中学校の教室で
机と椅子に座って
授業を受けるのは初めてです
… … …
担任の先生が私の事情を
話してくれていたのでしょうか
皆は温かく私を迎えてくれました
… … …
高台の校庭からは遠く海が見えます
遠州灘(えんしゅうなだ)かも知れません
また、高台の下には国鉄・浜松工場があって
時々、蒸気機関車の試運転のシューッ・ガチャンとか
ポーッ・と汽笛が聞こえていました
その横に、小学校の校舎とグランドが見えました
国鉄・東海道本線も遠くに見えました
私は毎日、昼食のアルミ(アルマイト)の
弁当箱を持って通学が始まりました
サツマイモを細かく切った混ぜご飯でした
そのご飯の入った弁当箱は
二倍くらい大きなものでした
兎に角、お腹の空いた毎日でした
… … …
農家から通学している子が
教室の三分の二ぐらいでしたか
その子らの弁当は銀シャリでした。
当時の浜松の全中学校の生徒は
農家が多かったのでしょうか
春の田植えと、秋の収穫期になると
学校が休みになるのでした
農繁期(のうはんき)休校が
設けられていました
日本の農作業がまだ、人海作戦で
機械化導入以前でした。
田植え、収穫の時期には
猫の手も借りたいので
子供が中学生ともなると、
家族が当てにしたのでしょう
ひょっとしたら全国の学校で
農繁期休校が
あったのかもしれません