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海岸通りの散歩道

2021-02-16 | 日記

一万歩歩かなくていい、一日30分、速歩と普通の速度を5分おきに交互にって、どこかで見た。

今の私に都合のいい情報。それで海岸通りを港まで行く。往復で45分くらい。ちょっとした買い物したりして、一時間弱。ちょうどいいお歩き。

都市高速と路面電車。

広島はデルタで川も多く、地下鉄は不適。のんびり電車が走ります。

一回190円、交通系の共通カード、パスピーで180円。乗り継ぎは指定の停留所利用で無料になる。市民の脚。

マンション多数。

眺望、日当たりを求めて、上へ伸びる建物。

一度マンションに住んでみたいと思いつつ、もう機会もなさそう。

呉経由で2時間半くらい。松山港は市街地から離れていて、道後温泉まではまた時間がかかる。これとは別に高速艇あり。それだと1時間くらい。

赤いバスは市内観光の乗り合いバス。

日清戦争の時、広島に大本営が移され、明治天皇も半年くらい広島城内に滞在した。

港へ天皇が来て松を植えたのかな。松はなくなって石碑だけが残る。

昭和55年頃は、まだ埋め立て地の水を抜くための水路が多く残っていて、この付近には御幸松ポンプ所というのがあった。ポンプで排水していたのでしょう。

今は暗渠かな。きれいになりましたが、昔の活気も懐かしい。

貨物船が多く寄港、荷下ろしの人手を募集する職安もあり、人が多かった。

防潮堤は普段開いていて、何かの時は閉めて高潮津波を防ぐらしい。

工具も横に置いてある。

しかし・・・・9つの行程、夜、明かりも消えて、たくさんの扉、人力で誰が閉めるのでしょう。消防署員?

潮風で少し錆びかけてもいるし。

1993年と2005年頃、二度の高潮で路面電車の線路もつかり、被害いろいろ。

津波が来ないことを祈るのみ。いざとなったらスマホと財布もって夫実家上階へ逃げる。

春もそこまで。


サウンドオブミュージックででてきた写真は、オーストリアアルプス。

ザルツブルクからハルシュタットへの道すがら。

避暑地のはずが、最近の温暖化で夏は暑いとのことでした。

チェコから国境超えてザルツブルクに近づくと、山が次々現れる。

氷河が削った山の独特な形。

そして雨はあまり降らないのかも。

日本のように豪雨が時々あると、岩山ももう少し勾配が緩くなりそうですが。

山にも顔つきがある。ヨーロッパの山見るとその感を強くする。


外出自粛、宴会自粛、旅行自粛も日常になると、毎日の暮らしの中に楽しみを見つけ、意味のあることをしたいのですが、なかなか。

人と会いたいなあと思いつつ、港の待合室に身を置いて、しばし、知らない人の姿を見ている。

昼間はあまり人もいないけれど。

みんな、どうしているのかなあ。。。

今月から、お稽古ひとつ、新たに始めることにした。きよう電話した。お世話しているのは昔子供会も一緒だった人。やさしい物言いに癒された。

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冬に眠れないのは困る・・・

2021-02-16 | 日記

宵の口、ものすごく眠くて、断続的にうたた寝、日付が変わるころに途端に元気になる私。

困ったものです。夏なら、涼しくてしたいことがはかどるけど、今は起きていても寒いだけ。暖房費がかさむだけ。

しかしまあ、昼間出かけてお金使うよりはいいかなと、起きている。

従妹との掲示板、見ているうち、懐かしい写真いろいろでてきた。

今振り返ると、孫たちは幼く、自分は少しだけ若く、姑様、実母は元気。


ああ、それは過ぎ去った宝もののような日々たち。

冬の深更、失われた日々を思ひながら私は静かに泣くであらふ。

過ぎた日々は二度と戻らぬと。何をやすやすと日々を過ごしていたのかと。

そして思ひはいつも、扉を開け、凍てついた道を立ち去るであらふと。

(立原道造風に)


四年前の2月。

姑様、母、孫。

パジャマ姿でくつろぐ孫。泊まるのではなくて、朝、着替えないまま我が家に来たらしい。

あんた、リラックスしすぎやろ。

テーブルの上にお手玉がありますが、それは母と私で作った。

順不同に。

織りの道具で遊ぶ。

数年前。山口県光市防府市にまたがる茶臼山で。

数年前、旧千代田町の雲月山うずきやまで。雨。

夫にツェルトを貸す。

2016年6月、地元オペラ劇団の公演、「サウンドオブミュージック」に出演した孫娘。左から二人目、三女ブリギッタ役。当時一年生。茶髪のカツラにメイクもばっちり。

けいこ場が学校に近く、子役募集のチラシを学校からもらってきて「オーディション受けたい」と本人が言ったとか。

運よく受かり、数か月の稽古のあと、舞台に立つ。

一族郎党で鑑賞。初めから終わりまで、涙、涙のばあちゃん=私。

特に大佐マリアの結婚式の場面で、白いドレスに頭に花飾りで参列する姿に、泣けて泣けて。

あの赤ちゃんだった子がこんなに大きくなって・・・・

最後は旅装で国境脱出の旅に出る。ケープ姿で客席の脇を通り、手を振りながら消える。

ああ、こうして書いているうちに、また涙が出てきた。

ほんとの結婚式ではどれだけ泣くことか。

結婚式、絶対出るけんねと言ってある。

いいよう~生きてたらねぇ~

ですって。

忘れてた。四歳になったばかりの弟は公演の両日出演。出演者の中では最年少。声が大きいので、こちらはスカウトされたとかでした。

二日目、二人が出る日はその弟を、地元フラメンコ劇団の人達がずっと面倒見てくれていたとか。ありがとうございます。

しかしまあ、月日の流れるのが早いこと。

年寄りの日々はつるべ落とし、一日も無駄にしてはいけないとあの貝原益軒先生も養生訓の中でおっしゃっておられます。

毎日を大切に。

コメント (2)
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