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暮らしにいかすにっぽんの布・応用編

2021-08-18 | 縫物いろいろ

この布でいろいろ作るつもりだったけど・・・・

とりあえずあるもので。

30年近く前、段原の大通りの一つ比治山側の道を自転車で通っていたら、普通の家の玄関先が骨董店になっていて、その家の住人らしい女性が店番していた。

藍染めや絣の布のセットを買う。

比治山の東側は原爆の被害に遭わずに古い町が残っていて、再開発で家が取り壊される頃は骨董ブームだった。店もたくさん。今はほとんど残っていない。残念。

自己流にパッチワークしてみました。今朝、手織りしたコースーター探すうち、出てきたので、気持ちも新たに置いてみた。

茫々と過ぎ行く歳月であることよ。


麻布一枚で雰囲気が変わる。

Eテレで、石村由紀子さんの提案です。

それで洋服用の135㎝幅1m、切り売りの麻布買ってきたけれど、それは使わず、パッチワークと一緒に出てきた麻布使う。

並幅、手織りらしいのが嬉しい。こちらも骨董市で。300円くらいだったかな。

コースター二枚は自作。下手ですねぇ。下手なので味わいがあると言い訳。

骨董市、なくなって久しい。フリマもなくなった。近くで千田わっしょい祭の流れをくむフリマがあるけど、日曜日は遊び歩いてほとんど行けてない。

このコロナ禍、もうなくなっているのかも。骨董とアンティーク好きの私は寂しい。

小さな工夫で小さな幸せ。

涼しくなったので水彩画の額、タペストリーなど入れ替える。動いてもそう汗をかかなくなった。

タペストリー外してこんな感じに。

家の外へ出るのが面倒なときは、葉をちぎって使う。

光の加減がいい感じ。もう少し大きなガラス瓶、探してみます。


外へ出ない、外出の機会は50%減らすって、そうは言っても人間は社会的な生き物。

人と話したり、遠くへ買い物行ったり、たまに店で食事したり、友達に会ったり、身内に会ったり、したいですよねぇ。

きょうは近所のホームセンターで花をたくさん買ってきた。一部は寄せ植え。切り花はあちこち飾る。お盆用の花が大量に残って投げ売りしていた。墓参りの期間、ずっと雨だったもんねぇ・・・

菊は仏事用みたいだけど、少しだけ秋の気分。

季節も、そして我が人生もかくの如く疾く過ぎて行くらし。

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乱れ織り・・・かな

2021-08-17 | 機織り

今朝早く起きたので、筬に通して織り始めました。

40㎝幅の予定ですが、真ん中を30㎝くらい、先日孫娘が織ったので、右の三分の一だけ織ります。

今回はテーマは白。白で踏み方だけ変えて、いろいろな柄を織り出す。きれいにせずに、手織り風に。

手紡ぎの糸などあればいいのですが、工業製品。それでニュアンス出すのは難しい。

色に逃げない。白一色の勝負。いろいろな白い糸を使う予定です。

段の高さは同じですが、目の錯覚で斜めに見える。

踏み方と糸の太さだけ変えています。

この後、スラブ糸(節のある糸)も使いたいと思っています。

まだまだ始まったばかり。涼しくなったので頑張りましょう。


昨夜のEテレ「暮らしにいかすにっぽんの布」で、小さな古布をコースターにしていました。

持っていてもやがて一括してゴミになるならば、何かにして、ひととき楽しみましょう。

出してとりあえずアイロンかけてみる。

手前、井桁の絵絣以外は姑様から10年以上前に一括してもらった。

書生絣は舅様の着物。息子の着物に仕立て直したらいいと貰ったけれど、幅が短くて断念。いろいろに使った残りです。

井桁は実家からもらってきた昔の布団地。私の曾祖母が明治時代に織ったそうです。あと鶴と亀もありましたが、手芸で使ってしまった。気が強くて祖母は泣かされたそうです。機織りは少々気が強いくらいがうまく織れる。のんびり、ぼんやりではそれなりに。

無心に手縫いをしていけばやがて形になるけれど、邪念が多くてなかなか。


以前、古布で作ったおにぎり。

赤い布を見るとやがて酸っぱく感じる私は日本人。PCR検査に使える?

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意味不明なお言葉

2021-08-17 | 日記

↓クリックしてください。

(20) jp on Twitter: "スガ解読、なる! 皆さんのおかげです スガ「まずアフガニスタンにおいて タリバンの首都カブールへの、この入城」 https://t.co/yHdbbcDN6z" / Twitter

まずアフガニスタンに於いて、タリバンの足とカブールへの入金によって・・・

はあ???????

タリバンの足がどうしたって??

