経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

【カシャリ!庭園めぐりの旅】2301 東京 新宿御苑 江戸武家屋敷庭園の面影を残す都会の庭園

2023-04-29 18:06:11 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】2301 東京 新宿御苑 江戸武家屋敷庭園の面影を残す都会の庭園

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 概要
 「新宿御苑」(しんじゅくぎょえん)は、環境省管轄の国民公園です。大木戸門から入ったあたりの玉藻池が、江戸時代に武家屋敷の庭園「玉川園」でした。
 広さ58.3ヘクタール、周囲3.5kmの園内に、ヨーロッパ式の風景式庭園と整形式庭園、日本庭園を巧みに組み合わせています。
 日本における近代西洋庭園の名園といわれ、特色あふれる様式の庭園が楽しめます。

 新宿御苑は、東京都新宿区にある広大な庭園であり、かつては明治天皇の御料庭園として使われていました。明治時代には、西洋式の庭園が流行していましたが、明治天皇は日本伝統の庭園に興味を持ち、庭師の渡辺嘉助に命じて日本庭園を作らせました。
 渡辺嘉助は、江戸時代後期から明治時代にかけて活躍した庭師で、新宿御苑をはじめ、多くの日本庭園を手掛けました。彼は、自然を生かすことを大切にし、庭園の中に池や石組み、橋などを配置することで、自然の風景を表現しました。
 新宿御苑の作庭の意図は、日本庭園の代表的な要素である「自然美」を表現することにあります。庭園内には、池や石組み、橋、枯山水など、日本庭園に欠かせない要素が配置されています。また、庭園の中には、植物園もあり、多くの樹木や草花が植えられています。
 近代の造園家・原煕も携わった広い園内には「玉川園」以外の日本庭園やフランス式洋風庭園があり、園内にある茶室「楽羽亭」の設計は茶室研究家・中村昌生さんの手掛けたものです。

 新宿御苑は、庭園分類では複合型庭園といえます。風景式庭園、整形式庭園、日本庭園、玉藻池や家族連れで楽しめる母と子の森、植物を楽しめる温室があります。
 中でも「池泉回遊式庭園」部分におきましては、池や小川を中心に回遊路を配置し、庭園内の風景を楽しむことができます。また、新宿御苑は、日本庭園の中でも比較的広い庭園であり、自然と調和した景観が広がっています。
 歴史建造物も配されています。旧洋館御休所、旧御凉亭、旧温室の遺構、旧門衛所(旧新宿門衛所、旧大木戸門衛所)、擬木橋(ぎぼくばし)など、歴史的な価値を見出せます。
 新宿御苑の特徴は、日本庭園の伝統的な要素が多く取り入れられていることです。庭園内には、自然石を使用した石組みや、枯山水、落ち葉を敷いた小道などがあります。また、池には、色とりどりの鯉や亀が泳いでおり、季節によっては桜や紅葉も楽しめます。新宿御苑は、都心にありながら、日本の自然美を楽しむことができる貴重な場所です。

■ 歴史
 新宿御苑の起源は、江戸時代に内藤家がその地に屋敷地を与えられたことに遡ります。内藤家は代々新宿に居を構え、玉川園や甲州街道の宿駅である内藤新宿など、その土地に名を残しました。明治時代には、内藤家の邸宅地と周辺地が大蔵省によって購入され、「内藤新宿試験場」として牧畜園芸の改良が行われました。この試験場は、欧米や中国から種子や苗を輸入し、農業技術の研究や改良を行い、広く民間にもその成果を伝えていました。
 明治10年に農事修学場が開校され、ヨーロッパから講師を招き、農業の近代化が進められました。この時期には洋式の花卉園芸はほとんど発展していませんでしたが、宮内省では菊栽培の技術の発展に力を注ぎ、植物御苑として改称されました。福羽逸人は、新宿御苑の発展に欠くことのできない人物であり、植物御苑で無加温室での温室ブドウの栽培などを手がけ、後の国民公園としての御苑の発足に大きく貢献しました。
 福羽逸人卿は、新宿植物御苑の総指揮者として、ヨーロッパの建築や庭園様式を取り入れた庭園改造計画を実施しました。彼は、ヴェルサイユ園芸学校の造園教授アンリ・マルチネーに改造計画を依頼し、明治39年に日本で初めての大庭園「新宿御苑」が完成しました。庭園は、ビスタラインなどの様式で特徴があり、皇室の園遊の場としても使用されました。また、温室植物の収集、研究、改良も進められ、桜や菊などの日本の代表的な花卉栽培にも力を注ぎました。
 戦後の厳しい状況下で、新宿御苑は庭園を維持することができず、芝生は開墾されて農耕地になりました。しかし、東京都からの依頼を受け、都立農業科学講習所用地として借用され、昭和22年の閣議決定によって国民公園として運営されることになりました。その後、財団法人新宿御苑保存会が設立され、入園者数も増加し、菊や桜の観賞会も再開されました。昭和33年にはドーム型の大温室が完成し、平成24年には環境配慮型温室としてリニューアルされました。現在は国民公園協会によって運営され、国民の憩いの場として親しまれています。
 

