経営コンサルタントへの道

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■【今日は何の日】 4月25日 ■ 孔子祭 ■ 壇ノ浦の戦いの日 ■ 【今日の写真】 春の京都 仁和寺  一年365日、毎日が何かの日

2024-04-25 00:03:00 | 【今日は何の日04月】

  【今日は何の日】 4月25日 ■ 孔子祭 ■ 壇ノ浦の戦いの日 ■ 【今日の写真】 春の京都 仁和寺

 

 一年365日、毎日が何かの日です。

  季節を表す日もあります。地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。誰かの誕生日かも知れません。歴史上の出来事もあります。セミナーや展示会もあります。

  これらをキーワードとして、私たちは自分の人生に、自分の仕事に、自分自身を磨くために何かを考えてみるのも良いのではないでしょうか。

  独断と偏見で、エッセー風に徒然のままに書いてみました。皆様のご参考にと毎日続けていこうと・・・というよりも、自分自身のために書いてゆきます。 詳細 ←クリック

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■ 【今日の写真】 春の京都 仁和寺

 仁和寺は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって発願され、第59代宇多天皇により仁和4年(888年)に完成しました。
  「御室桜」の花見の盛んな様子は江戸時代の儒学者・貝原益軒が書いた『京城勝覧』(けいじょうしょうらん)という京都の名所を巡覧できる案内書にも次の様に紹介されています。
仁和寺サイトより)



■ 孔子祭

 4月25日は孔子祭です。孔子や儒教の先哲を祀る儀式が行われます。中国で儒教が国教となったときに、釈奠(せきてん/しゃくてん)と呼ぶようになりました。

 孔子は紀元前5~6世紀の春秋時代における中国の思想家、哲学者で、儒家の始祖でもあります。幼くして両親を失い、孤児となってからも苦学をつづけたそうです。しかし、生きている間は無冠で、一人の学者であったようです。しかし、後の漢代(前漢)に司馬遷は『史記』の中ででは、孔子の功績を「王に値する」と記述しています。

 孔子は、それまでにあった原始宗教を今日の儒教に体系化しました。孔子の考えの基本は「仁(じん)」です。「仁が貫かれるところに道徳が保たれる」と説いています。

「仁」は徳の一つで、人間関係の基本、人間愛をさす倫理規定でもあります。主に「他人に対する親愛の情、優しさ」をさし、仁と、人間の行動に関する概念である義を合わせて、「仁義」という表現もよく知られています。

 仁義というと、ある種の世界の言葉のように思われがちですが、人間のあり方の基本のことです。むしろその世界だけに限定すると、映画などでの情報でしかありませんが、一般の人よりもむしろ仲間意識、結束感は強いのではないでしょうか。

 今の日本は、残念ながら他人に対する思いやり、気配りがあまりにも希薄になっていると平素思っています。ところが、東日本大震災のような時には、眠っている「仁」が呼び起こされるのか、義援金やボランティア活動などへの参加という形で現れてきます。

「まだまだ日本は捨てたものではない」とテレビでどなたかが言っていましたが、「仁」ということを考え直す時間を各自がとっても良いと思います。もちろん、私自身も実行します。

 空港でちょっとしたトラブルがありました。詳細は、相手の方に迷惑がかかるといけませんので記載しませんが、機転を利かせてくれたために難を避けることができました。

空港という人を相手にする仕事が多い人は、どうしてもマニュアル人間になりがちです。上司の方との連携で、利用者に嫌な思いをさせないサービス精神はすばらしいですね。同じことが、マニュアルが定着している国や企業等で起こったらおそらくこのような対処をしてくれなかったでしょう。

  日本で仕事をしていてよかった~~



■ 壇ノ浦の戦いの日

 だんのうらのたたかい

 元暦2年3月24日(1185年4月25日)に、長州沖の長門国赤間関壇ノ浦(現在の山口県下関市)で、源義経が率いる源氏軍が平家軍を破りました。

 栄華を誇った平家が滅亡に至った治承・寿永の乱の最後の戦いです。

 寿永3年/治承8年(1184年)2月に一ノ谷の戦いで大敗を喫して海に逃れ、讃岐国屋島と長門国彦島(山口県下関市)に拠点を置いていました。

 鎌倉政権は、頼朝の弟範頼に3万騎を率いさせて山陽道を進軍して九州に渡り平氏軍の背後を遮断する作戦を実行しますが、平家軍によりなかなか進めません。

 この状況を見て、義経は、後白河法皇に平氏追討を願い許可を得て、屋島へ出撃しました。得意の奇襲作戦で屋島の戦いを制しました。

 平家の総大将である平宗盛は、安徳天皇を奉じて、三種の神器を携え、海上へ逃れましたが義経軍に敗れることになりました。

 ここに平家が滅亡したといえます。


■ その他
◇ 奈良興福寺文殊会
 ◇ 西山浄土宗御忌

(ドアノブ)

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