カブールに誰が入金するって???

人さまの揚げ足を取るのは、心優しい私(←どこが!!)としては大変心苦しいのですが、元は入金ではなく、入城と書いていたという説もあります。

人の書いた原稿読むにしても、事前に読み方チェック、意味を理解しておくのも基本中の基本。うちの息子にだったら一度失敗したらきつく言っておく。夫だとしても同様。

私自身が無能力なことを棚に上げて、あまりにもあまりなので、人さまのブログにあった記事からツィッターを探し、リンクさせていただきました。

スガ様、失礼しました。支持者の皆様、失礼しました。

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夏もそろそろ終わりで・・・

2021-08-16 | 日記

今年のお盆休みは今日まで。

お天気よかったのは8日の午前中と9日の午後だけ。

あとはずっと雨。

8日は墓掃除。嫁ちゃんと孫二人も参加。助かった。帰宅してしばらくすると長男が現れ、その日はありあわせの時短料理を出す。

8日から13日まで、延々孫娘だけが滞在。初めは勉強道具持ってきてないので、簡単な宿題の後は退屈そうにしていた。お嫁さんがいろいろ持ってくるとやる気出して頑張っていた。私は孫の勉強見ないと決めているので、おじいちゃんにお任せ。やれやれ。

その心は人に勉強させるのは大変。間違って教えても行けないし。長男は私が教員免許持っていることを知っているけれど、小学校は無免許運転です。無免許運転、事故の元。

それに教育学部ではないので、教育実習もとても短くて簡単。付属の生徒はよくできるので、下手な学生の実習にも付き合うふりして自分で勉強している。で実際に教えるようになってから大変苦労した。

教育実習中、高2だったか高3だったか忘れたけれど、男の子がツカツカツカッと私の前へ来て、「あなたは明治維新は絶対主義革命と思いますか、ブルジョワ民主主義革命と思いますか」といきなり議論を吹っかけてきた。

うーーーむ、講座派に労農派かあ~。おぬし、なかなかできるなと思った。

この国では革命未だならず。かの維新は絶対主義革命にすらなっていない、東洋の果ての後進国の未熟な改革運動。大急ぎで近代国家を作る必要から古代からの権威を持ち出したところが痛い。

と言えばよかったのかな。

でも私は「授業ではそんなことには触れないつもり」と当たり障りのないことを言うだけでした。そのあとの議論の展開に自信がなかったのと、他にたくさんの学生がいたので、結局は不勉強な自分がばれるのが怖かっただけかも。

おやおや、話が大きく逸れました。

要するに孫の勉強など見たくない。どうしてもさせたいなら塾へやってプロに見てもらいなさいと言ったけど、それを決めるのも親です。年寄りは要らん口出ししない。


孫が5日滞在して帰宅。14日は次男だけ呼ぶ。いまだワクチンしていないので今年は個別のお盆。ものすごい豪雨だったけど、この人は徒歩数分のマンション暮らし、歩いて来て話してご飯食べて、ワクチンの相談もして雨が小降りになったので帰って行った。

夜はコロッケ、お刺身など。コロッケは安い食材だけど手間がかかる。普段はあまりしない。子供の時から揚げ物、フライの好きな次男。まあできる間は母の味で。


昨日はまたまた長男一家の来襲。

「**ちゃん、久しぶりー♪長く会わない間に大きくなったね~」としみじみ言うと、

「一日会わなかっただけじゃんか」と突っ込まれた。

しかしまあ、あんた達、なんでお盆を親の家で二回する?別にいいけど。

昨日は手巻き寿司にもならない、各自手作りの海鮮丼、汁物、サラダ、定番の揚げポテトたくさん、トウモロコシなどなど。

やれやれ今日でお盆休みもおしまい。

昨日嫁ちゃんに貰ったラム酒入りのケーキ、アイスに飽きて、久しぶりにケーキがおいしい今日この頃。

夏が逝くのは毎年そぞろ寂しいけれど、今年はそれよりもほっとしている私。しみじみと歳。。。

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「私は夢中で夢をみた」 石村由起子 再読

2021-08-16 | 日記

先週からEテレで「暮らしにいかすにっぽんの布」が始まった。

2年前の再放送、先週は生活文化コーディネーターの石村由起子氏が、麻布、蚊帳織を生かした暮らしを紹介していた。

シンプルでセンスのいい自宅。

この方は1951年生まれ、33歳で、奈良市の田園地帯にカフェと雑貨の小さな店を始め、その後、雑貨や洋服販売、レストラン、ゲストハウスなどの店を展開し、今では各地へ呼ばれて店のプロデュースや町おこしなどのアドバイスもしているらしい。

