日本で食事といえば「一汁一菜」と
云われます…
つまり、御味御汁におかず一品という
ことでしょうか…
それが、信濃丸に乗船した最初の食事は
白いご飯に、味噌汁が一杯だけです。
おかずがないのです。
その味噌汁も具が入っていませんでした。
敗戦の日本では食糧事情が極端に
悪かったからでしょうか…
その具の入っていない味噌汁を
口に含むと、プーンと鰹節の味がして
日本へ帰ってきたのだとつくづく実感しました。
… … …
戦時中の日本は食糧が乏しいと
新京で聞いていました。
しかし、満州の日本人の生活は
食糧に不自由はしませんでした。
そして、帰国の貨物列車、葫蘆島の収容所での
食事は脂っこい食事でした。
… … …
引き揚げ船「信濃丸」での
味噌汁とご飯だけの食事は
佐世保港へ上陸するまで続きました。