■ 特色あふれる庭園様式
 広さ58.3ヘクタール、周囲3.5kmの園内に、ヨーロッパ式の風景式庭園と整形式庭園、日本庭園を巧みに組み合わせています。
 日本における近代西洋庭園の名園といわれ、特色あふれる様式の庭園が楽しめます。風景式庭園、整形式庭園、日本庭園、玉藻池や家族連れで楽しめる母と子の森、植物を楽しめる温室があります。

風景式庭園
 ゆったりと広がる芝生と、自然のままにのびのび育った巨樹が特徴の庭園です。新宿門から整形式庭園へまっすぐのびた、見通し線(ビスタライン)の中央には、御苑のシンボルツリー・高さ30mをこえるユリノキが高くそびえています。

整形式庭園
 110種類約500株の特色あふれる花々が咲き誇るバラ花壇を中央に、左右対称に計約160本のプラタナスを4列の並木にデザインした庭園です。

日本庭園
 ゆるやかな池の流れに沿った、池泉回遊式の庭園です。
 古くは鴨場として作られ、昭和のはじめに日本庭園として改装されました。
 11月には皇室ゆかりの菊花壇展が開催されます。

玉藻池
 江戸時代の内藤家の屋敷跡の面影をとどめる庭園です。
 現在の大木戸休憩所には、御殿が建てられ、池、谷、築山をしつらえた景勝地「玉川園」が造られたといわれています。

母と子の森
 都会に住む子どもたちが自然とのふれあいを楽しみ、豊かな感性と自然への関心を育むために、昭和60年(1985)に造られた自然観察フィールドです。
身近な木々や草花、昆虫などとのふれあいが楽しめます。

温室
 明治8年(1875)に建てられたガラス張りの温室がルーツで、平成24年(2012)に絶滅危惧種の保存・展示を行う環境配慮型の温室となりました。
熱帯・亜熱帯の植物を中心に約2700種を栽培しています。
11月には洋ラン展が開催されます。

■ 歴史建造物
 明治時代に創建された旧洋館御休所や日本庭園の旧御凉亭など、皇室庭園の歴史を今に遺す歴史建造物があります。

旧洋館御休所(きゅうようかんごきゅうしょ)
 天皇や皇族が新宿御苑内の温室を鑑賞する際の休憩所として明治29年(1896)に創建されました。大正13年(1924)に現在の規模になり、クラブハウスとして使用されました。
建物は宮内省匠寮により設計され、アメリカの建築様式スティック・スタイルを基調としています。(平成13年(2001)重要文化財(建築)指定)

旧御凉亭(きゅうごりょうてい)
 皇太子(後の昭和天皇)の御成婚記念として昭和2年(1927)に献上された建物です。中国ビンナン建築様式の特徴を取り入れた、日本にある数少ない本格的中国風建築です。
設計者の建築家・森山松之助は「水の上に立つ御休息所」「夏の御散策の際に涼をとる建物」と設計意図を語っています。

旧温室の遺構
 明治26年(1893)から大正3年(1914)にかけて建てられた初期の温室の遺構で、平成22年(2010)の埋蔵物発掘調査で出土しました。
温室の一番東側の基礎部分で、基礎石部分の上に切石、さらに煉瓦が積まれた構造をしていました。

旧門衛所(旧新宿門衛所、旧大木戸門衛所)
 昭和2年(1927)に建てられた門衛所です。
当時の独特のデザイン性や、御苑の歴史的・景観的価値が評価されている建造物です。