女実業家として、ギラギラした人を想像していたけれど、ご本人は麻の古布で仕立てたワンピースを着て、落ち着いた雰囲気の人だった。

今日もあるのでまた見ましょう。

雑貨を売ってお茶が飲める店って今ではたくさんあるけれど、開業当時は東京でも珍しく、まして地方で店を続けるのは大変だったそう。

しかし世の中が大量生産されたものではなく、手作りの、作り手の息遣いが感じられるものを求めるようになると次第にお客さんも増えてきたとか。

人が求めるのは、雑貨でもコーヒーでもなく、その場所全体の雰囲気だと思う。落ち着いていて、日頃の喧騒を忘れてひと時ほっとできる空間。

四国高松で、仕事の忙しい両親の代わりに、広い家でおもてなし好きの祖母に育てられた幼児体験が、今の仕事の原点になっているとご本人も言っている。

人を心地よくさせる空間。人はお金を払ってでもそこに価値を見出す。

お金を出せば、高価なもの、世界中のものが手に入る時代になって、人が求めるのは田舎のおばあちゃんの家のようなほっとできる空間かなと思った次第です。

手作りというのは手間がかかるけれど、自分の気に入った布を一枚、カーテンがわりに掛けてみる。そこから暮らしは心地よくなる。先週はそういう提案でした。

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孫が遊ぶ、孫と遊ぶ

2021-08-14 | 日記

おじいちゃん、ボルダリングに行こう~

場所は昔のチチヤスパーク、宮島口よりまだ遠い。

途中、R2バイパスは事故渋滞。行くのに1時間くらいかかった。

料金は利用者は1,800円、付き添いは500円、駐車代が1,000円。

90分、休むことなく体を動かす小学生。

Tシャツは私の古い登山服。この後、他のと合わせて持って帰った。

頑張れ~

私は休憩所で読書。90分の間に読了。

終わったのが13時ころ。途中で昼ご飯食べて帰宅。

おじいちゃん、お疲れさま~


4日泊まった途中で、お嫁ちゃんと弟が様子を見に来た。

久しぶりのプラレールは、お話作りながら脱線ごっこ。

同じおもちゃでも、遊びがバージョンアップ。


機織りをしたいという。

真ん中を15㎝くらい筬に通し、幅の狭いものを織ることにした。

頑張っています。

出来上がり。

初めの方は、勉強中だったのでばあちゃんが織る。

水色からが小学生。よろけ筬が難しかったようで。

というか、大人でも難しい。

海で拾ったきれいな貝殻は、洗って乾かして持って帰ります。

ばあちゃんとは別の部屋で寝ます。エアコンつけるので。

私の本棚から気に入った本を取り出して寝る前に読んでいました。

30年くらい前の本かな~

初めの三人、読んだはずだけど憶えていない。

あとの二人はわかる。

有島武郎と心中した女性記者。読んでどう思うのかなあ。。。。

大人の秘密、覗いてみるのもワクワクドキドキ?


雨で涼しくなり、最後の夜だけ一緒に寝ます。

スタンド消して、小さな明かりをつけてすぐに寝入ってしまいました。

昨日は夕食終わってから送っていく。

自分できちんと荷物作って、玄関に準備していた。

帰りは荷物が増えている。

近くの西松屋で服4枚、私の登山用Tシャツ2枚、買った本1冊は読了、古い本一冊。

これだけが追加の荷物。

子供から少しずつ大人へ変わるその様子が面白い。

「ママの餃子はくっついていることが多いんだよね」

「ママはローストビーフ、よく作るよ。国産肉が安い時に」

「**クンがママのおっぱい触るので、一回でも触ったら夏休み中、YouTube禁止って言ったらやめた。その代わり私が意地悪したら一日禁止の日が減るの」

「勉強は楽しいけど好きじゃない」そうで。やれやれ。

今年がこんなに長く泊まる最後かもしれないね。友達や彼氏と約束したらもう来ないよね。

そりゃ当たり前でしょう。

野外活動は急遽再開され、12月にしか施設が取れず、キャンプは中止。宿泊棟に泊まるそうで。

昨年から修学旅行は日帰りに変更。来年も日帰りかもしれませんね。


うちの孫だけかもしれないけれど、時間があったらまずYouTube、やめさせてご飯食べさせたり、風呂に入るよう言ったりするのに気を遣った。

自分の子供ならきつく言う場面でも孫には言えない。もう気力がわかない。

問題集の答え合わせは自分でさせたけど、最後の点検、昔なら張り切ってしていたけど、気力がわかない。国語の長文問題などは、問題文を読む気にもならない。

すべておじいちゃんにお任せ。

楽しうてやがて疲れる孫の守り。

スポーツクラブとスポーツの教室、二つをしているので普段はめったに来なくなった。

塾には行かず、中学受験もしないそうで。親の方針なのでばあちゃんは横から口出ししない。運動のクラブは人間関係がひとつの世間。世間のいろいろな場面に遭遇しているようで、世間知もついている模様。


