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パチンコの歴史 続

2019-02-23 09:51:50 | ギャンブル
前回羽根ものと言われる機種が出現し、これが画期的なものであることを書きました。ただこれは私の個人的な見解ですので、あまり正確なものでないことはお断りしておきます。

この機種によって一度に15発しか出なかったパチンコが、うまくいけば数百発出るということはそれだけ資金を投入するということにもなります。ですからそれまで貸出機のようなものから玉を出していたものが、各台に現金投入口ができ座ったまま連続してプレーできるようになったのも大きな変化でした。

そしていよいよ50年代半ばにさらにギャンブル性の高いデジパチとかフィーバー台という機種が登場しました。

これは台にデジタルの数字が回り、7あるいは特殊な絵柄が揃うと大当たりという現在主流の機種ですが、この時の出玉が2000発以上というすごいものでした。

特に初期の機種はカウンター(球がいくつ入ったか数える)などもなく、店員が来て打ち止めになるまで続くというすごい機種までありました。これは爆発的人気となり、この機種をメインにしたホールが次々とできました。

私の勤務していた研究所の近くにも開店し、このホールに行くと会社の人だらけというような大ブームとなったわけです。数字が二つ揃うとリーチという本来麻雀用語が、これによって一般化してしまいました。

その後どう打っても当たりの出玉数が一定になるような工夫がされたり、盤面に液晶が導入され派手なリーチアクションが加わったりして現在まで続いているわけです。しかしこのブームによって色々な問題が出てきました。

まず客の方にはギャンブル依存症のような多額の金を使う人がでてきたり、ホールの方は収入の把握ができませんので脱税の問題が出てきたわけです。

そこで対策として、台に現金を入れるのではなく、まずプリペイドカードを買ってそれを入れてプレーするという制度が採用されました。これが平成の初期ですが、これ以降パチンコの機種の名前にCR(カードリーダー)という文字が入るようになりました。

実は私はこの頃にパチンコをほぼ断念し、スロットに移ってしまいました。やはりこの頃の大当たり確立が500分の1程度と厳しく、とても遊び感覚ではできなくなったためです。

そのためまたパチンコを始めた15年前までの10年間ぐらいはパチンコの変遷は全く分かっていません。いつ頃このプリペイドカードシステムが無くなり、現金投入型に変わったのかも分かりませんが、おそらく15年ぐらい前かもしれません。

私がまたパチンコに戻ったのは、前に書きました「游パチ」という当り安く出玉も少ないという機種が出たことが大きく、ゲームとして楽しめるようになったためです。

また最近では「1円パチンコ」という(通常は1個4円です)さらにギャンブル性が少なくなる台も増えていますので、これがパチンコの流れかもしれません。


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