擬木橋(ぎぼくばし)
 明治37年(1904)のセントルイス万博で展示されていたものを輸入し、フランス人技師が設営工事を行い、明治38年に完成しました。日本初の木を模した欄干といわれています。


■ アクセス
 各線 新宿駅より徒歩10分
 丸ノ内線 新宿御苑前駅より徒歩5分
 JR千駄ヶ谷駅より千駄ヶ谷門まで徒歩5分
 

 

インデックス

< 今後追加して参ります >

 

風景式庭園

整形式庭園

日本庭園

玉藻池

旧御凉亭

春の新宿御苑

夏の新宿御苑

秋の新宿御苑

冬の新宿御苑

御苑の桜

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅

 

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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■【あたりまえ経営のすすめ】2部 管理編3-46 PDCAの「P:計画(Plan)」でスパイラルが回り始める

2023-04-29 13:14:32 | 【心 de 経営】 あたりまえ経営のすすめ2 管理編

■【あたりまえ経営のすすめ】2部 管理編3-46 PDCAの「P:計画(Plan)」でスパイラルが回り始める

 多様化の時代になり、ホンモノ智恵が求められる昨今です。

 世の中には、「専門家」とか「プロ」と呼ばれる人が多数いらっしゃいます。

 ところが、残念なことに、その大半というのが、「エセ専門家」「エセプロ」なのです。

 管理職も、“真”のプロ管理職にならなければなりません。

 ホンモノのプロ、要は「“真”のプロ」とは、どの様な人を指すのでしょうか。

 エセプロの多くは、「あたり前のことが、あたり前にできる」ということを軽視しています。

 「今の時代、最新の経営理論に基づく経営が重要である」と「あたり前」を蔑視をしている人もいるほどです。

 では、「あたり前」とは、なんでしょうか?

 「“真”のあたり前」を知らずして、あたり前を軽視して欲しくないですね。

 あたり前は、その辺に転がっているのではなく、「あたり前は創るもの」です。

 1970年代から、半世紀近くの経営コンサルタント経験から、最善の策ではないにしても、ベターな策を講じるための智恵をご紹介してまいります。

メモ

■ 2部 【管理編】 プロの管理職のあり方

 本シリーズは、経営士・コンサルタントなどの経営専門業・士業の先生方を対象として、第1部の【経営編】をお送りしてきました。しかし、その内容は、視点を変えれば経営者・管理職のためのお話でもあります。ビジネス界においては、フレキシブルな視点の持ち方をできる人が高く評価されるのです。

 筆者は、経営コンサルタントという仕事柄、しばしば管理職研修も実施してきました。その時に、必ずといって問うことは、「管理とは何でしょうか?」ということです。

 管理職の皆さんは、よく勉強していて、私より立派な回答が返ってきます。

 「では、それをどの様に実務に活かしていらっしゃいますか」と問いますと、期待するような回答が返ってきません。

 難しいことを勉強しすぎているのではないでしょうか。知識と実務が乖離していますと、せっかくの知識が知恵として活かせません。

 管理職として、「あたりまえ」なことが、実務で行われているのかどうか、謙虚に自分自身を見ることも大切なのではないでしょうか。

 管理職は、「管理とは何か」「温かい管理」を正しく理解しなければ、部下からも、上司からも、社会からも正しく評価されません。

  温かい管理とは  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/8b7833c2ebc019660a3813e9dedbf92f

 ここでは、管理職なら誰もが知っているようなことを整理してみました。

 知識としてはご存知のことでしょうが、それを実務に活かすにはどうしたらよいのかを考えてくださる契機となると幸いです。

 

■ 第2部3章 【管理編】 プロの管理職のための”新たな”PDCAと活用法 

 これまで第2章として、ホンモノのリーダーシップについてお話して参りました。

 そのリーダーシップと不可分にあるのがPDCAです。

 「いまさら、PDCAについて学ぼうとする人間なんていないよ」
 「もう、PDCAは古い!」

 このような声を聞くような時代になりました。それほど、PDCAが言い古されてきているのです。しかし、本当にPDCAが実行されているのでしょうか。そして、PDCAの効果が出ているのでしょうか。

 多くの方が、知識として知っていても、実行に移せていない人が多いのが「PDCA」です。

 一方で、「PDCAを常に意識しています」、という人もいます。ところが、本当にPDCAにより効果を上げられているのでしょうか?大半の方が、「効果を上げている”つもり”」であって、実際には、PDCAが適正に実行されていないがために、機会損失を起こしているのです。

 正しいPDCAとは何か?
 正しいPDCAの使い方とは?