自分の話で恐縮ですが、三男は遊びが大好きで中学生半ばまではクラスで真ん中くらいの地味な成績。三番目なので私も勉強させるのが面倒。放置していたら、中二のある日、「今のままではいかんなあ」と気が付いたそうで。

それからは人が変わったように勉強を始めたけれど、本人にとってはゲーム本を攻略するような感覚だったらしい。

それからまあいろいろあったけれど、一浪の後、自分の希望する学校へ行き、自分の好きな仕事しているので、あの遊びまくっていた子供の日々は何だったのかなと、今にして思う。遊んで体の中にエネルギーためていたのかな。

三人の息子を育てて思うことは、勉強する子は言わなくてもするし、しない子は言ってもしない。言い過ぎると逆効果。それに気が付かない未熟な親=私。

それよりも、その子のいいところを見つけてほめて、自己肯定感のある子にする。自分で自分のことが決められる子にする。それが子育ての要諦かと。

齢70歳を過ぎ、あまりに遅い気づきでありました。

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「暁の宇品」陸軍船舶司令官たちのヒロシマ

2021-08-12 | 日記

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「暁の宇品」陸軍船舶司令官たちのヒロシマ 堀川恵子

2021-08-12 | 読書

宇品とは広島デルタの南端、広島港に臨む一帯を指す。元は遠浅の海で明治時代に埋め立てられ、港が作られた。

日清戦争のときには、広島まで開通していた山陽本線、突貫工事で広島駅から宇品を結ぶ宇品線を利用して、宇品港から大陸へ兵士や武器、食糧などが朝鮮半島に送られた。

以後太平洋戦争が終わるまでの約50年間、宇品港は陸軍の海上輸送の港として、重要な役割を果たす。

ここに置かれたのが陸軍船舶司令部で、海外派兵の最前線でもあった。

この本は8日の日曜日に息子が「お母さんへのプレゼント」と言って持ってきて、その前のお嫁ちゃん情報で何か本をくれるらしいと聞き、「読みたくない本もらっても」と思っていたけれど、案に相違して大変面白く、360ページ余りの本を4日間で読んだ。


先の戦争に関する本は膨大な数が出ているけれど、これはロジスティクス、兵站という観点から戦争の実態を明らかにしようとする労作。

著者は広島県生まれで、2004年まで地元で新聞放送記者をしていたという。たくさんの資料を駆使して船舶司令部の誕生から消滅までを辿っている。

陸軍船舶司令部・・・この矛盾した名前。陸軍なのになんで船がいる?

とここではたと思い当たる。日本は島国なので外地で戦争する場合、何から何まで船で運ばないといけないという事情。それを考えたら、作戦を練るのは東京の参謀本部としても、実際の実務は広島の司令部ということになる。

必要とされるのは軍人精神よりも、実務能力。司令長官は船の調達、後には開発、敵地での荷揚げの計画、などたくさんの仕事がある。

司令部の発展の基礎を作ったのは二代目長官の田尻昌次、船舶の数を増やし、上陸用舟艇の改良に勤め、上海事変では前もって現地調査をして船をつける場所を決め、見事な上陸作戦で世界中を驚かしたとか。

しかし、日本に資源が乏しく、資源を輸入するにも、海外に戦線を広げるにも何よりも船がなければ話にならない。その貧弱さを一番よく知っているのが陸軍船舶司令部で、その長官でもあった。また民間の船も徴用されて国内産業にもやがて支障が出始める。

中国戦線が膠着し、それを打開するために東南アジアへ戦線を広げて資源を日本に持って来る。参謀本部の方針がその流れになりかかった1939年、田尻は南進論に反対する上申書を陸軍中枢のほか関係各省庁に送る。

そしてそれがきっかけとなって軍務を解かれる。民間で言うと解雇。直前の倉庫火災の引責辞任という形だけど、本当はこの上申書が陸軍の方針と違っていたからではと本書では示唆している。

その田尻司令官の字で書かれた石碑が近所に残っています。

長い間に傾いていますが、この公園のあった場所に司令部があったそうです。

場所は雑貨などのカクタスの北側、宇品中央公園あたりです。

同じ公園の中にこちらの石碑も。

今は人気のない公園ですが、ここが日本陸軍の兵站の中枢部。知らなかったとはいえ、いやはや我が無知を恥じるのみ。

整備されたのはこの20年くらいの間。その前は広大な空き地にススキが生え、廃車があったり、バラックの建物が少しあったり、湿地帯もあったりで近寄りたくない場所でした。

