昨日が最終日でした。
サツマイモと昆布の炊き合わせ。ひき肉の野菜炒め豆板醤入り。ダイコンと餅のスープ。
相変わらず生野菜とタンパク質が少ない。豆製品も。ダイコンは分厚く切って火が通ってないし、サツマイモも大きすぎて食べにくい。。。。なんてことは一切言わず、スープは残してあとは食べる。
その前日は麻婆豆腐。たくさんのニンニクにたくさんの生姜、真っ赤になるほど豆板醤入れて、豆腐は水切りしてないし、ひき肉は全然少ないし、でも黙って食べていましたが、半分くらいで気分が悪くなって残しました。
私、唐辛子系統が苦手で、いつか大韓航空の機内食で気分悪くなって、てきめんおなかの調子が悪くなりました。
今思うに、黙ってないで、口に合わないと言うべきでしたね。それで気を悪くしたら、結婚48年、ずっと作り続けてきたこちらの気遣いを言えばよかったですね。
一方で、せっかく作る気になったので、初めから注意ばかりではやる気なくすると思って。
と言っても、料理は私がいなくなった時必要になるので、好きなもの作れるようになったのはよかったと思う。自分でもなんか自信が付いたそうです。
買い物の仕方、献立の立て方、後始末、一週間でもだいぶ要領がよくなったように見えます。まあ、私がいなくなったとしても、何とかやって行けるでしょう。
ここまで書くと、私が病気にでもなったのかと思われる向きもあるかと存じますが、全然そんなことはなくて、先日割と大きめのケンカをして、その講和会議の席上で、相手が謝罪の条件として出して来たのです。そんなことでチャラにするのかとむかついたけど、本人は苦手なことをすることで誠意を見せたのでしょう。受け容れることにしました。
ケンカのきっかけは食事に対する感覚の違い。
夫の実家と私の実家では食事に対する感覚が全然違っています。私の実家では出されたものは好き嫌い言わず、感謝して残さず食べる。そう躾けられてきました。夫の実家では好き嫌いは率直に口に出す、食べたくなかったり、食べられなかったら残してもいい。そういう感じです。
この違いは何から来るのかと考えたら、やはり、夫の実家のそのまた実家は戦前にはとても裕福だったことに原因があるのかなあと思い当たるのです。田舎の大地主、子供には一人ずつ、小作人の家から行儀見習いに来る若い女の子を子守りとして付けていたそうです。太宰治の「津軽」の世界。でもそんな牧歌的なものではなく、、、、
普段は普通にしているのに、ちょっとしたきっかけであちらは育った家の歴史=本音が出る。何が悪いのと言う感じ。多分今でもわかってないと思う。
翻って庶民の食卓は、好き嫌いを受け入れる余裕がない。嫌いなら他に食べるものはないのですから。昭和の普通の家庭はたいていそうだったと思いますが。少なくとも我が家はそうでした。
料理に関して、自分の身内と比べてああだこうだと言うのは地雷を探してあえて踏む行為。また義妹の老後を心配しているのは優しいとは思いますが、自分の子供たちより優先しては行けませんね。それは自分で考えたらいいそうです。それを指摘するといつもはぐらかし(道理がなくて言い返せないので)、不機嫌に。それが分かっていて、同じことを持ち出して戦術としてまずかったと反省しているところです。ほっとけばよかったのに。言ったところで治るわけないんだから。
次男のマンション買う時には、ほぼ私が決める。外へ向かっては男でないと相手にされないので夫を立てるふり。大した金額ではないので、お金は全額キャッシュで私が出す。次男には金利なしで、毎年返してもらうことにしている。
と、こういうえらそげな私の態度があちらさんは面白くなかったのでしょう。男って、とりあえず立てられてなんぼですもんね。
ケンカが盛り上がった時にはいろいろあって、あまりに腹立つので「つまらん男!!」と面罵したけれど、そんな男と一緒にいる私も同類。世間から見たらそうですよね。いきさつを友達、知り合いに話したら、そういう反応でした。恥ずかしや。
今97歳、来月98歳になる姑様は夫婦喧嘩ではいついかなる時も「ごめんなさい」と謝り続けていたそうですが、残念ながら私は姑様ではないので同じようにはできません。
食事と同じく、夫婦げんかの作法も育った家が色濃く反映されますよね。私の両親は喧嘩、殆どしない夫婦でした。父がいつも笑って受け流していました。大勢の兄弟の中で育ち、協調性、我慢を自然に身に着けたのでしょう。結果、母がやりたい放題で、また別の問題があったのですが、私は母のようにするのが普通と思っているところがあるのでしょう。
それでたまにぶつかり合う。今回は5、6年ぶりかな。
面白いですか・・・こんな話。でも読んでいただくのは強制ではなくて、むしろ自分で整理しているのですからなにとぞご容赦を。
15年前には「私の実家のこと、水呑百姓と言うのはやめてほしい」ときつく言ったこともあります。なんか、私の実家が貧乏だとでもいいだけな差別的発言、冗談でも許せません。だいたい冗談にもなってない。
だって、貧乏じゃないもん。あんたの実家より資産があって裕福だもん、貸付不動産たくさんあるもん、なんて馬鹿なことは言いませんけど。ひけめ感じるから言うのかな。分かりませんけど。
最近また言うので「農家のどこが悪いのよ。碌なダイコンも作れんくせに」と言い返す。「じゃああんたはお米も野菜も食べないんだね」ですよ、まったく。
面白いですか・・・こんな話。いえいえ、他人のケンカは高みの見物、大きいほど面白い。娯楽にしてください。
何事でもそうですが、物事には起承転結がある。盛り上がっている最中で、どちらかが交通事故かコロナでこの世とサヨナラしたら、残されたものは悔いが残る。腹の立つことの多いのは浮世の定め、流れに身を任せているとやがて潮目も変わる。
このブログ書いている途中で、どこかの会社の偉い人が妻に暴力振るって逮捕されたニュースが。素手で殴るのではなくて、ゴルフクラブで何度も。つくづく恐ろしいと思いました。あんな硬いもので殴られたら、悪くしたら死んでしまいます。
あの人は父親の暴力を見て育ったのかもしれませんね。断定はできませんけど。自分の怒りをそうやって表現していいという育ち方。怖いですね。たぶん初めてではないと思う。奥さんは我慢していたけど、このままでは危ないとようやく目が覚めて通報したのでしょう。
一週間、買い物にも行かず、食事も作らなかったらとても楽でした。
作り慣れない人はあるもので作ることができず、何かを作るために材料を集めるけど、いろいろ残ったのがあるので今夜はとりあえずあるもので済ませた。
明日からのことですが、あれこれ作らず、簡単にする予定。食事はシンプルに、人生もシンプルに。
このブログ、夫バレしてない筈たけど、しばらくしたら下書きに移す予定です。あしからず。