 謙虚に、再度、PDCAに取り組んでみては如何でしょうか。あなたのPDCAとは違ったPDCAがあるかもしれません。

 

■ 3-46 PDCAの「P:計画(Plan)」でスパイラルが回り始める

 これまで、日科技連の品質管理用に発表していましたPDCAを、経営管理に転用するようになってから、日常的に広い分野で利用できるようにカスタマイズされてきました代表的な利用法をご紹介してきました。

 時代の流れとは多少前後したり、オーバーラップしたりしますが、それ以外のPDCAの仲間をご紹介しておきます。

 PDCAをもとに、「蓄積は力なり」ということを取り入れた経営管理を行い、あたり前のことがあたり前にできるようになりますと、企業の基礎体力は堅固になり、将来の展望が持てるようになるでしょう。

 「始め良ければ終わり良し」といわれています。PDCAの「始め」であります「P:計画(Plan)」を重視し、PDCAの実施中の「ものさし」となるようにすることが、PDCAを活用して、効果を上げるのに大切です。
 それでは、なぜ「P:計画(Plan)」が重要なのでしょうか。ここでは、営業部門を事例として考えてみます。
 しばしば、Pは、船による航海の羅針盤に例えられます。それは、PがPDCAを実行していく上での「ものさし」であることは、すでにお話しました。
 「ものさし」ですから、行動を起こしたり、確認をしたりするときに、「今やろうとしていることは、先ほどしたことは、それで良いのだろうか」と振り返るときの尺度となります。
 営業パーソンは、外に出ることが多いですので、「みなし就業」といって、外では、管理職の直接の管理下ではありませんが、キチンと仕事をしているとみなされて、俸給を得ることができる仕事です。

 また、「共通目標・共通認識・共通行動」という考え方で、ベクトルをあわせて思考し、計画を立案し、行動をすることにより、最大限の効果を上げようという考え方に基づいていることもご承知の通りです。

 「共通目標・共通認識・共通行動」は、別項でも述べておりますように、トップが掲げる経営理念や基本戦略など最上位概念を、担当役員が責任を持って実現するために中長期経営計画や年度計画をもとに活動します。

 部門長は、全社の年度計画書をもとに、部門別の年度計画書を作成し、それをもとに月度の計画書を立案し、各担当者は、その実現のための計画書を策定し、日常業務を遂行します。
 この考えに基づきますと、企業のトップから、社員までが同じベクトル上で「P:計画(Plan)」を立案し、それを共通認識した上で、ベクトルのあった行動をすることになります。
 これを「共通目標・共通認識・共通行動」といい、英語の頭文字から「PDCAの3CAs」といいます。

 トップ、中間管理職、社員という、全ての階層のベクトルをあわせることを、「経営階層の三位一体」といいます。
 経営体を形成する三層の関係は三段跳びの原則ともいわれ、三つが一体となって、あたかもスポーツの三段跳びにおけるホップ・ステップ・ジャンプのように、調和のとれた活動によって会社も発展するという考えです。
 全階層の業務が有機的に結合し、協力していく組織を形成し、一体的にシステム化されることがあるべき姿といえます。この一体化や協働化にとって、経営・管理の仕事、つまりリーダーシップやマネジメントという業務のあり方に繋がるのです。

【 注 】 PDCA詳細情報

「ロジカル・シンキングがよくわかる本」(今井信行著 秀和システム刊 1,760円)の第3章5節で詳しく説明しています。

ご購入は書店または下記よりamazonで

https://www.amazon.co.jp/%E5%9B%B3%E8%A7%A3%E5%85%A5%E9%96%80%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%82%B9-%E6%9C%80%E6%96%B0%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%81%8C%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8B%E6%9C%AC-%E4%BB%8A%E4%BA%95%E4%BF%A1%E8%A1%8C/dp/4798068896/ref=sr_1_4?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E4%BB%8A%E4%BA%95%E4%BF%A1%E8%A1%8C&qid=1679879669&s=books&sr=1-4