他はこちらで。

広島港の朝焼け - ブログ (goo.ne.jp)


田尻昌次長官の後に来たのが佐伯文郎。戦線は広がり船は足りず、船を作る物資もなく、その苦心ぶりは目を覆いたくなるほど。民間の小さな船を船員ごと徴用、南方に兵士、武器、食糧を送ってもあとの補給が続かない。

海軍は海戦用の船は持つが輸送船は持たない。護衛には古い遅い船しか出さない。

もうお・・・・どう考えたって戦争は無理。無理だけど、現場を知らない軍の中枢が無理な戦争をする。

佐伯は穏やかな人柄で、船員の死も軍人と同じに保障してほしいと上申したり、出征兵士をこまめに見送り激励したりしている。しかしどう考えても戦争を続けるのは無理。

やがて二人乗りの舟に自動車のエンジンを積み、敵の舟に体当たりする作戦を船舶司令部では考える。そのための10代の生徒を全国から集めて訓練する。

私は光市の1人乗りの特攻舟や海に潜って敵を一人で迎え撃つ「伏龍作戦」というのは知っていたけど、この作戦は初めて知った。

小豆島の隣の豊島、宇品港に近い島や各所で訓練していたそうな。人の命が紙クズよりも軽い時代。


そして広島は1945年の8月6日を迎える。

突然の閃光に爆風、宇品は市中心部から4キロくらい離れていて被害は軽微、佐伯司令官はまず市内に偵察を出し、尋常ならざる被害と知ると、全軍を民間人の救済に投入する。船で川をさかのぼって被災者の救出、消火活動、道路の確保、軍の食料の放出、炊き出し、などなど。

そして各部隊に筆記具を持たせ、記録を取らせる。死亡者の氏名、分からないときは特徴や遺品の保管になど。宇品ではなくて、今の市庁舎のある国泰寺まで行って外枠だけになった市庁舎に蓆をしいて寝起きして指揮を執る。

敗戦までのこの足掛け10日間の働きは、目覚ましいものがあると私も思う。

著者は佐伯文郎は関東大震災を軍人として経験し、民間の救出に当たったからではないかと類推する。

佐伯はB級戦犯として1957年まで入獄し、仮釈放の後の1958年4月13日、宇品の千暁寺で開かれた「暁部隊戦没者英霊の追悼法要」に参加し、長い弔辞を読む。そこでやっと佐伯司令官の戦争は終わる。

このお寺は宇品の埋め立てをした千田貞暁から字を取ったもので、港に近く、外地から帰った遺骨はまずここに納められたそうです。

それは知っていたけど、法要のことは知らんかった。コロナで写経休んでいたけど、今月は千暁寺の写経に行く予定です。

大変に面白く読みました。

人は生まれる場所と時代を選べない。

戦争はよくないけれど、貧しい家の優秀な子弟が軍に入り、傍系ゆえに広島へ来て実務に携わる。善意で仕事を極めてもどうしようもないこともある。その中でもよく頑張ったと思う。

特に被爆者の救援は、力を温存するためには適当にしていてもよかったのだとこの本にある。現に江田島の海軍兵学校からはただの1人も被爆者の救援に出ていないそうで、そんなことでいいんかなとばあちゃんは思いました。

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「旅の終わり、始まりの旅」井上荒野ほか

2021-08-11 | 日記

五人の作家の短編、アンソロジー。

いずれも下北半島を旅する話。下北半島は本州の北の果て、人の思いがそこで行き止まり、いたこが口寄せする恐山もある、過去と現在が、交錯する場所。

人はそこまで来て自分を振り返り、新しい一歩を踏み出す。たとえそれが身をちぎられるほどの決別としても、土地の持つ力が後押しをする。

文庫本なので特に期待していたわけではないけれど、この中では井上荒野の「下北みれん」が面白かった。倦怠期を過ぎて最早別れの兆しのある、ゲイのカップル、若いシンゴと中年の俺。

二人は旅に出る。途中で耳の聞こえない若い女性ジーンと道連れになり、宿に三人で一泊して恐山を目指す。三人のやり取りの中に、終わるしかない男同士の恋愛の細部が埋め込まれている。捨てられるのは中年の俺。シンゴは女の子と仲良くして見せることで、関係が終わるのだと釘をさす。

これ、同性愛の場面でもそうだけど、普通の男女関係、友達関係でもよくみられる光景。仲良かったつもりでも相手はそうでもなく、別な人と親密な様子を見せられて傷つく。自分が知らない話をしていて、自分が誘われずに二人で出かけているとか。

