私たち家族が乗った引き揚げ者
専用列車はやがて神戸、大阪を
過ぎます。満州に渡るのに
京都から出発したのでした
その京都を通り過ぎました
… … …
何時、京都へ帰れるのかと
一瞬思いました…
… … …
列車は東海道本線を
父親の故郷、浜松へ
向かっています
名古屋を通り過ぎて
岡崎、舞阪、弁天島を過ぎて
いよいよ下車駅、浜松駅です
… … …
浜松駅の改札を出て街を見て
私は、驚きました
駅前から見渡す限り焼け野原に
バラックが建っているのです
戦前からあった駅前の
松菱(まつびし)百貨店の
ビルは残っていました
行き先は父親の次兄が、
元魚町(もとうお) で開業医でした
空襲でこの医院も
焼け出されて田舎へ疎開していました
戦後、父親の兄は元魚町に
六畳、四畳半のバラック(標準)を
建てていました。
そこへ、私たち5人家族は
満州、新京から葫蘆島(ころとう)、
浦頭港(うらかしら)、南風崎(はえのさき)を
通って、やっと落ち着く場所を得ました。