 

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【カシャリ!庭園めぐりの旅】宮城県大崎市 旧有備館および池泉廻遊式の日本庭園 伊達家ゆかりの別邸と学問所

2023-04-29 09:03:00 | 【話材】 お節介焼き情報 カシャリ!一人旅

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】宮城県大崎市 旧有備館および池泉廻遊式の日本庭園 伊達家ゆかりの別邸と学問所 1465

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 宮城県大崎市 旧有備館および池泉廻遊式の日本庭園 伊達家ゆかりの別邸と学問所 1465 

 

 「有備館」は、江戸時代の仙台藩家臣である岩出山伊達家が開設した、家臣の子弟を教育する郷学(学問所)です。開校は十代邦直が当主の嘉永3(1850)年頃と考えられ、岩出山城北側の隠居所・下屋敷の敷地内に開設されました。

 現存する有備館の「御改所(主屋)」は、二代宗敏の隠居所として延宝5(1677)年に建てられた可能性が高い建物で、下屋敷としても利用され「対影楼」と呼ばれました。

 明治維新後の明治2(1869)年には,有備館の御改所と附属屋は岩出山伊達家の居宅となり、庭園とともに守り伝えられてきました。

 昭和8(1933)年2月28日、居宅と庭園は「旧有備館および庭園」として国の史跡及び名勝に指定され、昭和45(1970)年に岩出山伊達家の厚意により岩出山町(現大崎市)に移管され、一般に公開されるようになりました。

 池を取り囲む庭園は、四季折々の景色を楽しむことができ、特に、晴れた日に見える、水に映える庭園と御改所は荘重で優美なたたずまいを見せてくれます。
 

アクセス
 宮城県大崎市岩出山字上川原町6 0229-72-1344
 営業時間 9:00-17:00(最終入館は16:30まで)
 定休日  月曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始(12月29日~1月3日)
 料金
 【個人】 大人350円、高校生260円、小・中学生180円
 最寄駅
  JR陸羽東線有備館駅 最寄駅から徒歩1分

  東北新幹線古川駅で陸羽東線新庄方向行きの列車
 駐車場  あり
 公式サイト https://yubikan.jp/top.html

 

【コメント】

 

 新幹線古川駅でJR陸羽東線の山形県新庄駅方向に向かう列車に乗ります。1時間に一本ほどの本数で、時間帯によっては増減がありますので、時刻表の確認は不可欠です。

 古川駅周辺も、時間を過ごせるような喫茶店などはあまり期待できません。

 

 旧有備館庭園は、伊達家の関わり代表的な庭園のひとつです。交通の便はあまり良いところにあるわけではないのですが、訪れる価値はある庭園といえます。

 

 大失敗をしながらの旧有備館庭園の旅でした。

 

 有備館庭園を楽しみにして宮城旅行を準備し始めました。

 有備館庭園は月曜日が休園日なので、スケジュールの予定を火曜日に設定しました。

 ところが、どうしても仕事の都合から出発する日を一日繰り下げざるを得なくなり、月曜日の出発に行程の大幅変更を余儀なくされてしまいました。

 

 その過程で、火曜日の行程の一部を月曜日に移行するなど、行程変更を新幹線の中で行いました。

 楽しみにしていた有備館庭園は、移動日の日の午後をフルにあて荷物をホテルに預けてからJR陸羽東線の有備館駅に向かいました。

 

 有備館駅の正宗像などの撮影をしてから目を道路の反対側に向けました。

 なんと、駅前が有備館庭園の入り口ではありませんか。

 ところが、門は閉まっています。

 スケジュール調整のときに、有備館庭園は月曜日休園ということをすっかり失念していたのです。

 

 急遽スケジュールを再変更して、有備館庭園以外に目的地を変更しました。

 幸い、有備館庭園のある岩出山地区には、もう一つめぼしい庭園のあてがあり、そちらに行くことにしました。

 有備館庭園には、翌日行くことにし、行程の再々変更をすることにしました。

 

 せっかく、有備館庭園にきたのですから、周囲から庭園内部を除こうと考え、【カシャリ! ひとり旅】をしましたので、ご紹介します。

 

 

右下方向が北

古川方向 ◀ 有備館駅▶ 新庄方向

 