そんな時には、いくら頑張っても流れは逆には行かない。そうやってボーイフレンドを得て、高校時代からの親友と疎遠になった苦い経験が私にもある。(私が横取りしたわけではありません。相手が寄って来ただけです。と言い訳)

またうんと年取ってからでも、お稽古ごとの中の人間関係でも、いつの間にか自分がのけ者になっていることもありそうで。

それはまあ仕方ないこと、人の気持ちは流動的。いい悪いではない。自分に何か落ち度があるわけでもない。相手はそうしたいからしているだけで、自分が原因ではない。

そこらあたりがよく書けていると思った。男が男を好きになって肉体関係を持つ。それでも二人は入籍するわけではないから、恋の終着点は同棲。同棲は不安定だから、養子縁組して身内になる手もありそうですね。想像ですが。

でもこの作品の中の俺みたいに妻子がいるとそれも不可能。一時いい思いをして人生を二倍楽しめたのだから、終わり方も痛手がある。それもまた人生。ばあちゃんはいい勉強になりました。

 

 

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孫、滞在中

2021-08-09 | 日記

昨日、墓の周りの竹の整理。

2年生と5年生が大張り切りで鋸を使い、助かりました。

お嫁ちゃんは草抜きを丁寧にしてくれました。

そのあと親戚に寄り、夏野菜とお米までいただいて、孫のリクエストで回転ずしでお昼を済ませて帰宅。

一休みしてビンゴゲームしているところへ長男が現れ、引き続きビンゴ。

そのあと、私は疲れて寝てしまい、気が付いたら夕方。

早めに夕食をして、5年生以外は帰って行った。5年生はいつまで滞在するか、本人も決めてないそうで。

午前中は、私の兵児帯を割いてもらう。その前に結んでハイポーズ。


午後から近くの海へ連れて行く。

夫は高校生のころ、毎日泳ぎに来ていたそうで。

水着は私のを貸与。ちょっと大きいけど伸びる生地なので全然大丈夫。

 

二時間くらい遊んで帰宅。

家で着替えて、また水着で帰る。

海が近いものこそ幸いなれ。

小学生のころ、夏にたった一回だけ連れて行って貰う海がどんなに楽しみだったか。

海の近くの子がとても羨ましかった。

海水浴場は廃止になったけれど、水遊びくらいなら特に禁止でもないようです。

私も泳ぎたかったけど、水着を貸したので。

と言うか、水着になるのは少々勇気のいるこの歳。

日傘射して二人を見ながら、楽しかったあの海、この海水浴場、いろいろ思い出していた。

来年もまた行けるといいけど、来年のことはわからない。

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海へ来ています

2021-08-09 | 日記


孫一人が泊まりました。
海水浴場ではないけれど、近くの海で。
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古い写真いろいろ

2021-08-07 | 日記

頑張って起きて男子リレー見ていたら・・・

勝負は時の運とは言え、この日に掛けていた選手の皆さんがあまりにも痛々しくて見るのがつらかった。

走りたかったでしようね。失格が残念過ぎる。

1994年に広島でアジア大会があり、閉会式の前の男子リレー、あの時も選手がバトン落として、あとでテレビ見たら泣きじゃくっていた。と思う。あの時は会場で見ていたのです。そのあとサッカー、閉会式なども。

