浜松市元魚町で生活が始まりました
あたりは空襲の焼け跡で
住処のバラックから
遠くのほうまで見渡せました
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浜松は軍需工場があったので
空襲の目標になったのかもしれません
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浜松の人によると、沖から
軍艦による艦砲射撃が
凄かったと聞きました
バラックの復興住宅でしたから
風呂はありません
少し坂道をあがったところ
鴨江(かもえ)に銭湯がありました
一応、毎日の生活のリズムが
戻ってきました
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さて、私の学校をどうするかを
解決しなくてはなりません
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国民学校六年生の夏に
突然、学校がなくなって
翌年、中学校もなく
一年ほど、ブランクのまま
引き揚げてきています
私のような境遇の引き揚げ児童は
大勢いたはずです
… … …
母親は、私のために市役所へ
交渉か相談に行ったのでしょう
ある日、母親に私は
「静岡に行ってちょうだい…」と
云われました。