本日午後から、字を書きに行きました。場所は近所のお寺、写経です。
我が家は舅様の死後、このお寺の門徒になり、法事などは姑様がお願いしていましたが、この数年は介護に追われ、足が遠のいていました。
そろそろ別の場面に行きたくなり、信仰心の乏しい私ですが今回思い切って参加することにしました。
コロナで久しぶりの集まりだそうで、新しい教材が渡されました。写経して製本すれば、お経の本になる一式で、これのみ実費、会費は無料とのことでした。
会費が無料なばかりか、お土産に和菓子とお茶までいただく。
ありがとうございます。
ところで仏説阿弥陀経は法事で読むお経でしょうか。うろ覚え。
正信偈よりはやや長く、普段には読まないように思います。
私は今日の今日まで仏説阿弥陀経は宗祖親鸞が書いたものと思い込んでいましたが、タイトルの下には、姚秦の三蔵法師と鳩摩羅什が翻訳したらしいことが書いてあります。
姚秦とは後秦のことで、始皇帝は前秦でしたか・・・うろ覚え。
鳩摩羅什という名前も遠い昔に、世界史で習った記憶がおぼろげに浮かび上がってきました。
日本のお経じゃなかったんですね。もうお、びっくり。
ネット情報によると一世紀に北インドでできたお経で、三蔵法師が中国に持って帰ったのでしょうか。それを三蔵法師と新疆ウイグル自治区出身の鳩摩羅什で中国語に翻訳した・・・のかな。
原典はサンスクリット語、鳩摩羅什は300巻の経典を中国語に訳したそうです。
今、日本の浄土真宗の宗教行事で普通に読まれているポピュラーなお経が、二千年も前にインドで作られたなんて。その頃の日本は縄文時代…だったかな。あまりの文化のレベルの違いに唖然、愕然。
20年くらい前、西安に行き、昔仏典を保管していたという大雁塔も見学しました。
五重塔くらいの大きさで、中はがらんどうでしたが、この中に全部経典が言っていたのかと驚いたのです。見学料は日本円で150円くらい、三男は大学一年生で、試しに日本の学生証みせて90円くらいで入れてもらいました。いちいち小ネタを披露する三男坊。
阿弥陀経はいつ頃日本に伝わったのでしょうか。遣隋使、遣唐使が盛んだった奈良から平安前期に、他の経典とともにと類推するのですが、(調べればいいのに面倒)、平安中期以降の末法思想と浄土信仰の広がりの中でクローズアップされたのかもしれません。
平安中期以後は律令制のタガも緩み、南都六宗、密教だけでは対応できない社会の変容があったと愚考するわけですが、それの答えをこの阿弥陀経に求めたのかもしれません。ひたすら浄土を求める。どうしようもないこの世から逃れる。そんなことが書いてあるらしいので時代の気分に合ったのでしょう。
それにしても、いゃあびっくりです。本家のインドはおろか、中国でももうこのお経は廃れてしまっているのでは。それ以上東へ行くともう陸地もない東洋の果ての果てでこうして残っていることに。
何を今さらと呆れられそうですが、全然知らなかったので。
本日はご住職先導で阿弥陀経半分詠んで、あとは各自書写。誰も何もしゃべらず静かな時間が流れていきます。
本堂ではなくて、隣接する門信徒会館。とてもきれいな建物で、畳の上に墨こぼしたらいけないので緊張しました。
自分がいてもいい場所が一つできて嬉しい私。靴を脱いで畳に上がる。それだけで癒されます。前に織りの教室へ行った時がそうだったし、お寺さんなんて仏事以外で関りができると思ってもなかったのに、人生とは不思議です。
お寺大好きだった祖父や父は「お前、ようやく仏縁ができたんやのう」とあの世で喜んでいるかも。なかなか、中途半端に身に着けた近代的自我が邪魔して、信仰に身をゆだねるまでは行きませんが、年末来いろいろあったことが少しずつ洗い流されていく感じ。
そして少し離れた場所から静かに振り返って、自分の至らなさも分かり、取り返しのできない失敗にも気が付き、それを苦い教訓にして少しはましな自分にしていかなければと、字を書きながらしみじみと思ったことでした。
きょうからは自分の暮らしに一つ芯ができたような気分。何なんでしょうか、これは。縁の尽きたところからは離れ、新たな縁を求める。
宗祖親鸞も何十年と北陸から東国をさまよいながら、その宗教観と信仰心を深めたのでした。
とても掃除の行き届いた境内でした。お寺は掃除大切。落ち葉掃いたりする庭掃除は好きなので、いつかボランティアでできたらいいなあ。