近くの人が「小学生の運動会でもバトン落とさんでぇ」と言ってましたが、それが起きるのが勝負の怖いところ。

明日は朝、男子マラソンでしょうか。男子マラソンと言うと、東京オリンピックで銅メダルになり、後に自殺した円谷幸喜選手のことをどうしても思い出してしまう。

次のメキシコ目指して練習するうちにスランプに陥り、自殺してしまうんですよね。哀切な遺書は涙なくしては読み切れません。

あの頃は、選手には日本を背負ってという期待が今よりもうんと大きかったように思う。国威発揚にオリンピックを使うといいことなんかない。そう思わされる出来事でした。

今回のことも、私は責めたくないです。選手自身が自分のことを一番せめて悔しい思いしていると思うので。


長くなりました。昔のレンタル日記などから古い写真を。

20年くらい前。夫と息子の親子喧嘩ではなくて相撲。

息子劣勢ながらもこの後巻き返して逆転勝ち。

どうしても子供に着物着せたくなり、着せたくて着せたくてたまらなくなり、いきなり長男に名古屋帯巻き付けたら「何するん?!」と驚いていた。

わけを話すと相撲好きらしく「まわしならいい」とのこと。はてさて、まわしって知らないからテキトーに。

一人で構えてやる気満点。

20年近く前、実家へ行っての帰り、バスセンターから元安橋に回ってみる。

長く広島にいるけれど、8/6に平和公園付近へ行ったのは二度くらい。軽い気持ちで見物に行くのは遠慮しています。

実家地方の盆灯篭。

お墓に持って行き、火をともします。

我が実家はお盆に三晩墓参り。竹で枠を組み立て、そこに吊るします。

広島では地面に支柱を突き刺し、その先、朝顔形に開いた部分にろうそくを付ける。形は広島の方がシンプル。

そのシンプルのさえ、我が家は準備しません。明日は急にお墓参りに行くことになり、嫁ちゃんと孫が来ることになった。息子は用事があって来ないそうで。残念。

次男はまだワクチンしてないそうで、今回は不参加。


昨日の写真ですが

綜絖完了。2本取り488本。60羽/10cmの筬に通す予定。今日は出歩いていてできなかった。しばらくまたできないかも。

健康で、滅入らずに、暮らしていきましょう。それで十分。

さっき、ブログのお友達にコメント入れさせてもらった。

その方は姑様97歳、ご本人は嫁歴47年だとか。

私は姑様は98歳、嫁歴48年。

何という長寿の時代。

昔、私の実母と祖母の会話。

祖母「私は8年も姑の辛抱した」

母「私はもう15年も辛抱している」(だったかな。詳しい数字は忘れた)

祖母「・・・」言い返せずに黙る。

その母も50過ぎには舅、姑を見送り、羽を伸ばして旅行など遊びまくっていた。

私はこの年でまだ嫁。嫁もあまりにとうが立ち過ぎた。

長生きはおめでたいことだけど、周りに迷惑かけたり、寝たきりになっても命は尊いけれど、私はどれだけ生きるのかなあと考えさせられた。

姑様が在宅だったころ、デイサービースと訪問介護で年間500万くらいの利用料金。一割負担で月数万円だったけど、多額のお金が動くので驚いた記憶があります。

昔なら嫁のタダ働き。それを金額にするとそのくらいになるということで。うちの姑様は素直にデイサービスに行き、ショートに行き、とうとう家には帰れていません。

二年前のお正月明け、二週間の予定で着替え、歯ブラシとコップ、薬だけ持って黙って行ってくださったその姿を今も覚えています。

最近は残りの時間から逆算して、したいことや行きたい場所、全部細かくしておくことにしています。

この月末、やっと面会できるそうで、義妹と夫が行く予定。それまで、うちの姑様に限って大丈夫でしょう。

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レンゲショウマとキレンゲショウマ

2021-08-07 | 日記

広島市植物公園。閑散。

 

 

 

 

木陰

 

 

ヒゴタイ

レンゲショウマ

レンゲショウマ

キレンゲショウマ

キレンゲショウマ

サギソウ

森のカフェ

 

 


バス停前

水田

イネ。

いつも大温室やベゴニア温室などへは行かない。楽しみ方はそれぞれ。

私は山野草を見ることが多い。


長男がプランターで稲を作っているそうで。

花が咲かないと電話がかかってきた。

花は二百十日、8/31か9/1に咲くと教える。ところで中干している?

中干しって?

ネットで調べてみて。

かく言う私も、昨年初めて育てた初心者。一年早いのでえらそげに言う。


明日遊びに来るそうで)))))))

いいよ。明日来たらお盆にはもう来ないの。

いゃ、お盆にも行く。

いいよ))))))))

自粛とアイスで太ったこの体、息子一家が来て少しやせるといいんだけど。

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「日本残酷物語」のうち、土佐梼原の乞食 宮本常一

2021-08-06 | 読書

今朝の朝日新聞に、いまだ支持される日本残酷物語についての記事があった。

おお、懐かしい。今は平凡社ライブラリーに言っているロングセラー。

貧しい人々の話が、現在に通じるものがあるそうで。


本を探して記事にある「土佐梼原の乞食」だけ読んでみた。写真の本は1976年の2版6刷。

私生児として生まれ、祖父母に育てられ、よそへ嫁いだ母は早くに亡くなり、学校へも行かず、子守りをする女の子の後について遊んでいた子供時代。その人に宮本常一がじっくり話を聞いている。

やがて祖父母が亡くなり、伯父に言われて15歳でばくろうの親方に奉公に出る。ばくろうとは家畜の売買業者。利ざやで稼ぐ。昔は土地を持つ農家以外に、農山村にも腕一本で稼ぐ様々な業種があった。

この人は家を持たず、ばくろう宿を渡り歩く。経営者は未亡人が多く、男女の仲になると親切にしてもらえる。それもまた生きる知恵。その娘とねんごろになり、伊予から土佐へ駆け落ちする。

