くれて、あれは助かりました。そしてあの8万円、いまだ返していません。お母さん、ごめん。そしてありがとう。


夫は大学に残って研究を続けるつもりでしたが、助手が別の人になり、関連機関へ移って研究を続けていたようです。このころは殆ど家にいないので殆ど話をしていません。給料は世間並みになって、やっと一息、そこにいるときに学位をもらい、また関連病院に出て、それから40歳の直前に義父の建物を貸してもらって、自営業へと変わったのでした。

この頃、地元の同人雑誌で小説書いていたのですが、ある人の作品に「大学時代の給料貯めて開業資金にした」と言う一節が。たぶんそれはないと思う。言おうかと思ったけど、書いたのが怖い人なのでやめておいた。

数年前、私立大学の病院で、無給で診療しているドクターがいるとテレビ番組で知った。徒弟制度のような悪しき風習が、いまだ一部に残っているのでしょうか。働かせて給料出さないなんて、ちょっと信じられない思いでした。

今は新型コロナの蔓延で、現場で働く人は使命感が支えと思いますが、こちらも手厚く報酬を出してほしいと思います。

コメント (4)
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