 

 

 

宮城県大崎市 旧有備館および庭園1 有備館駅と有備館の森公園   

宮城県大崎市 旧有備館および庭園2 周囲から覗く有備館庭園    

宮城県大崎市 旧有備館および庭園3 有備館庭園エントランスと付属屋

宮城県大崎市 旧有備館および庭園4 主屋南に見える御中島と茶室  

宮城県大崎市 旧有備館および庭園5 兜島・鶴ヶ島・亀子中島    

宮城県大崎市 旧有備館および庭園6 出先・築山・西苑・明神社   




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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■【きょうの人】 0429 上杉 謙信 「敵に塩を送る」で有名なだけではない

2023-04-29 06:33:00 | 【話材】 きょうの人04月

 

  【きょうの人】 0429 上杉 謙信 「敵に塩を送る」で有名なだけではない

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 上杉 謙信 「敵に塩を送る」で有名なだけではない

 うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)
 享禄3年1月21日(1530年2月18日)(グレゴリオ暦1530年2月28日)-死没
天正6年3月13日(1578年4月19日)

 戦国時代の越後国の大名で、後に山内上杉家16代当主となります。武田信玄と並ぶ、戦国時代でも屈指の戦上手といわれ、その神懸った戦績から後世、軍神や、「越後の龍」などと称されました。

 越後守護・上杉家に仕える越後守護代・長尾為景(三条長尾家)の四男として生まれ、初名は長尾 景虎(ながお かげとら)でした。

 1561年(景虎31歳)の折に、関東管領・上杉憲政の養子となり山内上杉氏の家督を譲られました。「上杉」姓と憲政の「政」の1字を与えられて、上杉 政虎(うえすぎ まさとら)と改名したのです。

 上杉氏が、世襲していた室町幕府の重職関東管領を引き継ぎました。

 後に室町幕府の将軍・足利義輝より偏諱として「輝」の1字を受けて、最終的には輝虎と名乗りました。謙信は、さらに後に称した法号です。

 内乱続きであった越後国を統一し、戦や政だけではなく、産業を振興して国を繁栄させたのですから、単なる戦国武将ではなかったのです。

 他国から救援を要請されますと、黙っていられない聖覚で、秩序回復を掲げ、幾度となく出兵しました。

 闘った相手は、武田信玄だけではなく、北条氏康や織田信長、また、越中一向一揆にも遭遇しています。特に宿敵武田信玄との5回にわたる川中島の戦いはよく知られています。

 さらに足利将軍家からの要請を受けて上洛を試み、越後国から北陸路を西進して越中国・能登国・加賀国へと勢力を拡大しましたが、48歳で死去しました。

 謙信には実子がなく、死後、上杉家の家督の後継をめぐって御館の乱が勃発しました。

 「道理をもって誰にでも力を貸す」と、『白河風土記』に述べられています。私達経営コンサルタントの心得の一つに繋がります。

 謙信が敵将武田信玄に塩を送った逸話から、「敵に塩を送る」という故事も生まれましたが、本当に塩を送ったのかどうかの真偽の程は解明されていないようです。

 

  

 

  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/yamagata/yamagata-yonezawa/yamagata-yonezawa00.htm

 

 

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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【話材】 昨日04/28のつぶやき 桜の名所「展勝地」2 桜と音楽を愛でる

2023-04-29 06:29:21 | ブログ

 

  【話材】 昨日04/28のつぶやき 桜の名所「展勝地」2 桜と音楽を愛でる

 

経営コンサルタントとして感じたことを毎日複数のつぶやきをブログでお届けしています。

もし、お見落としがありましたり、昨日のブログで再度読みたいつぶやきがあるというときに便利なページです。

本日も、複数のブログで、つぶやき済です。

  ■【今日は何の日】 4月29日 ■ 昭和の日 ■ 上杉まつり ■ 【今日の写真】 春の京都 仁和寺 御殿内部  一年365日、毎日が何かの日

晴れd20

■ 昨日は、下記のリストのようなことをつぶやきました。

konsarutanto   ◇ 昨日のつぶやき ◇ 

◆【経営コンサルタントの独り言】 信頼できる経営コンサルタントの見分け方 428

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 【カシャリ! ひとり旅】を映像にして紹介しています。

   ユーチューブで見

 

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