納屋を借りて二人で住み、紙問屋の下働きで、楮の買い付けに村々を歩く。やがてまたばくろうに戻り、目を患って失明。30年も盲目の暮らし。。。。

この話の読みどころは、貧しい人の悲惨な話であると同時に、結婚後も、出会った女性とは情を交わし、豊かな性生活をしていること。決して悲惨なだけの話ではないと私は思った。

今朝の朝日新聞によると、「土佐乞食のいろざんげ」というタイトルで、地下出版されたわいせつ本の中に所収されていたという。

今朝読んだ感想は特にわいせつということはなかったけれど、元の本はもっと詳しくそこらあたりを書いていたのかもしれない。

昔の男性は、そして今もおそらく、自分本位。この人は女性を大切にする。それもまた生きる知恵ではあるけれど、「男がみんな女を粗末にするけれど・・・わしは女の気に入らんようなことはしなかった。女のいうとおりに、女の喜ぶようにしてやったのう」と言うしみじみとした述懐には、男も女も学ぶことがあると思う。

放浪していてはたまに実家に暮らす妻の元に立ち寄っていたけれど、盲目になってから妻の所へ行くと「やっと戻ってくれた」と泣いて喜ばれたそうで。

この話の時、話者はすでに80代。梼原の橋の下に妻と二人で暮らす。地域の有力者からそこに住んでいいと許され、妻は各家の残り物をもらう生活。

うーーーむ、話を聞いたのは戦後、語られた内容は明治終わりから大正時代のことかなと思う。歴史の本には出てこない庶民の暮らし。悲惨と言えば悲惨だけど、学ぶことも多い。

地域社会がどんな人も許し、いる場所のあった時代。そして生きていけた時代。そこが今と違う。


この本は結婚後、地元の学校へ勤めていて全巻を図書室で借りて読んだと思う。後に古本屋で見つけて買ったのだったかな。捨てがたくて今に持っている。こうして読み返すことがあるのは名著。これはヤフオクに出さない。

これ以外にも「忘れられた日本人」を読んだ記憶があるけれど、今日は見つからなかった。

というか国木田独歩の「忘れえぬ人々」と混同して記憶していたのではないかと思う。

あの本もよかった。自然主義の面目躍如。中二の夏休み、風の吹く涼しい座敷で横になって、母親は午前中の農作業と夕方からの作業の合間に昼寝している。今の時期なら草取りかな。草と言ってもウキクサです。ヒエはとんでもない。

その傍らで読んだ。本は学校の図書館で借りた。近代文学は10代に、たいてい寝転んで読んだ。

父は勤め人で、昼間は家にいなかった。

60年も前のことがきょうは鮮やかによみがえってきた。そして人間は気がついたときにはもう自分らしく生きている。それはもう逃れ難い道筋であります。

この私が夏のコートでテニスしたり、はたまたレオタード姿で平均台の上にいるはずがないのであります。

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真夏の機織り、本日は千巻まで

2021-08-04 | 機織り

やれやれ、ちょっと動いても汗だくなので、エアコンつけて作業します。

一日一行程だけ、無理しない。

本日は粗筬を通して、千巻まで。

専用の道具、いちいち買い揃えない。あるもので。

椅子の脚に糸を結んで、巻いて行く。

これは床巻。他に織機の所で巻く方法もあるけれど、織機の周りに空間がないのでもっぱらこちらの方法。

糸の交差した綾の部分の空間を、物差しを使って広げて粗筬の手前に移し、綾棒を筬の前に持ってきたら、筬は抜く。

これを織り機にセットする。それは明日以後に。


本日の小ネタ

ミニ菜園。一度カットして根を水につけて外へ出しておくとまた発芽します。

野菜炒めや汁物の青味にちょっとあると便利。


備忘のために。

広島県でも新型コロナの感染者が倍増。東京のどこかの保健所長が、在宅の療養者まで対応できないとはっきりと言っていた。どうも在宅者に食料を配るのも滞っているらしい。

非常時にこそ国の本音があらわになる。国は決して国民の一人一人は守らない。守るのは国の仕組み、政権のメンツ、昔だと軍隊かな。

民間人を見捨ててさっさと退却した満州の関東軍の故事を思い出した。(その時のことを見たわけではありませんが)

今すぐたくさんの建物を立てて感染者をそこ移し、集中して見守り、悪くなったら病院へって私は思うけど、どうなんでしょうか。

スガさんがやると決めて道筋つければ、下の人はそれに合わせて動くと思うのですが、何をしているのか見えてこない。というか、何をしていいのかわからないのでは。

Go Toで浮かれていた時はまさかこんなこたいとになるとは思ってもなかった。感染状況は予想していたよりもずっと悪い方向へと進んで行く感じ。出口はいったいどこに。

コメント (2)
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